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第32話「塾のバイト」
塾は三階と四階のフロアのすべて。
受付は三階。エレベーターから降りて、廊下の奥の扉を開ける。
「おはようございます」
挨拶しながら中に入ると、受付にいる斉藤さんに笑顔で返される。
「彰先生、今日もさわやかですねー」
五十代位の、元気なおばちゃん。この塾が始まった時からずっと受付に居るらしく、もう、主のような方。
嫌われたら終わりらしいが、幸いすごく好かれてて、毎度なんだかんだと話しかけられ、お菓子をもらい、息子のように可愛がられている。
……たまにどう返事していいか分からない時があるけれど。
「彰先生」
「あ、はい」
一番奥の席にいる塾長の真鍋先生に呼ばれて、自分の机に鞄を置き、向かう。
「おはよう、彰先生」
「おはようございます」
「彰先生、今日の英語の授業なんだけど」
「はい」
「別の大きい教室の方で、真司先生の生徒さんたちも一緒に講義してもらってもいいですか?」
「……真司先生は……?」
「またさっき、欠勤の連絡が来て」
「またですか……体調不良ですか?」
大学一年生の子で、去年の夏くらいからバイトに来ているのだけれど、今年に入ってから特に二月三月と、急な欠勤が増えてる。理由が頭痛や腹痛なので、真鍋先生も強くは言えないみたいなのだけれど。
「分かりました」
答えると、真鍋先生は助かる、と笑った。
人のよさそうな笑顔。なのだが、生徒に喝を入れる時等は結構怖い。
「彰先生、人気があるから、却って喜んでる子達も居て。もういっそ、先生のクラスにまとめちゃおうかと思ってる位で……」
「……良いですけど、人数が倍になると、小テストの採点が時間内で間に合わなくなるかもしれないですね……」
「そこは皆でフォローしながらじゃないと無理……かな?」
「でも皆さんそれぞれ忙しいですし……時間内に終わらないとまずいですよね。そこらへんだけクリアしてもらえたら、授業は構わないです」
むしろ、ちょこちょこと任せられるくらいなら、完全に担当した方が、生徒たちにとっても良いに決まってる。
「とりあえず今日は小テストは……さゆり先生、採点手伝ってあげてもらえる?」
呼ばれたさゆり先生。四月から大学三年。同じ年。
「分かりました、開始三十分後くらいに、彰先生の教室に行きます」
「はい。よろしくお願いします」
そう言ったら、真鍋先生が違う方を向いた隙に小声で。
「だから今度ご飯食べにいこ?」
――――……いつもこう。
ほんとよく、誘われる。
同じ大学の女の子ならありだけど、バイト先の塾の同僚と個人的にそんな関係になりたくないので、いつもなんとか断っているのだけれど。
押しが強い女の子なので、なんとか断っても、次また誘われる。
まあ多分、真剣に好かれているというよりは、なんとなく好みだと片っ端から声をかけていくようなタイプに見えるけど。
だからといって、やっぱり断るのは、疲れる。
と、その時。
ちょうどよく、予鈴が鳴った。
「先生方、お願いします」
真鍋先生の声で、皆一斉に動き出した。
◇ ◇ ◇ ◇
進学塾なので遠方からもやってくる。結構な人数の生徒の講義を行う。
塾長の真鍋先生+社員は五人。あとは、上位の大学生のバイトで成り立ってる。
もともと指導用のマニュアルが出来ていて、社員が指導の仕方を教えてくれるので、講義は、人前でマイクで話すのが苦手でなければ、割と誰でもできる。
あとは質問が出た時に、答えられるかどうか。
まあ、受験を無事クリアした大学生で、得意教科ならほぼ問題ない。
あとは、話し方、生徒との関わり方。
好かれるか嫌われるかで、生徒のやる気も変わる、シビアな世界な気がする。
真司先生、さぼってばかりだと――――…… 生徒から呆れられちゃうからなあ。あんまりよくないと思うんだけど……。やめるつもりなのかな。
倍に増えた生徒たちが問題を解いてるのを眺めつつ、今日の小テストの丸付けをしていく。こんこん、とノックがされて、さゆり先生が現れた。
「彰先生、やりますよ」
「ありがとうございます」
中に入ってきて、近くの席に座って、丸付けをしてくれる。
こういう所ではさすがに変な誘いもないので、安心しつつ。
昼――――……何たべたいかなあ、仁。
ふ、と仁の顔が浮かんで。
朝パンだったから…… 何が良いかな。
前のままなら、ハンバーグだの唐揚げだの、そういうのが好きだったけど。もうそんな子供っぽいものじゃないのかな。
あ。
……授業中、丸付け中だった。
気を取り直して、集中しようと試みる。
――――……仁、今何してるのかな。
片付け、任せて来ちゃったしな……。
……あ。
……つか、ほんと。集中しろ。
自分を戒めながら。
マイクを持って、立ち上がった。
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