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第6話

「……」  な、なんなんだ、この重苦しい感じは。  弓道場の近くで仁王立ちをしていた友矢は、俺の顔を見た途端、ふん、と鼻から息を吐いた。そして「帰ろうぜ」と、俺の顔を見ないで歩き出したのだ。  そこから、ずっと無言。  ……一体どうすりゃいいのか。友矢は分かりやすく機嫌が悪そうなんだけど、正直心当たりがありすぎて、どこからどれがアウトだったのか分からない。  せっかくこれから俺の家で勉強会だというのに、ずっとこんなノリでやっていかなきゃいけないのかな。それはすげぇ嫌だな。でもどうすればいいのか、今の俺にはサッパリ分からない。  いよいよ途方に暮れたところで、俺の横で友矢が小さく息を吐くのが聞こえた。 「今日さ、木島と喋ったんだな」  友矢から出てきたのは予想外の名前で、俺はちょっと面食らった。 「え? ……あー、昼休みな。だってお前、寝てたから」 「う、寝てたのは、悪かったけど……」 「けど?」 「……名前」 「名前?」 「木島の名前……お前、よく覚えてたな」  悔しそうに、恨めしそうにそんなことを言われて、俺は思わず「えっ!?」と声を出してしまった。 「はぁ? そこ!?」  思わず友矢の顔を見たら、そのままギッと睨まれた。あ、やべ。 「……いや、俺も名前ぐらい覚えるだろ。友矢の前の席の奴だし」  驚いたと同時に、ちょっと脱力した。確かに俺は人の名前と顔を覚えるのは苦手だ。そりゃ、会話だって苦手なんだから、そんな気は使えない。でも友矢の前の席くらいのやつなら覚えられる。特に木島は、よく友矢の位置情報を叫んでくれるし。 「……」 「はぁ……なんだよ、そこかよ……」  しみじみ考えると同時に、俺は本格的に安堵してしまった。どうやら俺が無意識的にやらかしていた、とかではないらしい。 「え? でもなんで友矢がそんなこと」 「あっ!!」  俺が話終わる前に、横で友矢が大声をあげる。 「今ならバイト先で弁当安く買えるぞ!! 行こうぜ!!」 「は?」  その瞬間、友矢は駅前に向かって走り出してしまった。マジで? 行くの? 今から!?  形勢逆転。今度は俺がクソまずいものを食べたような顔をする事になった。クソ。俺も仁王立ちで立っててやろうかな。  もちろん仁王立ちで立ってる訳にもいかず、俺はあの日遠巻きから見ていた店内に、ついに足を踏み入れる事となってしまった。 「あ! トモくんじゃん〜!」  はぁ?  開幕キレるかと思った。レジの方から手を振っているのは、この前見た事がある、友矢の隣でレジをしていた女性だ。思わず睨みつけそうになったけど、目を細めてやり過ごす。  しかし何やら友矢も女性に驚いているようで、俺にコソッと「先、見てて」と言った後、レジの方へ駆けて行った。俺はしぶしぶ弁当コーナーの方に行って、値引きシールの貼られたパックをひたすら睨みつける。  ……トモくんかぁ。なるほどね。別にいいけどさ。仲良さそうだったし、友矢の愛称なんて星の数くらいあるし。それに、そのトモくんの恋人は俺だし。一応。  女性と友矢は、何やら盛り上がってるようだが、俺は無視だ無視。視線も歓声も感じるし聞こえるけど、無視無視無視。俺の夕飯は鶏肉と野菜の蒸し焼き弁当にする。  俺が弁当を手に取ったところで、友矢がいそいそと帰ってきた。何やら焦っているようで、ろくに商品も見ずに、棚から唐揚げ弁当を掴んでカゴに放り込む。ついでにおにぎりやらも選ばず放り込んでいた。 「他なんか買う?」 「いや、特に」 「じゃあもう行こうぜ! あ、飲み物」  友矢は最後にペットボトルのお茶をカゴに放り込んで、二人でレジまで並んだ。俺は例の女性が打つレジで会計をする事になるらしく、彼女の前に商品を並べると、何やらニッコリ微笑まれた。明らかに認知されている。なんか、喋れってか……?  ……いつも友矢がお世話になってますとか、言った方がいいのかな。いや、俺は誰だよって話になるか。ここでマウント……いやいやいや。   「バッ!!」  俺が変なことをぐるぐる考えていたら、隣のレジから友矢の変な声が聞こえた。思わず俺と女性で横を見たら、この前、友矢の頭を撫でていた男がレジ打ちをしているのだが、そいつと友矢が、なんかこう肩を組み合うような、変な体勢で固まっていた。俺の視線に気づいたのか、友矢が焦ったように何かを隠していて、何やらニヤけた男を睨みつけている。 「え、」  変な状況に思わず声が出た。