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第36話対峙
公園にはたくさんの子供や散歩の人の姿が見られた。
白いドームの形をしたトランポリンの上で、子供たちがとび跳ねて歓声を上げている。
子供の頃、あんなふうにはしゃいだこともあったっけ?
蒼也と遊んで……追いかけっこしたりして。
でもそれはもう遠い記憶だ。
俺は今日、決着をつけるためにここに来た。
約束の時間の五分前。
木が多く茂る林の中で、俺は木にもたれ掛かり蒼也が来るのを待った。辺りには散策する人たちが楽しそうに通り過ぎていく。
子供がシャボン玉を吹き、木漏れ日にキラキラとひかって宙に浮かび、儚く割れてしまう。
「緋彩」
声がして、俺は目を見開いてそちらを見た。
シャボン玉の向こうに、蒼也の姿が見える。
ベージュの綿パンに、濃いグレーの上着を羽織った蒼也は酷く冷たい目をして俺を見ていた。
怖い。
蒼也に今にも襲われるんじゃないかと思うと、怖くて思わず一歩ひく。
風が吹いた。
シャボン玉は風に乗り飛んでいき、子供たちは歓声を上げてそれを追いかけていく。
人々の声は遠くなり、辺りにいるのは俺と蒼也だけになった。
いいや、きっと人はいるんだろうけれど、まるで二人しかいないような、そんな空気が流れているように感じた。
俺が一歩下がったせいか、蒼也が二歩、俺に近づいてくる。
距離は二メートルほど。これ以上近づいてほしくない。
「てっきりあいつと一緒なのかと思った」
冷たく低く、蒼也の声が響く。
奏さんもこの公園のどこかにいるはずだ。
俺が見える位置。この辺りは木が多いので隠れる場所はいくらでもある。
どこにいるのかは聞いていない。俺が無意識にそちらを見てしまい蒼也にばれてしまうかもしれないからだ。
「ひとりだよ。だって、これは俺の問題だから」
「そう。ねえ、兄さんは本気であいつの番になるつもりなの?」
「俺はいつまでもお前の相手なんてしない。俺が誰とどう生きるかなんて、自分で決める」
言いながら俺は手袋をしていない手をぎゅっと握りしめる。
大丈夫、俺は力を使える。ちゃんとコントロール出来るんだから。
蒼也に触れさせなんてしない。
蒼也の視線が俺の手に向く。
きっと、俺が手袋をしていないことに気が付いたんだろう。蒼也はすっと目を細めて言った。
「俺がどんなに願っても手袋を外さなかったのに。今、してないんだね」
「なくても俺は大丈夫だし、してなければいつでも俺は力を使えるからな。だから俺に近づくな、蒼也。お前相手でも力を使うから」
すると、蒼也は哀しげな顔になり泣きそうな声で言った。
「緋彩は俺を捨てるの」
その声に俺の心が揺れる。
子供の頃は普通だった。
でもどこかで道を間違えた。
俺は首を横に振り、震える声で言った。
「捨てるも何も、俺とお前は双子だろ? ずっと一緒になんていられないしそれに、あんな関係、続けられるわけがないじゃないか」
「なんで? 俺はずっと緋彩の苦しみを見てきたんだよ? 緋彩を守るために俺は」
あれが守ってるつもりなのか?
何度も何度も俺を組み敷いて、抱いてきたのが……守ることになるかよ……?
初めて抱かれた時の痛みは今でも覚えてる。
どれだけ泣いて、どれだけ嫌だと訴えたか。それでも蒼也は止めなかったんだから。
「お前がやってきたのは愛情の押し付けじゃないか。俺はそんなの望んでない」
言いながら俺は首を横に振る。
「違うよ兄さん。俺は緋彩を守りたくて、だからずっと誰も近づけないようにマーキングしてきたんじゃないか。母さんが緋彩に手を上げたとき、それを止めてきた。俺が触れれば母さんの心を操れるから。俺が抱けば、俺の匂いで緋彩に近付く奴は減ってただろ?」
違うそうじゃない。
俺は怖くて誰とも関われなかっただけだ。
俺の力で誰かを傷つけたくなかったし、蒼也との関係を知られるのが怖かったから……
「……え?」
母さんの心を操れるから。
蒼也は確かにそう言った。
俺は家電製品を壊してしまい、母さんに怒られることが何度もあった。
そのとき蒼也は……あれ、思い出せない。
やばい、身体の震えが止まらない。
母さんに……俺は何をされた?
リモコン、電子レンジ、テレビ……俺が壊したことがある家電製品はいくつもある。最初は仕方ない、って感じだったけど回を重ねると母さんは感情的になるようになって……
「俺が母さんの心を操らなかったら、緋彩は母さんに何されていたかわからないよ? まあ、母さんは感情的になるのを後悔していたみたいだけど。頬を腫らせて部屋の隅で怯える緋彩を、俺は見たくないもの」
蒼也の声が遠くに聞こえる。
確かに叩かれることはあった。
謝っても許してもらえるわけじゃなくって、でも悪いのは力をコントロールできない俺だからって諦めてた。
それで……どうしたっけ?
そうだ、俺が怒られるとそこに蒼也が来て母さんに触れて……何か話しかけていた。
蒼也に俺は……助けられていた?
