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第26話お手伝いさん

 四月二十八日木曜日。  朝、家を出る前に俺は大きなキャリーバッグに荷物を詰め込んだ。  タブレット、タッチペン、充電器。教材に、着替え。  これで、奏さんが来てくれたとき、すぐに必要なものを持ち出せる。  連休中、ずっと奏さんの家にいるなら、お手伝いさんに連絡しておかないと。  月初めの週末に、いつもお手伝いさんが来て掃除をしてくれる。  そして俺の様子を父に伝えている、らしい。  お手伝いさんの名前は、石和このはさん。俺が、六歳の頃から来てくれている人でたぶん、四十歳は超えている。  そろそろ彼女からいつに来る、という連絡が来る頃なので、俺は連休中、家を留守にするとメッセージを送った。 『おはようございます、緋彩さん。家にいらっしゃらないのなら、お庭だけ掃除させていただきますが、よろしいですか?』  そう返事が来て、俺はそれで大丈夫だと返信する。 『わかりました。ところで、緋彩さん。差し出がましいとは思いますが、蒼也さんとはご連絡を取っていますか?』  蒼也の名前を見て、胸に痛みが走った。  このはさんは、あまり俺たちのことに干渉してこない。  遊んでくれたり、話し相手になってくれたりはしてきたけれど、だからといって深入りはしてこない人だ。  たぶん、俺と蒼也の関係なんて知らないだろう。 『最近は連絡取ってないけど、何かあったんですか?』  ドキドキしならがら、不自然に思われないようにそう返す。 『蒼也さん、最近お付き合いを始めたようなんですが……旦那様との言い争いをされていたので……』  蒼也と父さんがケンカ。  意外すぎる。  蒼也は父さんを畏怖しているはずだ。  同じアルファの中でも格のようなものがあるらしく、父さんには敵わない、みたいな事を言っていた。  ケンカになんてなりえるのだろうか?  父さんからも、母さんからも何の連絡もない。それは、嵐の前の静けさのようなものなんだろうか?  蒼也……付き合っている相手がいるならなんでそんなケンカになんてなるんだ? 『大学に通われるようになってから少し様子が変わったように思いましたので……でも、おふたりとももうすぐ十九歳ですもんね。来月、誕生日ですし』  誕生日、という言葉を見て、自分があと一か月で十九歳になることを思い出す。  小さい頃はプレゼント貰ってケーキを食べたっけ?  ……家を出るまでは家族で祝っていたな。  さすがに中学になってからはバースデーケーキを用意してみんなで祝う、というのは恥ずかしさが出てきたけど。  ……母親に疎まれていた、という思いでが強すぎて忘れてた。  暗い部屋、ともるろうそく、プレゼント。笑顔の家族。  当たり前で普通の光景なのに、思い出すと胸に鈍い痛みが走る。  高校から誕生日なんて祝ってないけど……蒼也がケーキ買って来ていたっけ。それに、このはさんがご飯作ってくれて……  家族との思い出は、楽しいものもちゃんとある。なのに思い出すのは哀しい記憶ばかりだ。  蒼也が……俺を抱かなければ。  こんな力がなければ。  普通の家族でいられたのかな。 『すみません、変なことを言いまして。お誕生日には何が食べたいですか? リクエストがあれば、教えてくださいね』  このはさんからそうメッセージが来て俺は我に返り、ありがとう、とだけ返事を書きスマホをジーパンのポケットに突っ込んだ。  いつもより早めに家を出てバスに乗り大学へと向かう。  イヤホンで音楽を聞きながら、俺はこのはさんのメッセージの事を考えていた。  蒼也に恋人ができた。  まあ、アルファだし、オメガとの見合い話はいくつも来るだろう。  国は、アルファとオメガを管理し、適齢期になると見合いをすすめてくるようになると聞く。  その誰かと付き合い始めたんだろうか。  ならいいことだろうに。なんでケンカなんてしているんだろうか。  俺は、スマホをポケットから出して真っ黒な画面を見つめる。  父さんも母さんも、俺には滅多に連絡を寄越さない。  父さんとは月に一度、連絡を取るかどうかだし、母さんなんてそれ以下だ。  蒼也に異変があったのなら、母さんから何か言われそうだけど……何にも言ってこねえしな。  だからと言って、俺から連絡取ることもしない。  母さんは、俺がアルファでもオメガでもないのを知った時、あからさまにショックを受けていた。  俺がアルファだったら、こんなふうに親との関係もこじれなかっただろうか?  蒼也との関係に苦しむこともなかっただろうか?  ……そんなこと思ったって、性別は変わんねえしな。  どうあがいたって、俺はベータだ。アルファの匂いもオメガの匂いもわからない。  なのに俺は、アルファである弟に抱かれ続けて……今もまた、奏さんと言うアルファに囲い込まれようとしている。  奏さんの囲いは、蒼也のよりもずっと心地いい。  蒼也は俺の想いなんて無視して、自分の感情を押し付けるだけだったから……  なんであいつは、俺を抱くようになったんだろう。  あの日まで、俺とあいつの仲は普通だったのに。  俺はスマホのロックを解除して、メッセージアプリを開く。  そして、蒼也の名前を恐る恐るタッチした。  あいつが俺に連絡してくることは殆どない。俺の都合など無視して勝手に家に来て、俺を抱いていたから。  俺から連絡すると言ったからには連絡しなければ。  いつまでも避けていたって、事態は何も変わらないし……家にいられない時間が増えるだけだから。  震える手でメッセージを入力し、そして、送信ボタンを押そうとしたとき。  バスが止まった。  大学近くのバス停に停まったと知り、俺は慌てて人の波に乗りバスを降りる。  俺は、スマホを握りしめたまま俯き、大学へと急いだ。

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