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第12話大丈夫
震える手で玄関を開け、家の中に入る。
「お邪魔します」
続いて奏さんが入ってくる。
俺は玄関の鍵を掛け、大きく息を吐いた。
そして、玄関から廊下を見る。
真っ暗な廊下の向こうにあるリビングは、もちろん暗い。
玄関だけが明るくて、そして、がらん、としている。
人がいる気配はない。
大丈夫だ、と言い聞かせながら、俺は靴を脱ぎ、廊下の灯りを点けて奥へと進む。
十畳ちょっとある、ひとり暮らしには広すぎるリビングには誰もいなかった。ち
明かりを点けて改めて室内を見回す。
ソファーに、テレビ、スチール棚。
カウンターキッチンの向こうにも誰の姿もない。
俺は安堵して、ソファーにどっと腰かけてた。
暑くもないのに変な汗が流れてる。
「緋彩?」
声をかけられ俺は、奏さんがいることを思い出す。
彼は遠慮がちにリビングに入ると、辺りを見回していった。
「誰もいないみたいだね」
「あ、はい。いるわけはないんですけど……怖くて」
言いながら、俺は下を俯く。
中学からずっと、俺はあいつに好きなようにされてきた。
もう、そんな日々は終わりにしようと思って、蒼也を突き放したけどでも……いいんだろうかって思いはずっとある。
俯き首に触れると、傷痕があるのに気が付く。
蒼也に抱かれた時に、うなじにつけられた噛み痕はまだ消えない。
「その傷、まだ消えないんだね」
背後から声がかかり、俺は無言で頷く。
絶対に番にはなれないって言うのに。
あいつは俺に噛み付いた。
「彼の、君への執着がかなり強いみたいだけど、なんでだろう?」
「さあ、俺にはわからないです」
「普通、そういうのってオメガに向かうものだけどねえ。なんで血縁の、しかもベータに向けるんだろう?」
その理由は俺には心当たりがなかった。蒼也は、俺しかいないとか言うけど……そんなわけあるかよ。
あいつは親の愛情を一身に受けていたし、オメガと見合いしたとか言っていたんだから、俺じゃなくてもいいはずだ。
俺は自分の両手を見つめる。
蒼也の前でもほとんど外したことのないこの手袋をしていれば、母親は機嫌がよかった。
少なくとも、怒られたり叩かれたりすることはなかった。
俺はたいして可愛がられなかったけど、蒼也は違ってた。
いつだって母親は蒼也を抱きしめたり、褒めたりしていたし、可愛がっていた。
双子でも大きく違う。
なのに、中学二年生になって、あいつがアルファで俺がベータだと確定した後からあいつは俺を抱くようになった。
この手で、あいつを傷つけたくないから、できれば触ってほしくなかったのに。
俺には人に触れれるのは恐怖でしかない。
この力で何人も驚かせたり、時には気絶させてきたから。
「緋彩? 緋彩ってば」
肩に触れられ、俺は思わずびくっと身体を引き、目を大きく見開き奏さんを見る。
いつの間にか、彼は俺の隣に腰かけていた。
奏さんに触れられ、力が抜けていく感覚を覚えるけれど、それ以上に誰かに触られた、という恐怖の方が先に立つ。
俺は思わず怯えた目をして奏さんを見てしまい、はっとして下を俯いた。
「す、す、すみません。ちょっと、びっくりして」
「あぁ……ごめんね。つい。触られるの、苦手なんだよね」
「すいません……苦手って言うか……怖くて」
奏さんを傷つけることはない、それはわかっているけれど、急に触られると身構えてしまう。
「広い家だね」
「父方の祖父母の家なんです……高校に上がった時から俺、ここに住んでて」
「珍しいね、高校生でひとり暮らしだなんて」
それはそうだろう。
俺も、高校生でひとり暮らしをしていたやつを知らない。
「とりあえず、生活費はちょっと、父さんに出してもらえてるんで……不便はないですけど。でも……蒼也は鍵を持ってたから、いつでもここに勝手に入れたんです」
でも、その鍵はもう蒼也の手を離れた。
鍵を変えることを考えたけど、さすがに父親に内緒で変えるわけにもいかないし、金もかかる。
本当に変えるとしたら、理由を言わなくちゃいけないだろう。
さすがに言えるわけがない。
「あぁ、それじゃあここで……」
と言って、奏さんは黙ってしまう。
ここで俺は何度も蒼也に抱かれた。
それは変えようのない事実だ。
でももう、終わったはずだ。
蒼也がもう二度と、ここに来なければいいと俺はずっと願ってる。
「はっきり言ってもらって大丈夫ですよ。あいつに抱かれてたのは事実だし」
「ふつう、兄弟って忌避するのもだけどね、本能的に。何かきっかけがあったのかな」
きっかけ。
なんだろうな。
たしか、あいつが俺を初めて抱いたのは、俺とあいつのバース性が確定した時だ。
たしか、あいつは親に呼ばれて……その夜俺のところに来て……
その前はどうだったっけ。
俺が友達傷つけて泣いたとき、いつもそばにいたっけ。
ふと思い出し、胸に痛みが走る。
子供の頃の記憶に、ろくなものはない。
力のコントロールができなくて、電気機器を壊し、人を傷つけてきた。
そのたびに母には怒られたし、友達は皆遠ざかっていった。
俺はいつもひとりだった。
いたのは……蒼也だけだ。
そうだ。
子供の頃、俺は蒼也だけだったんだ。なのにあいつは俺を、性奴隷にして好き勝手やって来た。
胸の痛みがひどくなり、俺は胸の前で腕を組み身体を丸める。
「緋彩?」
名前を呼ばれても返事ができず、俺はぜーはー、と苦しい息を繰り返した。
嫌だった。
ずっと。
蒼也に抱かれるのも。ひとりなのも。
けれど俺はこの力で人を傷つけてしまうし、誰にも近づけなかった。
俺の世界は蒼也だけだったけどそうだ……今は奏さんがいる。
奏さんに、俺の力は通じないっていう事実は、俺に安心をもたらす。
背中に、奏さんの手が触れる。
力が抜けていく感覚に安心感を覚え、俺は大きく息をついた。
大丈夫。
俺は、奏さんは、大丈夫だから。
そう自分に言い聞かせて。
「だい、じょうぶです。俺は。まだ、蒼也の事でぐらぐらするけど、でも……時間が経てばきっと、大丈夫ですから」
「彼が君に執着していた理由がわからないと根本的な解決にはならない気がするけれど、なんとかなるといいね」
言いながら、奏さんは俺の背中を撫でた。
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