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第9話決意
蒼也は帰った。
俺の家の鍵を置いて。
もっと渋るかと思ったし、誘拐される可能性すらあると思ったけれど、意外とあっさり家を出て行った。
シャワーを浴びて中に出されたものを綺麗にし、ぐったりとベッドに横たわる。
もう、蒼也は来ないだろうか。
いや、来ないでほしい。
高校に入ってから俺は、一度も実家に足を踏み入れていない。
父の実家であるため、年に一度、父親が来るだけであとは時おり家政婦が様子を見に来るだけだ。
そのため月に一度、蒼也はここに来て俺を抱いていた。俺が帰らないからあいつがここに来ていたわけだ。
もう、これで終わりになるだろうか。
恋人ができた、と言った以上、フリでもそういうふうに振舞わないと。
でも、相手は男で、アルファなんだよな……
浅木奏。
変な人だ。
俺みたいなベータに興味持って、しかも恋人のフリをするとか言い出すのはなかなかおかしな発想だ。
そのとき、枕横で充電器にさしたスマホが光っていることに気が付いた。
俺はスマホを持ち、ロックを解除してメッセージが来ていることを確認する。
相手は、浅木さんだった。
慌てて俺は、メッセージを確認する。
『こんばんは、緋彩。デートなんだけど、やっぱりデートって言ったら映画とかショッピングかなって思うんだけど?』
ショッピング、と言う言葉がなんだか不思議なものに聞こえる。そんなのしたことねえぞ。それはそうだ、友達、ほとんどいなかったし、誘われても断って来たから。
ショッピング……ショッピング……
考えるだけで緊張してしまう。
俺、ショッピングとか行っていいのか?
俺はドキドキしながら、文字を入力する。
『ショッピングていうと、どこに行くんですか?』
『デパートや複合施設のある翠玉(すいぎょく)駅周辺か、郊外のショッピングモールかな。緋彩はどっちがいい?』
デパート……ショッピングモール…
どうしよう、俺。
『俺、あんまり出かけたことないからよく分かんなくて……』
服はファストファッションで済ませているし、賑やかな場所にはあまり近づいたことがない。だから、どこに行きたいか、と言われると何があるのかわからないから決められない。
『じゃあ、駅前にしようか。ショッピングモールは混み合うし』
『わかりました』
『じゃあ、待ち合わせ場所どうしようか? 駅までは遠い?』
うちから駅までは多少距離はあるけどバスがある。
『駅で待ち合わせで大丈夫です』
『わかった。じゃあ、十時に駅前のコンビニで待ち合わせでいい?』
『わかりました』
俺、出かけるのか、浅木さんと。
そう思うと緊張してきた。
蒼也と離れて誰かと一緒にいられるなんて、そんな日が来るなんて。夢のようだった。
このまま蒼也が俺を諦めてくれたらいいけれど、アルファの執着心は人一倍強いことを考えると油断できないだろう。
俺は毛布を被り、ひとり祈る。
どうか、蒼也に運命の番が現れて俺なんて見なくなりますように。
翌日、水曜日。
ビクビクしながら大学に行き、ドキドキしながら昼休みを迎える。
ざわめく中庭を足早に通り過ぎ、俺は医学部棟に向かう。
蒼也、現れないだろうか? 辺りを見回しながら歩いていたら目が疲れてしまい、途中で浅木さんを見つけるとほっとして思わずその場にへたり込んでしまった。
「ちょっと、大丈夫?」
心配そうに、浅木さんが俺の隣にしゃがみ込み背中に手を置く。
一瞬ビビったけれど、この人は大丈夫なんだと思い出し、余計に力が抜けていく。
いいや、違うか。この人の力だろう。キャンセリング能力で、俺の雷の力、無効化されてるのか。
このままこんな力なくなってくれたら俺、もう手袋しなくても安心して生活できるのにな。
「緋彩? ねえ、緋彩ってば」
「え? あ……すみません、安心したらちょっと力抜けちゃって」
「安心て……とりあえずそこに座り込んでいたら目立つから、もう少し歩ける?」
歩ける。
大丈夫。俺は自分でちゃんと歩けるから。
俺は頷いて、ゆっくりと立ち上がった。
浅木さんに支えられつつ俺は、カフェテリアに向かう。とりあえず椅子に座り、一息ついた。
「僕ちょっと買い物してくるから、待っててね」
そう言って、浅木さんは去って行く。
その背を見送り俺は、カフェテリアを見回す。
――いない。蒼也はどこにもいない。
来るわけないよな、ここまで……来ないでほしい、もう二度と。
俺の心はまだ蒼也に囚われたままだ。解放されるまではまだ時間がかかりそうだな。
「お待たせ、大丈夫?」
パン二個とカフェオレの入ったカップを持って戻ってきた浅木さんは、テーブルに買って来た物を置くと、そのまま席に座らず俺の顔を覗き込む。
この人、けっこう綺麗な顔してるよな。優しげな美青年、って言えばいいんだろうか。
目の前に顔が来るとちょっとドキッとしてしまう。
「だ、大丈夫です……昨日、ちょっとあって」
そう答え俺は下を俯く。
「あぁ、もしかして弟さんのこと?」
椅子に座りながら浅木さんが言い、俺はだまって頷いた。
「昨日……あいつうちに来てそれで……もう来るなって言ったんです」
「それで、彼は納得したの」
その言葉に俺は首を横に振る。
「たぶん、納得なんてしてないと思います。あいつの俺への執着すごいから」
「まあ、アルファってそうだからね。一度捕らえた獲物は、そう簡単には手放さない」
獲物。確かに俺はあいつにとって都合のいい獲物だっただろう。
兄弟だから、好きな時に抱いて、しかもどんなに手ひどく扱っても俺は逆らえなかったんだから。
「さっき見えたけど、首、噛まれたんだね」
言いながら浅木さんは、カフェオレの入った透明なカップにくちをつける。
アルファだもんな、首を噛む意味、わかっちゃうよな。
俺は右手で首の後ろに触れる。そこには確かに、傷痕がある。あいつがつけた噛み痕。所有物である証。もう会わないって言ったのに、こんなものつけやがってあいつ。
「前はなかったから、よほど君を離したくないんだろうね」
俺にとって、その執着心はただ恐ろしいだけだ。
兄弟なのに。
俺はあいつに逆らうことができず、何度も抱かれてきた。
でももう終わりにしたい。
俺は俺の世界を変えたいんだ。
俺は首を横に振り、
「もう、終わりにしたいんですこんなの。あいつの呪縛から、俺は逃げたいんです」
「兄弟ってところがちょっと厄介だけど、僕は君に協力するよ」
こんな面倒なことに関わるこの人は、本当に変な人だ。
俺は顔を上げて浅木さんを見る。すると彼はカップを持ったまま肘をつき、こちらを見て笑顔になる。
「そんな苦しそうな顔しなくても、僕は大丈夫だよ。僕は自分の力が役立つのが嬉しいんだから」
そんな顔しているだろうか。いいや、しているか。
俺が本気で抵抗したら、蒼也は俺に手も触れられないんだよな……
でも俺は一切抵抗してこなかった。
それはもう終わりにしよう。こんど蒼也が俺に触ってきたら俺は力を使ってでも逃げる。
そう決意して俺は、ぎゅっと拳を握りしめた。
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