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第33話父と。

 五月一日日曜日。  今日は、父に会う。  奏さんは少々不満みたいだけど、さすがに一緒に行くわけにはいかない。 「大丈夫なの?」  玄関で靴を履こうとする俺を抱きしめる腕の力がやたら強い。  大丈夫じゃない、と言ったら嘘になるけど……でも話があるって言うし、父親だから断るわけにもいかないだろう。  ジーパンにTシャツ、パーカーを羽織りグレーの帽子をかぶった俺は、奏さんに笑いかけて言った。 「大丈夫ですから、行ってきます」  それでも嫌そうな顔をする奏さんを振り切り、俺は彼の家を出て駅前に向かった。  連休の日曜日。  さすがに人通りが多い。  カップル、家族連れ、友達連れなどが駅前にある大型店に吸い込まれては出てくる。  天気は晴れ。  最高気温は三十度とか言っていた。それって夏じゃないか。  確かに日差しは強い。  帽子を被ってきてよかった。  俺は人の波を避けながら駅前のロータリーに急いだ。  時刻は十二時五十五分。  父親が乗る、銀色のセダンがロータリーにいるのが見えた。  ナンバーを確認すると、間違いなく父の車だった。  俺は足早に車に近づき助手席のドアに手を掛ける。  中にいるのは、俺よりも蒼也によく似た冷たい雰囲気の男性。  焦げ茶色のジャケットに白と黒のボーダーのカットソーを着た父は、かなり若く見える。  それはそうだろう。父は確か四十を過ぎたばかりなはずだ。  俺の世代の親にしてはかなり若い。   「緋彩」  父に微笑みかけられて、俺は思わず固まる。 「とう、さん……」  父に会うのは多分、入学式以来だ。  だからそんなに久しぶりじゃない。なのに俺は妙な緊張感を抱いてしまう。  なんとか助手席に乗り込むと、父さんは車をゆっくりと動かし始めた。  すると、がちゃん、と鍵のかかる音が響く。 「お昼は」 「食べてきた」 「さすがにそう言う時間か。とりあえず、店を予約してあるから」  店を予約。  いったいどこに行くんだろうか?  車は駅前を離れ郊外へと出る。  大きなショッピングモールや大型店が多く建ち並ぶ通りにでると、そこにあるレストランに車は入っていった。  見るからに高そうな店だけど、まあ、父さんならこういう店、選ぶよな。  車を降り、中に入ると案内された部屋は個室だった。  薄い青のテーブルクロスのかけられたテーブルに、向かい合うように置かれた椅子が二つ。  ステーキの店らしく、高そうなステーキやハンバーグがメニューに並ぶ。  俺は正直腹が減っていないので、パンケーキとカフェオレを注文した。  父はお昼を食べていないらしく、ステーキにパンやサラダがついたセットを注文した。  お店の人が去り、ふたりきりになって俺はどうしたらいいのかわからずテーブルを見つめ固まっていた。  父さんとふたりきり。  別に初めてじゃないのになぜかすごく緊張する。   「緋彩……恋人でもできたのか」 「え、あ……え?」  驚き俺は、顔を上げて父さんを見た。  一重の茶色の瞳が俺を捉える。  父さんはテーブルの上で手を組み、静かに言った。 「お前から、アルファの匂いがする。それも、かなり強い。部屋にいただけでそんなに強い匂いはつかないだろう」  その言葉の意味するところに気が付き、俺は顔中が熱くなるのを感じて俯いた。  恥ずかしすぎる。  そうか、アルファとかオメガは特有の匂いが合って、彼らは匂いで誰がアルファでオメガかってわかるんだっけ。  ……そんなに匂いがするのか?  俺にはそんな匂いわからないから、気が付きもしなかった。   「だから緋彩。蒼也がお前に何をしてきたのかは気が付いていたよ」  その言葉を聞いて、心臓を鷲掴みにされたような気がした。  あぁ、そうか。そういうことか。  俺が奏さんに抱かれて匂いが付くのなら、蒼也に散々抱かれた俺に、蒼也の匂いがかなり濃く着いていてもおかしくねえもんな。  なんだよそれ……  気が付いてたって……じゃあなんで……止めなかったんだよ?  俺は、じっと、父さんを見る。  言いたいのに、声にならない。 「何度も止めたよ。それでもあいつは止めなかったし、その力で私や瑠依を黙らせてきた」  あぁ、そうか。  蒼也はわずかな間だけど心を支配し操れるから……父さんや母さんの心も操ったのか。 「だから私は、蒼也に早い段階からオメガに引き合わせてきた。番ができればお前への行為をやめるだろうと思ったんだが……」  そして父さんは小さくため息をつく。  それって徒労に終わってたってことだよな。  だって蒼也は俺が家を出た後も俺を月に一度、抱き続けたんだから。 「お前が家を出て少しは変わるかと思ったが、月に一度、お前の所に泊まるのは止められなった。無理やり連れ帰れたら良かったのかもしれないが、そうしたところで結局あいつがもつ力で、私は支配されただけだろう」  それは理解できる。  だって、蒼也はそうやって俺を抱いて来たから。  やばい、手が、身体が震える。  俺は両親に、蒼也とのことを知られたくなかった。  兄弟に、弟に抱かれてるなんて知られたいわけがない。  でも心のどこかで助けてほしい気持ちが無かったと言ったら嘘になる。  蒼也の暴走を止められるのは両親だけだという思いはあったから。  でも蒼也は人の心を支配できる。  蒼也は父の言う事は比較的聞くはずだけど……でも俺の事は譲れなかったんだろうな。  