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第27話誘い
講義がある教室に入り、目立たないよう隅に座る。
友達と呼べるほど仲がいい学生はいないため、俺はひとり俯きスマホの画面を見つめていた。
蒼也へのメッセージを入力したものの、送信ボタンを押せてない。
五月七日土曜日に会えるか?
たったそれだけのメッセージなのに、送信ボタンを押そうとすると震えてしまう。
でも送らなくちゃ。
このまま怯えていても、なんにも変わらないんだから。
「よお、羽入、おはよー」
「……!」
急に背中を叩かれ、驚き顔を上げると同じゼミの水瀬が隣りに立っていた。
「え、あ、お、おはよう」
ドキドキしながら答え、俺は視線をスマホに戻す。
叩かれた拍子にスマホに触れた気がしたけれど……案の定、送信ボタンを押してしまっていた。
「あ……」
すぐに既読がつき、俺の心臓がばくばくと音をたてる。やばい、どうしよう。
講義まだ始まってねーもんな……
返信、くる……?
「羽入、ゴールデンウィークて予定あるの?」
「え、あ、え?」
隣に腰掛けた水瀬が、バッグから教材を取り出しながら言った。
「な、なんでそんなこと」
水瀬とはそこまで関わりがない。
たまに話をするくらいだ。誘われるなど想定しておらず、そもそもこんなふうに隣に座ってくることもなかった……と思うので驚きの連続だった。
彼は頬杖をつき俺の方を見て、笑って言った。
「市立美術館でさ、近代アート展があるから行こう、て話しててさー。お前もどうかなって思って」
近代アート展。
その言葉には正直惹かれるものがある。
その展示会のポスターは学内にも貼られていたっけ。デジタルアートのほか、球体関節人形や彫刻なども展示されるらしい。
「ば、バイトあるから日によるけど……」
顔を引きつらせつつそう答えると、水瀬はスマホを取り出して言った。
「じゃあさ、連絡先教えて! あ、そんなに大人数じゃねーから」
「あ……うん、わかった」
水瀬の勢いに引きずられるまま、俺は彼と連絡先を交換した。
やばい、こんな風に人と連絡先を交換するのは奏さん以来だ。
俺みたいな陰キャに陽キャの水瀬が話しかけて、しかも誘ってくるのが意外でならなかった。
こいつは何を考えているんだろうか。
同じゼミだし、講義が被るので顔を合わせれば話はするけれど。話す内容と言えば絵とか講義の話だ。プライベートな話はほとんどしたことがない。
「どこでバイトしてんの? 俺はコンビニ」
「あ、えーと……駅前の家電量販店」
「あー、あそこね。じゃあ連休忙しいじゃん?」
「たぶん……でも、毎日じゃないし」
たぶん、忙しいとは思う。
その忙しさは想像できないけれど。
そんな話をしている間にチャイムが鳴り響き、教壇に教授が立つのが見えた。
スマホを鞄の中にしまう前に、俺は着信を確認するが、返信はないようだった。
てっきりすぐ返信が来ると思ったのに。
俺は鞄の中にスマホを放り込み、正面を向いた。
一限目の講義の間、俺は気が気じゃなかった。
見ないように、そう思って俺はスマホを鞄の中にしまったけれど……気になって仕方なかった。
そもそも蒼也だって講義中だろう。
そう思うのに……俺はちらちらと鞄の方を見てしまう。
結局、九十分の講義の間、殆ど集中することができず、終わった時俺は急いでスマホを鞄の中から取り出した。
着信の知らせはない。
ほっとしたような、残念なような、複雑な気持ちで俺はスマホを見つめた。
「羽入、お前どうかしたの? 深刻そうな顔してるけど」
「え? あ、い、いや」
不思議そうな顔をする水瀬の方を向き、俺は首をぶんぶんと横に振る。
「な、な、何でもない」
「何でもない感じしねーけど……ところでさ、前から聞きたかったんだけど、お前の弟、男と腕組んで歩いてるみたいだけど、弟、アルファなの?」
男と腕組んで歩いている。
蒼也が俺以外にそんなことをしているのが不思議でならなかったけど、付き合っている相手がいるなら当然か。
オメガとデートしたとか言っていたし。
俺にとってそれは安心を呼ぶ出来事なはずなのに、なんだか気持ちが落ち着かない。
蒼也は……本当にそれでいいんだろうか。
望まない相手と付き合うことが幸せなことなんだろうか?