やばい、このままだと俺は蒼也のペースに飲み込まれてしまう。
「蒼也が、母さんに触れて……それで……」
「そうだよ、兄さん。俺は母さんを止めてきた。それなのになんで、俺を捨てようとするの?」
俺は目を見開いて蒼也を見つめ、首を横に振った。
「す、捨てるわけじゃない。ただ俺は……もうお前とあんなことしたくないんだよ。俺の生き方は俺が決める、から。だから俺は、お前と普通の兄弟でありたいんだよ」
出る声はやっぱり震えていた。
俺の頭の中で昔の事がぐるぐると回っている。
俺の力が目覚めてしばらくして、母さんに手をあげられたこと。
部屋の隅で泣いていたこと。
そこに蒼也が現れた事。
その時蒼也に言われた。
『僕が緋彩を守るから』
そうだ、そんなことがあった。
だめだ、気持ち悪くなってきた。
でも……
ここでひいたら俺は蒼也に縛られ続けてしまうから、耐えなくちゃ。
「だからって、あんなことしなくても良かっただろ? 俺は……お前の兄なんだぞ?」
「抱けば兄さんを、ずっと俺に縛り付けられるじゃない」
さっきまで悲しみの顔だった蒼也の顔に笑みが浮かぶ。
その笑顔に俺は恐怖を感じた。
「だって兄さんは俺の物なんだから。抱いたら兄さんをずっと俺に縛り付けられるじゃないか。兄さんは俺がいないとあの家で生きられなかったんだから。なのに、父さんと母さんは、兄さんを家から出した。そんなの受け入れられるわけないじゃないか」
蒼也はいったい何を言ってるんだ?
俺の理解を越えている。
蒼也は俺を守る為に俺を抱くようになり、そんな自分に酔っている……?
そんなの愛情でもなんでもないじゃないか。
「俺はお前がいなくても生きていける。お前はアルファだろ? 番を見つけてその相手と幸せに生きれば……」
「俺が欲しいのは兄さんだけだよ、他の誰もいらない。ねえ、兄さんはあの人に何を吹き込まれたの? 兄さんは俺のそばにいればいいじゃない。そうすれば誰も兄さんを傷つけることはないんだから」
そして蒼也は一歩、俺に近づいてくる。
それを見て俺はとっさに右手を前に出した。すると、それをみた蒼也はまた哀しげな顔になる。
「俺に、力を使うの?」
「お前だって俺にずっと力を使って来ただろ? だから俺だって、お前に容赦はしない」
すると蒼也は下を俯き声をあげて笑った。
「あはは、そうだね、兄さん。兄さん、俺に抱かれるのを嫌がるから心に干渉してただけだけど。兄さんは嫌だったんだ」
「こ、心を操られて喜べるわけねえだろ? お前は俺の想いなんてずっと無視してきたんだ。俺はもう、お前に操られたりなんてしない」
震えながら言うと、蒼也はすっと顔を上げ、笑みを浮かべて言った。
「あのまま放っておいたらよかった? 母さんに叩かれて、泣いている方が良かったって事?」
「ち、違うそうじゃない。ただ俺は……お前ともうあんなことしたくないから……」
昔の事を思い出すと訳が分からなくなってくる。
力のコントロールができなかった昔の俺。
でも今は違う。だから俺は……
「俺はもう、昔みたいに力のコントロールができない俺じゃないんだ。お前がいなくても生きていけるから、だからもう……俺を解放してくれ、蒼也」
俺の視界が歪み、泣いていると気が付く。
蒼也がまた一歩前に出たので俺は後ろに下がる。
これ以上近づかないでほしい。できれば俺は、蒼也に力を使いたくないから。
前に突き出した俺の右手はわずかに震えていた。
これじゃあ、コントロールが狂うかもしれない。でも……蒼也に触られたら最後だから、迷ってなんていられない。
俺は震える右手の手首に左手を添える。
それを見た蒼也は首を振り笑顔で言った。
「そんなに震えていたら当てられないんじゃないの」
「そうかもしれないけど……それでも俺はお前に触られるわけにいかないんだよ」
「俺そんなに緋彩に嫌われてるんだ」
寂しげに蒼也が呟く。
嫌いなんじゃない。そうじゃない。ただもう、抱くのをやめてほしいだけだ。
「俺は、俺の生き方は俺自身が決める。もう俺にはお前が必要ないんだよ」
俺と蒼也の間に沈黙が流れ、そんな俺たちの横を子供たちがはしゃぎながら通り過ぎていく。
昔はあんなふうに蒼也とはしゃいでいたっけ。でももう、あの頃には戻れないんだよな……
気の重くなるような沈黙の後、蒼也は小さく頷き泣きそうな顔で言った。
「俺は緋彩とずっと一緒にいたかったのに。無理なんだね」
「あ、当たり前だろ? 兄弟なんだからいつかは離れるに決まってるじゃねえか」
「俺は緋彩を番にしたかったのに」
そんな考えはおかしいだろうに。そのおかしさに、蒼也は気が付いていないんだろうか。
「俺は緋彩を守りたかったんだ」
「俺にはもうそれは必要ないんだよ」
もう一度強く告げると、蒼也はびくん、と肩を震わせて俺を見つめる。
哀しみをはらんだ瞳で。
そして蒼也は視線を辺りにめぐらせたあと、振り返って言った。
「いるんでしょ」
「あぁ、やっぱりばれてた」
蒼也から数メートル離れた木の陰に奏さんが姿を現す。
いつの間にそんなところいいたんだろ。俺の意識はずっと蒼也に向いていたから気が付かなかったんだろうな。
「わかりますよ、アルファの匂いがするから」
「だから風下を選んだんだけど」
おどけた様子で奏さんが言う。そうか、アルファ同士だから匂いでわかるのか。その発想はなかった。
「俺は帰ります。もう、会うことはないでしょう」
蒼也はそう告げ、俺の方を一切見ずに背を向けて去って行く。
……これで、終わった?
蒼也との関係は……もう、終わる?
そう思ったら足の力が抜けて、俺はその場に座り込む。
「緋彩」
奏さんが俺に駆け寄り、すっと、俺の身体を抱きしめる。
「疲れたよね、僕たちの家に帰ろうか」
その言葉に俺は小さく頷いた。
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