すると、目の前の女性がクスクスと笑い出す。 「大丈夫ですよー」 「……え、あ、はい」  いや、何が?  困惑してそのまま返事をすると、女性は俺の顔をまじまじ見ながら、まつ毛がビッシリ生えた大きな目を更に見開いた。 「わぁ声もイケメン! はい、ありがとうございました! またお越しくださいませ〜!」 「ええ……? どうも」  何だか余計なことを言われた気がするけど、流れるように商品を渡されて、俺は流れるように店内を出されてしまう。友矢も大股で俺の方に追いつくと「行くぞ」と、そのままドタドタ外に出て行った。  もう夏が来ているらしい。コンビニの店内に出ると、こっちが蒸し焼きになりそうなくらい熱気を感じた。さっきまで冷房が効いていた所に居たからか、余計に暑く感じる。アイスでも買えば良かったかもしれない。 「あ! アイス買えば良かった!」  瞬間、横で友矢も同じことを言っていて、俺は思わず笑ってしまった。 「わかるなー。どうする? 戻る?」 「いや、それは……良いよ。お前んち早く行こうぜ」  友矢の返事は割と淡白で、俺は少し驚いた。多分、バイトは楽しい方なのだろう。同僚とも仲良さそうで、周りに可愛がられているのがすごくよく分かった。だからもっと、居心地良く過ごすのかと思いきや、まるで俺と逃げるように去っていくのか、お前。  今、俺の胸にすっと抜けてゆく思いは、おそらく優越感だ。バイト仲間よりも俺を優先してくれたってやつ。どんな形でも、俺はやっぱり友矢の一番になりたい。ただそれだけだ。  俺の家に着いてからは、先に二人でササッと夕飯を食べた。泊まる用意はしていないからそんなに時間が取れないのだ。飯を食べたら、ちゃぶ台的なローテーブルに物理の教科書を広げて、二人で向かい合いながら問題に取り組む事となった。  でも高校一年生の物理なんて、公式さえ覚えてしまえばどうとでもなるだろう。とにかく今は時間がないから、友矢にありったけの付け焼き刃をくっつける。パターンを覚えて丸暗記作戦だ。  何度も繰り返してしばらくすると「あ、なんだ、これだけでいいのか」と、友矢はスラスラ解き始めた。単純な友矢の脳味噌って、実は暗記と相性がいい。これ悪口じゃないけど。  所要時間は2時間少しって所だろうか。案外早かった。範囲の最低限は抑えたから、これなら物理も赤点セーフラインに入るだろう。 「うん! 大丈夫じゃね!? 分かった! やっぱお前って教えるのうまいなぁ〜」  シャーペンを机に転がした友矢が、そんなことを言いながら大きく伸びをする。……俺に対してそんなこと言うやつって、きっと世界中を探しても友矢だけだと思う。 「お前だけだよ。バーカ」  だから、思わず声に出てしまった。  前から思ってたけど、友矢は相変わらずズレてる気がして、何だかちょっと笑えてくる。理解力も集中力もあるくせに、頭がいいのか悪いのか分からない。  すると、目の前にいた友矢はぎゅっと口を紡ぐと、ちょっとだけ眉を寄せた。かと思えば、いきなり頭を下げてテーブルに額を打ち付けた。  ゴン、と鈍い音がして、机の上にあった飲み物が揺れる。俺は突然の友矢の奇行に、持っていたシャーペンを落としてしまった。 「え……なに?」  家の前を車が走っていく音が、やけに鮮明に聞こえた。それは、この空間が無音だからだ。俺は何を言っていいのか分からなくて、なんだか茶化してもいけない気がして。しばらくその場で固まっていた。  すると、友矢から小さな声が聞こえてきた。 「俺さ、お前のこと……好きなんだよ」  その瞬間、俺は心臓が止まるかと思った。  初めて言われたかもしれない。思わず生唾を飲んでしまって、その音が友矢に聞こえた気がする。何も言えない俺とは裏腹に、友矢はゆっくり顔だけあげて、へらりと笑って喋り出した。 「だから、実は今、すげー緊張してて」 「……」 「お前は、そういうの考えてないかもしれないけど」 「……」 「好きな奴の家に、二人きりってさ……」 「…………」  カーッて、顔に熱が集まっていくのがよく分かる。俺、今、絶対に真っ赤だ。案の定友矢に「真っ赤じゃん」と、声を上げて笑われた。そういう友矢だって涙目だ。  それから、俺はポツリと、 「……友矢って、俺のこと好きだったんだ」  と、漏らしてしまった。  思わず溢れてしまった俺の一言に、やはりというか何というか、友矢はちょっとムッとした顔をした。 「それはこっちのセリフだからな」 「は!?」  しかし、思ってなかった答えに、俺は勢いよく凄んでしまった。さすがに俺の勢いに驚いたのか、今度の友矢は拗ねた子供のように唇を尖らせる。 