……って、俺、何考えてるんだ。
蒼也はアルファだ。俺なんかの相手をしているよりオメガの相手をする方が言いに決まっている。
そして……そのままオメガにはまればあいつは俺なんて目もくれなくなるだろう。
でも、オメガとデートした後に、あいつは俺の前に現れたんだよな。
そこまで俺に執着する理由がまじでわからない。
俺は……ベータで、あいつの兄なのに。
俺が何も答えず俯いてしまうと、水瀬は慌てた様子で言った。
「ご、ごめん。こういう話題ってセンシティブだよな。ちょっと気になってさー。たまたま見かけたんだけど、なんかお前の弟、変だったからさ」
「……変?」
俺は顔を上げて水瀬を見る。
彼は腕を組み、視線を上にあげて言った。
「相手の男……まあ、けっこう小柄だったし雰囲気からしてオメガなんだろうなって思ったんだよ。そいつの方はお前の弟にべたべただったけど、弟の方はそうでもなくって。アルファってオメガのフェロモンには逆らえないって言うだろ? だからなんか変な感じがしたからさー。アルファでもオメガのフェロモンきかないとかあるんかなって思ってさ」
そんなの、俺にわかるはずがない。
戸惑っていると水瀬は不思議そうな顔をして俺の顔をまじまじと見つめた。
「でも、お前、アルファじゃねーよな?」
「そ、そ、そうだよ。俺はベータだ」
「双子なのに珍しいな」
「二卵性だからだよ」
言いながら俺は水瀬から視線を外す。
この問答は今まで何度もしてきた。
弟はアルファなのに、なんで俺はアルファじゃないのか。
双子なのに似ていない俺と蒼也。
何が間違って、神様は俺をベータにしたんだろうか。答えは出るはずがない。
「変なこと言ってごめん。そんな深い意味はねーんだけど。なんて言うかお前の弟、普通じゃない感じがしたからさー。トラブル起きないといいな」
トラブル。
ある意味それはもうずっと前から起きている。
俺は中学生のときからあいつに抱かれてきたんだから。
そして今も、その事に苦しんでいる。蒼也戸の事を、俺は早く終わらせたい。そして、俺は……俺の人生を歩みたいから。
結局、夕方になっても蒼也から返信は来なかった。
それはそれで心配になってくる。だからと言って父さんや母さんに聞こうという気にもなれず、俺は気にしないようにしようと思い、奏さんを待つ間タブレットで課題をやることにした。
奏さんは実習があるから遅くなる、と言うので俺は医学部棟のカフェテリアで彼を待つ。
ゴールデンウィーク中も大学に来なければならない日があると、奏さんは言っていた。
俺はそこまでじゃないけど、課題がいくつか出されている。
スマホで音楽を聞きながら課題をやっていれば、蒼也の事を忘れていられる。
ジュースを飲みながら作業をしていると、肩をぽん、と叩かれてはっとして振り返る。そこにはトートバッグを提げた奏さんが立っていた。
俺は慌ててイヤホンを外し、タブレットとタッチペンをしまい立ち上がった。
「お待たせ」
と言い、彼は微笑み俺に手を差し出してくる。
時間は七時近く。
辺りに人の影は殆どない。とうに日も暮れていて、外は暗闇が包んでいる。
俺は一瞬迷った後、ゆっくりと手を出して彼の手を握った。
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