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第5話連れ出されて
その週末の土曜日も、蒼也はうちにきて俺を抱いた。
いくら俺が拒絶の言葉を並べ立てても、あいつはまったく聞く耳を持たない。
オメガの相手でもしていればいいのに、俺ばかり相手にするんじゃねえ、と文句を言っても聞き流されるだけだった。
そして、月曜日。
昼休みに俺は、中庭にある木にもたれかかり空を見ていた。
蒼也から逃げたくて俺は以前と場所を変えたんだけど。
あいつはほぼ毎日、俺の前に現れる。
「あ、今日はここにいるんだ」
イヤホン越しにわずかに聞こえた声に俺は慌てて片耳を外す。
彼に会うのは先週の火曜日以来だ。
浅木さんは俺の隣の地面に座り込むと、俺の方を見て言った。
「ちょっと探しちゃった」
「なんで俺に構うんですか?」
「あんなの見たらさすがに気になって。身体は大丈夫なの? 顔色は良くなさそうだけど」
あんなの、って言うのは先週の暴走しかけたときの事だろう。
この人がいなかったら被害が出ていたかもしれない、と思うとむげにも扱えない。
俺は彼から視線を外し、俯いて言った。
「大丈夫、ですから」
「その割には、気分悪そうだけど」
確かに気分はよくない。
蒼也の行為は、俺の理解を越えている。
平穏な大学生活を送りたかった。
なのに……現実はそれを許さない。
「あれは、あの発作はたまにある事なんです。珍しくはないので」
「それ、けっこう大変なことだよね」
確かに大変だ。
でも生活に困るほどじゃない。
「気に、しないでください。何もなければ……あんなの起きないんで」
「でもそれって、この間は何かあったって事?」
それを言われると、確かにそうだ。
刻み込まれたトラウマは、そう簡単に消えるものじゃない。
トラウマを刺激されると、発作が起きやすくなってしまう。
トラウマを克服できればいいんだろうが、傷は深い。
「貴方には関係ないですよ。っていうかそんなに俺に興味を持って、どうするんですか?」
おかしいだろう。
俺は、ただの人間だ。
「まあ、そうなんだけどねー。気になるとさ、僕眠れなくなるんだよね」
「じゃあ気にしないでください。俺に関わっても、いいことないですよ」
「他にも理由はあるんだけど……そうだね、また次にするよ」
え、次?
俺は顔を上げ、浅木さんを見る。
彼は俺の方を見て、にこっと笑った。
「あ、来た。彼、余程君の事が大事らしいね」
来た。
それが誰を指しているのかすぐに気が付き、俺は頭を抱える。
なんで放っておいてくれないんだあいつは。
「俺の兄に、何の用ですか」
蒼也の厳しい声が近づいてくる。
「彼、体調がよくなさそうだから気になって。ほら、僕、医者目指してるからさ」
蒼也の声とは対照的に、無警戒の明るい声で浅木さんは言った。
「近づかないでいただけますか? 貴方みたいなアルファにうろうろされるのは目障りなんで」
「蒼也、言いすぎだろう」
言いながら、俺は蒼也が言ったことを頭の中で繰り返す。
……アルファ?
蒼也は確かにそう言った。
俺は隣にいる浅木さんに目を向けると、彼はただ笑って蒼也を見上げるだけだった。
俺の直感は正しかったのか。
アルファと聞くと恐怖を覚えてしまう。
てことは、この人も蒼也みたいに……いや、俺にそういう興味をもつわけないか。
蒼也じゃないんだから。
「でも、彼、怯えてるみたいだけど?」
「貴方が心配することではないですよ、先輩」
蒼也の声は、どこまでも冷たい。
俺は顔を上げ、蒼也を睨み付けた。
「蒼也、お前、俺のことなんて放っておけよ。俺が誰といようと、話そうと勝手だろう?」
蒼也が嫌がると思うと、この人と関わっていいんじゃないかって考えてしまう。
なんで蒼也は、浅木さんをこんなに嫌うんだ?