なんでそこまで俺に執着するんだよ? 「高校を卒業して、本格的に国から蒼也に見合いの話が来るようになった。そうしたらとりあえず形だけでも見合いをして、最近は交際するようになったみたいだが……相手に対してひどい扱いをしたようで、それで怪我をさせたらしい」 「……怪我?」 「あぁ。それで痕が残ったらしくあちらの親が怒り心頭で。けれど相手のオメガは、蒼也と別れたくないと言っているらしい」 「怪我ってどんな」  顔を上げて震える声で尋ねると、父さんは自分の手首を見つめ、 「手首と、足に傷が残っていたらしい」  と言った。  それって……縛った、のかな。俺も縛られたことがあるし、痕が残って困ったことがある。  俺以外にもそんなことやるのかよ。ンなことしなくても、オメガなら逃げねーだろうに。 「蒼也に注意はしているが、話しかけても上の空で最近ずっと様子がおかしくて。今日お前に会って理由がわかった」 「そ、それって……」 「まさか、お前の相手がアルファだと思わなかったよ。それで蒼也は、突然オメガと付き合うと言い出したのかと納得した」  そこで父さんは口を閉ざした。  お店の人が料理を運んできたからだ。  俺の前にパンケーキののったお皿とカフェオレが置かれて、父さんの前にはサラダが置かれた。  たぶんステーキはもう少し時間がかかるんだろうな。  生クリームがたっぷりのったパンケーキ。シロップは別で白い器に用意されている。   「私に構わず食べなさい」  父さんに言われ、俺はパンケーキにシロップをかけてフォークとナイフを手に持った。 「緋彩」 「何」  返事をしながら、俺は二段のパンケーキにナイフを入れる。 「済まない。知っていながら、蒼也を止められなかった」  その言葉に俺の手が思わず止まる。  謝られてもどうにもならないだろう。蒼也は人の心に干渉できる。それよりも、父さんが蒼也を止めようとしているにも関わらず、蒼也は全然聞く耳をもたなかったのがちょっと意外だった。  蒼也は父さんの言う事はわりと聞くはずだ。  実際、俺と暮らしたいと蒼也が言い出した時、蒼也を止めたのは父さんだし、ちゃんと蒼也は言うことを聞いたんだから。  でも、蒼也は行為をやめようとしなかった。  かたかたと、手に持つフォークとナイフが音を立てる。  こんなんで、俺、蒼也と対峙できるだろうか……? 「蒼也は……あれがなぜお前に執着するのか私にもわからない。あいつはアルファで、お前はベータ。無いわけではないが、オメガよりもベータであるお前に執着し続けるのは、正常とは思えないが、お前に相手ができて初めて、蒼也はお前から離れざる得なくなってそれで不安定なんだろうな」  そして、父さんはフォークを手にしてサラダに突き刺した。  レタスがざくり、と音を立てる。 「来週……蒼也と、会う約束してる」 「ふたりで会うのか?」  父さんの言葉に俺は、小さく頷く。 「で、でも……あの人が……奏さんが一緒に来てくれる約束してる、から……」  震える声で言い、俺はフォークをパンケーキに突き刺した。  気持ちが落ち着かない。  俺はフォークを握る自分の手を見る。  手には手袋をちゃんとしてきた。  大丈夫。手袋をしていれば、俺の力は暴走しにくいから。  ……一度暴走しかけたけど。  大きく息を吸い、吐いて、俺はパンケーキを口に運んだ。 「お前の恋人か」  恋人、って言われるとなんだか恥ずかしい。 「そ、そうだよ」 「済まない、緋彩。蒼也を止められるのは結局お前だけなんだろうと思う。私がいくら言っても、あいつは耳を傾けなかった。いつお前を拉致するかと心配で、勝手に部屋でも借りないかと思っていたが……今の所そういう動きはない」  さらっと父さんはとんでもないことを言う。  でも、それってあり得る話なんだよな……  アルファはオメガを閉じ込めて家から出さなかったりするって言うしから。  ……それを思うと、俺は、今の家を出たほうがいいのかもしれない。  居場所は割れているし、一戸建てなんて窓壊されたら最後だから。 「ねえ、父さん」 「何」 「俺……今の家、出てあの……一緒に暮らしたいって言ったら……」  そこで俺は父さんから目を反らし俯いた。  何言ってんだ俺。  本当に奏さんと暮らす? 「その方がいいかもしれないな。お前がそう言いだすって言うことは、相手はマンション暮らしか? それならそちらの方が安全だろう」  父さんの察しが良すぎて安心するよりも怖くなる。  俺はゆっくりと顔を上げ、父さんの顔を見た。  いつの間にか、父さんはサラダを食べ終えてフォークを置いている。 「父さん……」 「私がお前にしてやれることは少ない。だから、お前のしたいことはできる限りかなえてやりたいと思っているよ」 「あ……」  俺は、こんな風に父さんと話したことがなかった。  高校入学して家を離れてから、顔を合わせても深い話をした事はない。  蒼也とのことがばれるのが怖かったからだ。  弟に抱かれているなんて絶対に秘密にしたかったのに。でも、父さんにも母さんにもとっくにばれていたんだな。  ……しかも、止めようとまでしていたんだ。  少し心が軽くなった気がする。  七日に、蒼也と俺はちゃんと向き合えるだろうか?  怖い。けれど、向き合わないと何も変わらないから。  俺はフォークを握る手に力を込める。  もう俺は、蒼也からは逃げない。 

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