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第8話

「ねぇ春輝、どう思う?」 「はあ……」 次の日のアンサンブルの授業の終わり、冬哉は春輝と楽器を片付けながら秀の事を話していた。 「だって、何しても動じないし、映画も寝てたのにこれだよ?」 冬哉はそう言って、スマホを春輝に見せる。秀とのやり取りが表示されているそれを、春輝はうーん、と唸って見ていた。 「『映画館で寝ちゃったのは申し訳なかったけど、すごく楽しかった』って……ホントかなぁ?」 「……もうこれは、デートしてもスマホで話すしかないんじゃない?」 何それ、と冬哉は口を尖らせる。目の前にいるのに、スマホで会話なんて嫌すぎる。 秀はどうして、リアルとメッセージとの差が激しいのだろう? そして、冬哉が何をしても動じないのは何故なのだろう? (僕がこれだけぶりっ子しても、何の反応もないのも初めてだし) 敢えての行動が何の役にも立たないのなら、やる意味はあるのか? そう思えてきて落ち込む。 「なぁ一之瀬」 すると横から、同期が声を掛けてくる。どうやらこの後、アンサンブルで不安な所をさらいたいと言うのだ。一緒に練習しないかというお誘いだ。 「いいよ。じゃあ冬哉も……」 「ああ木村はいいよ、忙しいだろうし」 同期はそう言って冬哉を睨む。冬哉はそれを無視して、楽譜をカバンに入れた。こういう嫉妬からの嫌がらせは、よくあることなので気にしない風を装う。 「お前なぁ。それじゃアンサンブルの意味ないじゃん」 しかし隣の友人は、それでも良くないことは良くないと、ハッキリ言ってくれる。冬哉はだから好きになったのに、今は違う人のものだなんて、残念すぎる、とため息をついた。 芸大に通う学生は、良くも悪くも個性的で自己主張が強くないと生き残れない。こうやって、あからさまに他人を落としてこようとする人はあまりいないけれど、我こそは、という精神で日々切磋琢磨している連中ばかりだ。 「あはは、ごめん春輝、僕今日バイト入ったから」 そう言って立ち上がると、冬哉は同期と春輝に手を振ってアンサンブル室を出た。 バイトと言うのは嘘だ。家に帰って練習でもしよう、と夕暮れの中を歩いて帰路に着く。 家に着くとそのまま防音室に入り、楽器を出す。何だかむしゃくしゃして、その鬱憤を晴らすようにフルートを吹いた。自分でも音が荒れているのが分かって、敢えてゆったりとした曲を選んで吹く。心が落ち着いてきた頃に指の練習として基礎練習の教科書を開いた。 (最近、学校楽しくないな……) そんな事を思いながら、冬哉はひたすらフルートを吹く。 一年生の時はそんなに風当たりも強くなかった。むしろ凄いやつがいると噂になり、わざわざ授業を見に来る学生もいた程だ。けれど時間が経つにつれ、器楽科の学生の多くは冬哉に嫉妬するようになっていって、今じゃ冬哉と仲良く話してくれるのは、春輝と一部の学生だけだ。 このままだと音楽が楽しくなくなる。冬哉は危機感を覚えた。自分は支えてくれる周りの人の為にも、演奏家として成功しなくてはいけないのに。 冬哉はグッとお腹に力を入れる。 もっと安定した音で、もっと正確に、もっと表情豊かに、と同じ曲を違うテーマで何度も何度も吹いていると、時間を忘れて吹いていることに気付いた。 「あっ? 今何時っ?」 時計を見ると日付を跨いでいる。という事は、八時間近く吹いているのだ。どおりでお腹も空くわけだ、と楽器を片付け、防音室を出た。 すると、スマホに通知が来ている事に気付く。防音室にも持っていったのに、全然気付かなかったと画面を開いた。 秀からのメッセージだ。しかも返事がない事を心配したのか、何度もメッセージが送られてきていた。 冬哉は少し迷ったけど、メッセージを送ってみる。 『まだ起きてる?』 するとすぐに既読が付きメッセージが送られてきた。 『起きてる。何度も送ってごめん、いつもすぐに返信くれるから、何かあったのかと思った』 心配してくれたんだ、と冬哉は胸の辺りが温かくなる。単純だけど、何よりも癒し効果が高い。そして同時に、胸が苦しくなるのだ。会いたい、と。相反する身体の反応に、冬哉ははぁ、とため息をついた。 『フルートの練習してて気付かなかった。ごめんね』 『練習? こんな時間まで?』 冬哉は苦笑する。こんな深夜まで、普通は練習しているとは思わないだろう。自宅に防音室があるからこそ、できる事だ。 「……」 冬哉は思った。よく喋ってくれるメッセージを通してなら、秀は冬哉のわがままも聞いてくれるだろうか? と。 『秀くん、会いたい』 何の脈絡もなく、冬哉はそのメッセージを送った。送ってから一気に緊張してきて、スマホを握る手に汗をかく。 『どうした? ごめん、最近教授の付き添いで地方を回ってるんだ。だから来週半ばまで待っててくれないか?』 「え……?」 冬哉は嫌な予感がした。その付き添いとは、いつからの事なのだろう? まさかと思い、冬哉は聞いてみる。 『そうだったんだ。忙しいのに連絡してくれてありがとう。もしかして昨日もそれで疲れてた?』 『言い訳になるからあまり言いたくなかったけど、昨日だけ一日空いてたんだ。まだ近場にいたし、戻って来れると思って誘ったけど……本当にごめん』 という事は、地方行脚の中昨日だけ戻ってきて、トンボ帰りしていたということだ。しかも、それをしてまで冬哉に会おうとしてくれて、会った時に疲れてるのかと聞いたら答えなかった。 「……っ、秀くん……好き」 冬哉はその場に座り込み、膝を抱えて顔を伏せる。そこまでして、会おうとしてくれた事が嬉しい。熱くなる顔を自覚して、返信を送る。 『いや、いいよ! そこまでしてくれるのは嬉しいけど、やっぱり無茶はして欲しくないなぁ』 『そうか、気を付ける。それで? 会いたいなんてどうかしたのか?』 秀に聞かれて、冬哉は家の事や学校での事を話してしまおうか、と考える。でもそうすると時間がかかるし、今は深夜だ、疲れている秀に聞かせたいとも思わない。 『秀くんと話したらスッキリした。もう遅いから寝よう? 深夜に連絡してごめんね、おやすみ』 秀の質問にハッキリとは答えず、冬哉は半ば強引に話を終わらせる。そしてすぐに来た秀からの返信は見ずに、シャワーを浴びに行った。食事をする気にはなれなかったので、シャワーを済ませたらお茶だけ飲んで寝ることにする。 自室に入ってベッドに横になると、そこで冬哉は秀からの返信を見る。 『冬哉も無茶はするなよ? 話はいつでも聞くから。これが終わったらまた会おう。おやすみ』 やはり誤魔化したのはバレていたらしい。直接会うと、冬哉を無視して歩いて行ってしまう彼なのに、どうしてこういう時だけ勘が鋭くて、気を利かせてくるのだろう? とますます秀が好きになってしまう。 「秀くん……」 呟くと、胸の辺りがキュッとなった。彼を想うと温かくなる。けれど苦しくもなるそこは、心地よく冬哉を眠りに誘った。

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