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第61話「仁の香り」
剣道の見学が終わって、食事を終えて家に帰ってきた。
「仁、先にシャワー浴びる?」
「うん、いい?」
「いいよ」
「彰、オレ今日からこっち使う」
「あ、さっき買ってたシャンプー?」
「やっぱオレはこの匂いのが好き。彰も使ってもいいよ」
「んー? オレは今のでいいや。オレはずっとあれなんだよね。仁のは、何の匂いなの?」
仁の持ってるシャンプーを見ながら聞いた瞬間、オレのスマホが鳴りだした。
「あ。寛人だ」
「ん。オレ、入ってくるよ」
仁がシャンプーを持って、バスルームに消えるのを見ながら、通話ボタンを押す。
「もしもし。寛人?」
『おー彰。 どーだ、元気か?』
「うん。まあ……」
『仁は?』
「元気だよ」
仁の心配までしてる寛人に、ふ、と笑ってしまう。
ちょっと絡んだら、弟みたいに思ったのかな。
「今日剣道の道場行ってきた。仁、入るんだって」
『へえ。まだ続けるんだ』
「うん、そーみたい。ちびっこに好かれてたよ」
『ふうん。まあ、人気あるだろうな。顔いいし』
「まあ…… てかそれより、なんか素振りとかしてたんだけどさ。 すごく綺麗でさ。かっこ良かったよ」
『……それ仁に言った?』
「……それって?」
『綺麗とか』
「……うん。聞かれたから言ったけど」
『……ふうん。……まあいいや。 あ、金曜、暇か?』
「金曜…… うん、何時?」
『十九時にそっちに行く。こないだ会った辺りで待ってる』
「うん。大丈夫」
『じゃあ、そん時な』
「な、寛人」
『ん?』
「オレさ……やっぱりあんまり考えたくない……気がしてて」
『……そっか』
「――――……」
『まあそれを選ぶのもお前だから。そう決めるならいいんじゃねえの。とりあえず、金曜、会おうぜ』
「……うん」
寛人は、いつもズバズバと突っ込んでくるのに。
こういう時は、退いてくれる。
きっと今、考えた方がいいって言われても、素直に聞けないオレの事、ちゃんと分かってて。 ――――……きっと今はそう言ってくれると思って、言ったけど。
それできっと、金曜に会った時にまた話すんだろうな。
こういうとこも、楽で、好きで、良い奴だなと思って。
結局もう何年も、ずっと、一番近い、親友。
『じゃあな、彰』
「うん。じゃね」
電話を切って、スマホをテーブルに置いた。
食事帰りに買ってきたものを袋から取り出して片付けていると。
「彰、出たよ」
「あ、うん。早いね」
振り返ると、仁が入ってきた所だった。
タオルで、濡れた髪を、ばさばさ拭きながら、オレの横を通り過ぎて冷蔵庫に向かう。
「仁、水しぶきすごいから――――……」
笑いながら言いかけた瞬間。
ふわ、と香った、匂い。
「ん? 水しぶき? あ、飛んだ?」
仁が、水を飲みながら、オレを振り返って、「悪い」と笑う。
「――――……」
咄嗟に、視線を逸らす。
――――……え。つか……。
……オレ今――――……。
「彰?」
「あ…… オレ、シャワー、いくね」
「ん」
仁から離れて、バスルームのドアを閉める。
ドアに寄りかかって、唇を噛みしめる。
口に、手を押し当てて、気持ちを、抑えるしかない。
心臓が、痛い。
オレ、今。
――――……何、おもった……?
「……っ……」
このシャンプーの、匂いって……
最後にキスした時の――――…… 仁の、匂いだ。
なんでこんなので、突然、思い出したのか、全然分からない。
唐突に、キスされた時の、仁の瞳と。
その時の、感覚と一緒に――――……。
不意に、鮮明によみがえった。
鼓動が早くて。動揺で、息が早くなるのを、ふー、と呼吸して、抑える。
「……なんでも、ない ――――…… ただ、少し、思い出しただけ」
言い聞かせる。
「……気のせい。大丈夫――――……」
ずっと。
考えないようにしてた。
仁としてたキス。仁に、言われた言葉。
思い出さないようにして、考えないようにして、あれから過ごしてきた。
もう忘れたはずなのに。全部忘れたと思ってたのに。
「――――……やばいのって……」
最近壊れ果ててる涙腺。
ぽたぽたと、また、涙が溢れてきた。
……やばいのって――――…… 仁じゃなくて……。
オレなんじゃないかな……。
もう完全に吹っ切ってる弟に――――……。
あんな、ずっと前のことを思い出して――――……こんなに、胸が痛いなんて。
「――――……は……」
ズルズルと背中をついたまま力が抜けて。床に座り込んだ。
「…………っ……」
何なんだこれ。
――――…… 関係があった女の子達や亮也の、シャンプーや香水の香り、散々かいできたし。皆それぞれ色んな香りがしてたし。
その内の誰かの香りが、よそで香ったとしたら、きっと、その子の事、思い出す、事もあると思う。
ただ、それと、同じ事。
香りって結構記憶と結びついてるから。思い出す事だって、ある……とは思う。
でも――――……。
キスされた感覚や、その時の、瞳とか、セリフ、とか。
全部一緒に思い出して、胸が痛いなんて。
それで、泣く、なんて。
……それって、よくある、普通のこと、なのかな……。
落ち着け、オレ――――……。
はー、と何度か深呼吸をする。
「……ほんと――――……やばいなぁ ……」
上向いて呟いた言葉が、静かに、消えていった。
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