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第10話怯える日々

 その次の日も、その次の日も蒼也は現れなかった。  何の連絡もなく、親からの連絡もない。  俺は昼休みは奏さんと過ごせるからいいけど、夕方からが一番怖かった。 「送っていこうか?」  と、奏さんに言われたけど、そんなにお世話になるわけにはいかない。  俺はその申し出を断り、家へと帰る。  蒼也の車はない。大丈夫、大丈夫だからと言い聞かせて震える手で玄関の鍵を開けて中に入った。  中は暗い。玄関の灯りをつけ、靴を脱いで中に入る。  ちゃんと玄関に鍵をかけたか二回、確認して、俺は廊下を進みリビングへと向かった。  良かった。誰もいないし、誰も来ない。  バッグを下ろすと、スマホが鳴った。  びくびくしながらスマホを見ると、相手は奏さんだった。  よかった。蒼也じゃなくて。  がたがたと震えたまま、俺は冷蔵庫から麦茶の入った冷水筒をだし、コップと一緒にリビングのテーブルに置く。  そしてソファーに腰かけてメッセージを確認した。 『大丈夫? 無事に家に着いた?』 『はい、大丈夫です』  まだ震えは止まらないけれど、誰もいない家には心底安心する。  このまま蒼也が現れないようになればいい。  そうすれば俺の心は、俺の生活は平穏なものになるんだから。  そして俺は、蒼也の呪縛から何とかして逃れたい。   『なら良かった。あれ、緋彩ってひとり暮らしだっけ?』 『そうです。実家、出てるんで』 『じゃあ弟とは別に暮らしてるの?』 『はい、いろいろあって。俺、家にいられなくて』 『そっか。弟がうちにきて、って言ってたのが気になってたんだけど、別々に暮らしてるって意味だったんだ。じゃあ、家にいればとりあえず安全、なのかな?』  とりあえずは。安全。  俺は頭の中で安全だと繰り返す。  蒼也から鍵は奪った。  父と、あとお手伝いさんが鍵を持っているんだよな……そこからスペアを作られなきゃいいけど。  それだけが気がかりだ。 『たぶん。早く相手を見つけて、俺になんてかまえなくなるくらい相手に溺れてくれたらいいのに』  思わず本音を送ると、笑顔のスタンプが返ってくる。 『ふつうのアルファなら、オメガに嫌でも溺れると思うけど』  そうだよな。ふつうのアルファなら……そうあってほしい。見合いしてさっさと誰かと番になればいい。  そうしたら俺は、本当の意味で解放されるんだから。 『じゃあ、明後日、日曜日』  あぁ、そうか。今日は金曜日で、明日は土曜日で。明後日が出かける日であると気が付く。  誰かと一緒に出掛けるなんて初めてに等しい。  何を着て行けばいい?  いいや、ふつうでいいのか。大学に行く時と同じで。なんだか妙に緊張してきた。  俺は、自分の手を見る。  黒い手袋はずっとしたままだ。  奏さんには、俺の力は通じない。それはわかっているけど、でも手袋を外す勇気はない。本当はとっくにいらなくなっている手袋だけど。俺にはお守りであり、精神安定剤だ。  あの人の前でだけでもこれを外せるようになったらいいけど。  そして、日曜日が来た。  今日まで一切、蒼也を見ていない。そのことが嬉しくもあり怖くもある。  両親からも連絡は来ないし、本人からも何も言ってこない。  大丈夫。大丈夫だからと俺は自分に言い聞かせ、ジーパンにボーダーのカットソー、それにベストのパーカーを着て家を出た。  近くのバス停からバスに乗り、十五分少々で駅に着く。  駅前は人が多かった。  学生、カップル、親子連れ。  人々は駅前にあるデパートや複合商業施設、家電量販店などに向かって行く。  それ以外に商店街もあり、とてもにぎわっていた。  あまりの人の多さに思わずひいてしまう。  やべえ、こんなに人がいるところに来るの、久しぶりすぎて気持ち悪くなりそう。  俺はイヤホンをした耳に触れ、下を向いて待ち合わせ場所に向かう。  コンビニは、ひっきりなしに人が入りそして、出て行く。  人が多く、怖くて周りが見られない俺は、人の波を避け、壁に背を預けて下を向いていた。 「緋彩」  イヤホンの向こうで名前を呼ばれた気がして、俺は驚き顔を上げる。  目の前にいたのは奏さんだった。  その顔を見て、思わずほっとする。  良かった。蒼也じゃなくて。  俺はイヤホンを耳から外しながら言った。 「奏さん、おはようございます」 「おはよう、緋彩」  彼は微笑み、俺に手を振ってくる。 「顔色悪いけど、大丈夫?」 「え? あ……だ、大丈夫、です」  人にちょっと酔ったかも知れないけれど、気分はそこまで悪くない。 「あの、こういうところあんまり来たことなくて……だからちょっとびっくりして」 「そっか。人、多くて驚くよね。僕も久しぶりに来たけど、今日はいつもより人が多いかも」  と言い、苦笑する。俺は奏さんの背中の方へと視線を向ける。  ひっきりなしに通っていく、人、人、人。  多くは笑顔で……俺なんかとは違う世界の住人のようだ。  俺はあんな風に笑えない。手だって繋げないし、あんな風に幸せな顔もできない。  俺、かなり重傷かも。蒼也によって俺が壊されたものは、たくさんあるのかもしれない。   「緋彩、はぐれないようにしないとね」  いたずらっぽく笑い、奏さんは俺に手を差し出してくる。  俺は思わず半歩下がり、ふるふると首を横に振った。  さすがにそれは無理だ。  誰かと手を繋ぐなんて、今の俺には早すぎる。  怯えた目で見ていると、奏さんは手を引っ込めて、 「ごめんね、まだ早いよね」  と言い、その手をジーパンのポケットにしまう。  気を悪くしてしまっただろうか?  すごく悪いことをしてしまったような気がして俺は、下を俯き、 「すみません」  と小さく呻く。 「そんな、謝る事じゃないよ。ただ、はぐれないように僕のそばには着いていて欲しいな」  その言葉に俺は小さく頷いた。

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