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第7話恋人のふり

 翌日、火曜日。  俺は昼休み、浅木さんに呼ばれて医学部棟のカフェテラスに来ていた  正直居心地はよくないが、蒼也はここまで来ないだろう、と思うと気持ちは落ち着いた。  浅木さんが恋人役になる、と言った話、俺は冗談だと思っていたけど、この人は本気なようで。   「やあ、緋彩」  なんて俺の事を呼ぶようになった。  この人、距離感おかしい?  俺たち会ってまだ一週間ちょっとだぞ?  俺なんて相手しなくても、この人充分モテるだろうに。なんで俺に恋人役になる、なんて話持ちかけたんだろ?  「あの……浅木さん、モテますよね?」  テーブルを挟んで向かい合って座り、俺はおずおずと彼に尋ねた。   「え? うん、そうだよ」  そりゃあそうだよな。  見るからにモテます、って顔してるし。  顔立ちいいし、優しいし、人当たりよさそうだし。  俺もべつに顔は悪くはないが……人に触るのが怖くて今まで誰とも付き合ったことがない。  告白されたことは何度かあるけど、全部断って来た。  泣かれたこともあったっけ。  思い出すと心が痛むけど、それ以上に、傷つけたら嫌だと言う思いが強かったしそれに、蒼也がとても怖かった。 「今、彼女とか……」 「いたら、恋人役やるなんて言い出さないよ。僕は、特定の誰かを作りたいと思わないから」  特定の誰かを作りたいと思わない……  その意味が理解できず、俺は首を傾げた。  浅木さんは、サンドウィッチの袋を開け、卵サンドを手にする。   「誘えばセックスする相手はいくらでもいるし。困ってないよ?」  ……セフレはいるけど、恋人はいないって事なんだろうか。  俺には理解しがたい世界だ。 「そ、そうなんですか」  言いながら俺は、ここに来る前にスーパーで買ったおにぎりのフィルムをはがす。 「俺の恋人役やるってあの、本気、なんですか?」  遠慮がちに尋ねると、彼は卵サンドをかじったまま頷いた。 「……僕は、本気だよ? 昨日、言ったじゃない。退屈してるし、僕の力は君にきっと役に立つよ」 「そ、そうかもしれないですけど……」  さすがに出会って一週間ちょっとの相手と恋人ごっこを演じる勇気はない。   「僕さ、このキャンセリング能力、役に立ったことないし。持っていても無駄だと思ってた。でも、初めて役に立つかもしれないって思ったら震えちゃった」  そう言って、彼は笑う。   「役に立つ……」 「力は使いようだよ。君が何でそんなに怯えているのか、弟のせいだけじゃないみたいだけど。その力だってきっと役に立つよ。でもその前にちゃんとコントロールできるようにならないとね」  俺は思わず手袋をはめたままの手を見つめた。  外すな、と言われたこの手袋。  怖くて俺は、風呂やトイレ以外ではこの手袋を外せない。  この間みたいに暴走することもあるし、誰かを傷つけてしまうんじゃないかと言う恐怖はずっと、俺の中にある。  でも、この人には、俺の力は通じないんだ。  触っても大丈夫な相手。  それは俺にとって、とても貴重な存在だった。   「俺、触った相手を痺れさせちゃったり、時には気絶させちゃったり、電化製品も壊したりして親にいつも怒られて。それで俺……手袋してるんです。これ、電気通さないから。まあ、気休めみたいなものですけど、俺にはお守りなんです」 「だから外せないのか。ごめんね、そんなデリケートなものだとは思ってなかったよ」  それはそうだろう。  俺だって、自分以外に手袋を常にして生活しているやつを知らない。 「この間みたいに暴走するとそんなに役に立たないけど、でも、してないと不安なんです。誰かを、傷つけたくないから」 「まあ、僕には通じないから大丈夫だよ。手だって繋げるよ」  笑いながら言い、浅木さんはカフェオレのペットボトルを手に持った。  手を、繋ぐ。  そんなの夢のまた夢のような話だ。  いや、でも、浅木さん、男だぞ。  そう思い、俺は彼の顔を見る。  モデルみたいな綺麗な顔してるけど、この人を恋愛対象として見られるかと言われたら……どうだろう。  いや、別に本気で恋愛対象にしなくてもいいのか。  ふり、なんだから……   「どうかした?」  俺の視線に気が付いた浅木さんは、首を傾げて俺を見る。 「い、いいえ、なんでもないです。俺の力、通じないって言われると、なんか不思議な感じがして。ずっと俺、これに苦しんで来たから」 「僕だって、この力が役に立つなんて思いもよらなかったよ」  浅木さんの嬉しそうな表情に、嘘はないだろう。  アルファって、なんでもできて、なんでも持ってる人が多いって聞くのに。  そんな人に俺、喜ばれてるのが不思議で仕方ない。  浅木さんは身を乗り出し、そして、俺の耳元で甘く囁く。   「僕は君を守れるよ。僕にはそう言う力があるから。ねえ、緋彩。僕を役に立たせてよ」  その声に俺は顔を真っ赤になるのを感じ、俯き口を押えた。  やばい、今の声。  腰にくる声って本当にあるんだ。  やばい、腹の奥が疼きだす。  蒼也によって慣らされた身体は、簡単に快楽を求めるようになっている。  落ち着け俺。ここは、大学なんだから。 「あ、ごめん、大丈夫?」  俺の異変に気が付いたらしく、浅木さんの手が俺の頭にそっと触れる。  いつもならそんなことされたら声を上げて逃げるけれど、この人は大丈夫だ、という安心感からか、俺はそのまま動かずされるがままになる。  力が抜けていく。  俺は顔を上げそして、心配げな顔をする浅木さんを見た。 「浅木、さん」 「奏(かなで)でいいよ。じゃないと、不自然でしょ?」  まだ俺は、恋人役を頼んだわけじゃないけれど、どうやらこの人は本気でやるつもりのようで。  俺は真っ赤のまま。 「奏……さん」  と、名を呼び顔を伏せた。  何でこんなに恥ずかしいんだ。  名前を呼んだだけなのに。   「緋彩ってバイトしてる? いつなら暇?」  言いながら浅木さんは椅子に戻り、スマホを出した。 「え、あ、バイトしてます。土日はどっちか必ず入ってて」 「じゃあ、今週末はどっちが暇?」 「えーと……日曜日なら」 「じゃあ日曜日開けといてね。後でまた、連絡するから」  開けといて。の、意味が理解できず戸惑っていると、浅木さんはスマホを頬に寄せて微笑む。 「デートしよ」  思いもよらない申し出に、俺は目を見開いた。

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