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第9話
気が付くと、冬哉は家のソファーで秀と楽しく話をしていた。冬哉はすごく幸せで、笑いが止まらないほどお喋りをしていて、そんな冬哉を秀は微笑んで見ている。
そこで冬哉はああ、これは夢なんだな、と自覚した。何故なら秀はこんな風に微笑んだりしないからだ。
夢に秀が出てくるなんて幸せだなぁ、と思っていると、不意に会話が途切れた。しかしそこには気まずい空気はなく、むしろ熱く濡れた雰囲気が漂う。
秀の顔が近付いた。そっと目を閉じたはずなのに秀の顔が目の前に見えて、唇同士が優しく触れ合う。そしてそれが情熱的なキスに変わると、秀の大きな手が冬哉のお腹に触れ、ゆっくりと下半身へと移動していった。キスとその優しい手つきに冬哉は意識が徐々に遠のいていき、いつの間にか直接性器を扱かれていて、ヒクヒクと腰が動く。
「……っ、は……っ」
息継ぎで唇が離れると、甘い吐息が出てきた。そんな冬哉を秀は可愛い、と言って喘ぐ冬哉の唇にまたキスをする。吐息が秀に飲み込まれ、苦しくて首を横に振ると、一気に頂点へと昇っていった。
「あ……っ、ああっ!」
自分の声で覚醒し、ビクビクと身体を震わせると、自室の光景が見えてくる。はぁはぁと荒い呼吸を繰り返していると、また夢精してしまったことにげんなりした。
「……何でかなぁ?」
やはり自分でも処理しないといけないのだろうか? それをするくらいなら、フルートを吹く時間に充てたいのに。
「……っ」
まだ身体が疼く。いつもならここは誤魔化して気を紛らわすけれど、冬哉は仰向けのまま布団を剥いで、下着ごとパジャマを脱いだ。
下半身を見るとそこはまだ萎えておらず、刺激を求めてヒクヒクと動いている。精液で濡れているけれど、躊躇わずそこを左手でそっと握った。そしてそのまま上下にゆっくり動かすと、思わずはぁ、と吐息が出るほどの快感が生まれ、右手の甲で口を押さえた。
「秀くん……」
一度達しているからか敏感なそこは、刺激を受ける度腰が動いてしまう。秀の顔、声、大きな手を想像して、冬哉は目を閉じた。
「ふ……っ、ん、んん……っ」
妄想の中で秀が冬哉をやんわりと抱きしめる。しっとりした肌同士が擦れ合うのを想像して、脳が焼けるかと思うほど興奮し、ゾクゾクして背中を反らした。
「秀くん、秀くん……っ」
興奮し過ぎて目に涙が浮かぶ。分身を扱く左手が早くなる。上ずった声で好き、好きと呟くと、頭の中が真っ白になった。
「あっ、ああ……っ、……っ!」
冬哉の分身から精液が飛び出す。その快感に悶え、冬哉は思わず右手を噛んだ。
しんとした室内に冬哉の荒い息遣いが響く。そして次の瞬間には、ものすごい後悔に襲われた。
(……僕、何でこんな事……)
冬哉は右腕で目を隠す。こんな事をしてただ虚しくなるだけなのに、と泣けてきた。
「……考えるのやめよ」
冬哉は袖で涙を拭うと起き上がる。考えたってマイナスな事しか出てこない、だったらやる事、やれる事をやるだけだ。切り替え切り替え、と自分に言い聞かせて呟き、大学に行く準備をした。
「……冬哉、どうした?」
「え? 何が?」
昼休み、食堂で昼食を食べていると、突然春輝にそう聞かれた。春輝の前では特に変わった様子は見せていなかったはず、と不思議そうな顔で見つめ返すと、春輝はいや、と言いにくそうに話す。
「今までも演奏してる時の集中力は凄かったけど、今日はいつにも増して怖かったから」
「え、嘘っ?」
怖いとは心外だ、と冬哉は自分の頬に両手を当てた。その様子に春輝はクスッと笑う。春輝が笑って気分が良くなった冬哉は、口を尖らせた。
「あ、今僕のこと、バカにしたでしょ」
「してないしてない。ホント、フルート持つと人が変わるなって思っただけ」
「春輝だって普段可愛いのに、フルート持つと色っぽいよ?」
そう言うと、春輝は顔を赤くして、俺のことはいいよ、と口をもごもごさせた。自分が優位に立てた事が嬉しくて、冬哉はニッコリ笑う。
「水野先輩とはうまくいってる?」
「何急に……」
春輝の彼氏の名前を出すと、彼は途端に大人しくなった。照れているのだと分かると、ますます気分が良い。
「もう四年くらい経つ? 僕もそれくらい付き合ってみたいよ」