「緋彩……だってこの間、そいつに何か言われたから、暴走しかけたんじゃないの?」
「違うっての」
お前が、お前があんなことをするからだ、という言葉を俺は飲み込む。
俺がどれだけお前との関係に苦しんでいるのか、わかりはしないだろう。
早く俺は、お前とのことを終わらせたいんだから。
俺に恋人でもできたら、こいつは俺を手放すだろうか?
……執着が酷くなるだけかもしれない。
こいつなら俺を監禁くらいやりかねないから。
「放っておけよ、俺の事なんて。お前はお前の世界があるだろ?」
「緋彩、なんで……」
悲しげな顔をする蒼也を無視して、俺は立ち上がる。
蒼也と一緒にいると息が苦しくなる。
――これだけ言ったら蒼也、今度うちに来たとき俺をひどく扱うだろうか?
そう考えると気分が沈み込む。
「緋彩君」
浅木さんの声にハッとし、俺は彼の方を見る。
俺の顔を覗き込み、浅木さんは言った。
「だいぶ顔色が悪い。ちょっと、医務室行こうか?」
そして浅木さんは立ち上がり、俺の腕を掴んだ。
傷つける。
そう思ったけれど、力が抜けていくような感覚を覚え、この人が能力キャンセリング、と言っていたのを思い出す。
この人に、俺の力は通じないんだ。
「そんな怯えた顔しなくても大丈夫だよ。何にもしないから」
優しく言い、浅木さんは俺を引っ張っていく。
「緋彩」
「ちょっと休ませるだけだから。君は、自分の学部に戻るんだ」
浅木さんの声に、ちりちりと肌が痛むような感覚を覚える。
すごい威圧感。
その声に驚いたのか、蒼也はついてこなかった。
あいつから離れただけで、俺の気持ちはだいぶ落ち着く。
俺が連れて行かれたのは医学部棟にある医務室、ではなくてカフェテリアだった。
「気が付いたんだよね。君は彼が来ると、顔色悪くなるって」
そう言いながら、俺を椅子に座らせる。
「何か飲む? 買ってくるよ」
「い、いいえ、大丈夫、です」
俺は俯いて首を振る。
まあ、見ていたらわかるよな。
蒼也をみると俺は身体が竦んでしまう。
あいつは俺にとって、恐怖そのものだから。
「兄弟、なんだよね、彼とは」
そうだ。あいつは弟だ。
なのにあいつは……
「だから君からも、彼と同じ匂いがするの?」
匂い。
わけがわからず俺は顔をあげて、向かいに座る彼を見た。
浅木さんは真面目な顔して俺を見ている。
「におい……?」
「そう。君からは彼と同じ匂いがするから。でも君はオメガじゃないし……不思議に思ってさ」
その言葉が何を意味するのか気が付き、俺は口を押さえた。
そんなふうにわかってしまうのか。
この人は、俺と蒼也の関係に、気がついてる……?
怖い。
あいつとの関係に気が付かれたら俺……どうしたらいい。
「そ、れは……」
「別に、責めようとか思ってるわけじゃないから……でも、苦しそうだから」
苦しい。
そうだ、俺は苦しい。
ずっと蒼也のことで悩んできた。
弟に犯されてる、なんて誰が言える? 誰が認める?
「ありがとう、ございます。あいつから引き離してくれて」
あのままあの場所にいたら、蒼也は俺に何をしてきたかわからない。
あの様子だと、俺をこの場から連れ出すくらいやりかねないだろう。
あいつの俺への執着は異常だ。
とりあえず俺は今夜アルバイトだし、今日の俺の無事は保障された……と思う。
でも……明日になったらどうだろうか。
あいつはひどく俺を抱くかもしれない。
そう思うと憂鬱でならなかった。
俺は……あいつの玩具じゃないのに。
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