「……だって、お前、何にもないじゃん」 「な、何にもないってなんだよ」 「恋人は俺なのに、相変わらず女子にはベタベタされてるし、俺のことなんか何にも興味なさそーだし、本当にからかわれて告られたのかと……」 「ンなわけねーだろ!!」  反射的に叫んだ後、我に返って。次の瞬間には、俺はグッタリと脱力していた。  なんだそれ。  思い返せば、友矢に嫌われたくなくて、色々と言葉にしないようにしていたかもしれない。でもそれは、俺だって友矢の気持ちが分からなかったから、って訳で。 「……お前こそ、俺に流されたわけじゃなかったのか」 「……あ、それは……なんか、ごめん」  あの時は動転してた、なんて、嘘かホントか分からない言い訳を言いながら、友矢は笑っていた。自覚はあったのか……  どうやら俺たちはずっと前から、ちゃんとお互いを想い合うような恋人同士だったらしい。全然気付いてなかった気がする。なんだか馬鹿らしくなって、俺たちは二人で笑ってしまった。 「で、俺たちって、まだ恋人でいいんだよな?」  すると友矢が、ふいと目を逸らしながらそんなことを言い始めた。 「まだっていうか、ずっとだろ」  何を当たり前の事を。俺がそう答えた瞬間、友矢はぐっと顔を歪めた。え? 「じゃあさ……俺はもうちょっと、先に進みたいんだけど」  そう言った友矢は、眉を寄せて唇を強く結んだ不機嫌そうな顔で、俺はそれに既視感を感じた。今日何度も見ていた、友矢のイヤそうな表情だ。  しかし、俺は気づいてしまった。瞳はさっきよりも潤んでいるし、よく見たら耳も赤い。そんな友矢の姿に、俺はドカンと後頭部を殴られたような気分になった。  もしかしてそれ、イヤなんじゃなくて、照れてる顔だったのか。お前、お前……っ!  ていうか、先に進みたいって、マジか。  先に進んでも、いいんだ……  その潤んだ瞳がチラリとこちらを見た時、俺はもうダメだった。ゆっくり右手を伸ばして、友矢の頬に触れる。思ったよりも熱くて、緊張しているのか、友矢の大きな瞳がゆらゆら揺れているのが見えて。それから…… 「ただいまー!!」  お約束だ。  玄関から響いてきた母さんの声に、俺は思わず身体ごとガックリと崩れてしまい、友矢は腹を抱えて笑い出した。分かってたけど。そろそろ帰ってくる頃だなって、分かってたけど!! 「ここまででいーよ! 送ってくれてありがとな。あと勉強も助かった」 「おー。……頑張れよー」  暗闇の中で友矢が笑った。  結局、親の帰宅からは何にもできなくて、いつも通りの俺たちに戻ってしまった。  本当は家まで送りたかったけど、いつもの分かれ道まで来たところでお別れらしい。ここまで一緒に居られて良かったけど、やっぱりなんとなく物足りない。 「……じゃ、えっと、また明日な」  街頭の下まで来て、友矢が小さく右手を振った。しかし、左手はぎゅっと制服を握っていて、笑った口元も、何かを噛むように結んでいる。  あ。  瞬間、俺はある映像を思い出していた。あの梅雨入り前の日と、夢の中で見た、むぐむぐと口を動かしていた友矢の姿だ。  それを思い出した時、俺は咄嗟に動いていた。友矢と距離を詰めて、腕を伸ばして、後頭部を支えて。  唇をくっつけた。  ふわりと汗の香りがした。それから、やっぱり夏の草の匂い。でもそんなの気にならないくらい、柔らかい唇の感触で胸の内がいっぱいになった。  夢の中じゃない。これは現実だ。現実だけど、湿った吐息がぶつかって3秒くらいで、俺は顔を離してしまった。だって、これも、勢い、だった、から…… 「ん、んわぁ」  俺はとりあえず友矢から離れて、更に2、3歩離れたところで、友矢から聞いたことのない声が聞こえた。発音もよく分からなかった。ただ、明かりに照らされた友矢の瞳が煌めいていて、ちょっと目尻に涙が浮かんでいる。 「……」  唇の感触が消えなくて、二人してむぐむぐと口を動かしてしまった。その後、友矢は、ややあと後頭部を掻きながら、なぜかお礼を言い始めた。 「ありがと……」 「ん……」 「じゃあな……」 「おー……」  よく分からない会話だが、深く考えちゃいけない。俺も友矢も。友矢は回れ右をして歩き出したが、途中からすごい勢いで走っているのが見えた。  友矢が暗闇へ完全に消えていったのを見届けてから、俺もめちゃくちゃ走って帰った。その場で踊り出しそうなくらい、なんだか身も心も軽かった。

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