春輝の恋人は、春輝が高校一年生の時から付き合い始めて、今は二人でルームシェアをして一緒に住んでいるらしい。羨ましいな、と正直に言うと、春輝は苦笑した。
「それはそれで、色々あるけどな」
「色々って?」
冬哉は聞くと、春輝はあからさまに顔を赤くして黙った。春輝の最近の音が、色気を増した事と関係があるのか、とすぐに気付き、ニヤニヤしながらふーん、と彼をからかう。
「そっち方面も順調なんだね?」
「いや、あの……貴之 マジでずっとべったりで……離してくれないんだよ……」
春輝の恋人、貴之の事は、当然冬哉も同じ学校だったので知っている。しかし初めて聞かされた貴之の意外な一面に、冬哉は驚きを隠せない。
「え、水野先輩ってそんなに甘えるタイプなんだ?」
冬哉の知っている貴之は、真面目で寡黙で、冬哉が春輝の事で怒りをぶつけても表情を変えなかったので、色事には無縁の人に見えた。けれど春輝と一緒にいるうちに、春輝を見る視線の温度が変わっていったのを感じていた。表情に出さない人なんだな、と思っていた冬哉は、まさかそこまで甘える人だとは思っていなかったのだ。
そこでふと、誰かに似ているなと思った。表情だけでは何を考えているか分からない人、秀と同じだ。
「実はそうなんだよ……もう、無理って……身体が持たないって言ってんのにさぁ」
机に突っ伏した春輝の言葉に、冬哉は何を示しているのか気付いて赤面する。
「あ、そ、それは……大変だねぇ」
いかにも誤魔化しましたと言わんばかりの声音になってしまうと、春輝は冬哉をチラリと見た。
「冬哉……冬哉はそういう経験ある?」
春輝はそう言ってすぐに顔を伏せる。恋人が離してくれないなんて、なんて贅沢な悩みなのだろう。
冬哉は苦笑する。
「無いよ。だからそういう悩みが羨ましい」
「そっか……」
冬哉は冬哉で、恋人とそういう雰囲気にならなかった訳じゃない。けれど、やはり色事になると途端に恥ずかしくなり、そういう自分を見せるのが嫌になるのだ。
(春輝は、僕がまだ未経験だって知ったら、驚くかな?)
それでダメになった恋愛もある。春輝も知っている相手だから話してみても良いかもしれない。
「春輝、聞いてくれる?」
「ん?」
春輝は身体を起こした。別れた原因を春輝は知っているけれど、そのきっかけのひとつがこれなのだ、冬哉は緊張しながらぽつりと話した。
「僕ね、まだそういう事……した事ないの」
「え? …………あ、ああ、……そっか……」
「先輩と別れた原因のひとつがそれなんだ」
冬哉は苦笑すると、春輝は身を乗り出す。先輩って部長だった人か? と聞かれて頷いた。当時吹奏楽部の部長だった彼は、春輝が好きな冬哉が好きだと告白してきた。そして冬哉も時間が経つにつれて、部長の事が好きになっていった。音楽の事を話しながら過ごす時間はとても有意義で楽しかったけれど、そのうち彼の顔が晴れなくなっていく。
一緒に話していた音楽の事も話さなくなり、その代わりのように冬哉の身体を求めるようになっていった。でも、冬哉はどうしても彼の事を受け入れることができず、拒否してしまう。
「その時に言われたの。心も身体も手に入れられないなら、付き合ってる意味無いって」
彼が冬哉のフルートの才能に嫉妬していったのは気付いていた。彼は音楽教師を目指していたし、高校の部活に貢献したいと言っていた。けれど目の前に圧倒的な才能を持つ冬哉がいて、彼は自信を失っていったのだ。
そして冬哉に拒否されてしまった彼は、完全に心が折れてしまった。そして自分の心を守るのに精一杯で出たセリフが『これ以上自分を嫌いになりたくない』だった。
「冬哉……」
何と言ったら良いか分からない、というような春輝に冬哉はまた苦笑すると、こんな事話したの春輝が初めてだよ、と言った。
「僕はちゃんとみんな好きだったよ? でも、ね……うまくいかないものだよね……」
そう言うと、春輝は頭を撫でてくれた。優しい手は慰める以外のニュアンスは無く、冬哉はそれからね、と続ける。
「し、秀くんとは、もし、付き合えたらしたいと思うんだ……何が違うのか、本当に僕にも分からないんだけど」
顔が熱くなったので俯くと、春輝はまた優しくそっか、と言っただけだった。話してくれてありがとう、と彼は言い、冬哉はやっぱり春輝はいい子だな、と胸が温かくなった。
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