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第34話一緒に暮らそうか
父さんとの食事を終え、駅前に着いたのは三時頃だった。
本当に引っ越すのであれば連絡しろ、と言われた。
駅前のロータリーで父の車を見送り、俺は奏さんの住むマンションに向かおうと歩き始めようとしたとき、
「緋彩」
「あ……」
ジーパンに、白の大き目のカットソーを着た奏さんが、駅近くのコンビニ前に立っていた。
レストランを出るときに駅前に着く時間をメッセージで送っていたけれど、迎えに来るとは思わなかった。
奏さんは俺に近づくと、俺の手袋をはめたままの左手をそっと掴んで言った。
「お帰り」
「はい……ただ今」
お帰り、と言われるのはなんだか妙な気分だった。
長らく聞いていない言葉。まあ、ずっと、実家に近寄ってないしな……
母親がどうしているのかは、怖くて聞けなかった。母親は俺と蒼也の事を気が付いていたってことだよな。何を思ってるんだろうか。
家になんて帰らないつもりだった。
母親との思い出はろくなものがないから。
もう四年近く会っていない母親の顔はどこかおぼろげだった。
「……緋彩?」
名前を呼ばれてハッとする。
俺は目を見開いて奏さんを見た。彼は心配げな顔をして俺を見つめている。
「あ……大丈夫、です」
そう答えて、俺は思わず俯く。
父さんと話せてよかったけれど……全部知られていたのは正直ショックだった。
そうだよな……家の中で俺だけがオメガでもアルファでもない。
オメガの匂いがわからないし、アルファの匂いもわからない。
なんで俺だけが普通なんだろうか。
俺がベータでなければこんなことにならなかっただろうに。
「……帰ろう、緋彩」
奏さんは優しい声音で言い、俺の手を引いて歩き始めた。
奏さんの住むマンションに着き、俺はソファーに腰かけてぼんやりとテーブルを見つめていた。
父さんに、蒼也とのことを知られていたショックと、もう隠さなくていいんだ、という安心感が俺の中にある。
「緋彩、これ」
声をかけれてみると、テーブルに湯気があがるマグカップが置かれた。
甘い匂いがする。たぶんこれはココアだろう。
俺は顔を上げて隣に腰かけた奏さんに笑いかけて言った。
「あ、ありがとうございます」
そして俺は、ココアのマグカップに手を伸ばした。
温かい。
俺はマグカップの中を見つめたまま考えていた。
どうしてこうなったんだろうな。
蒼也が俺を抱こうなんてしなければ、こんな力さえなければこんな苦しまなくて済んだのに。
「ねえ、緋彩」
「な、んでしょうか?」
俺はマグカップをぎゅっと握ったまま、隣に腰かける奏さんを見る。
彼はマグカップに口をつけた後言った。
「夕食は、何を食べようか」
「え……?」
思ってもみなかったことを問われて俺は目を大きく見開く。奏さんは俺の方を見て笑って言った。
「ひとりなら何でもいいやって思うんだけど、人がいるといろいろ考えるんだよね。スパゲティにしようか、リゾットもいいかなって」
「リゾットなんて作れるんですか?」
「レシピ見れば何とかなるよ」
それもそうか。
スマホでいくらでも料理の作り方を調べられるもんな。
奏さん、何も聞いてこない。
俺が父さんと何を話したのか、きっと、気になるだろうに。でも俺は、どう話していいかわからなかった。
奏さんの機嫌、悪くなるんじゃないだろうか?
そう思うと怖くなる。
奏さんを怒らせたくないし、不安にさせたくない。
でも、父さんと話した、同棲の事は話して大丈夫かな……
俺は、ココアを二口ほど飲んだ後、ちらっと奏さんを見て言った。
「あの、奏さん」
「何」
「……父さんに……その、話したんです。奏さんと暮らしたいって」
そう告げた俺の声は、かすかに震えていた。
「それで、お父さんはなんて言ったの」
奏さんの声はいつもと変わらない、静かなものだった。
「その……大丈夫だって、言ってくれて……だから、俺……」
肝心なところで、俺は言葉を飲み込んでしまう。
静かな部屋に流れている音楽は何だろうか。
テレビの横にあるスピーカーから、やたら荘厳な音楽が流れてくる。これ……パイプオルガン、かな。じゃあ、クラシックだろうか。
なんだか重い沈黙を破ったのは、奏さんだった。
「そう。じゃあ、真面目に部屋探ししようかなあ。二LDKで、セキュリティがちゃんとしている所。まあ、市内で探すとなると限られるけど」
「奏さん」
「何」
「その……俺、大学に通えるなら別に、市外でも、構わないです」
きっと、その方がいいと思う。そうすれば蒼也が俺を追ってくる可能性は減るから。何も市内にこだわる理由、俺にはない。隣の市はこの翠玉市よりも人口がかなり多いから、マンションやアパートが充実しているはずだ。実際、大学には隣の市から通ってきているやつもいるし。
「そう、それなら選択肢広がるね。さすがにすぐ部屋を引き払えないから……夏休みをめどに考えようか」
夏休み。
あと二か月少々か。
そうすれば俺は……この町を出られる。
そう思うと、ちょっと心が弾んだ。その前にちゃんと、俺は蒼也と向き合って決着をつけないと。
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