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第62話「忘れるから」
シャワーを浴びて、落ち着いてから出ていくと。
ソファに居た仁が、ホッとしたように、笑った。
「なんかすごい遅くなかった?」
「そう?」
仁が立ち上がって、オレの方に歩いてくる。
す、とオレの横を通り過ぎて、冷蔵庫に向かい、コップに水を入れた。
「出てくる音がするの、もう少し遅かったら、見に行くとこだった」
苦笑いで言いながら、仁は、水を差し出してくれる。
「ありがと」
受け取って水を飲む。
「……何か元気ない?」
そう言って、仁がまっすぐに見つめてくる。
「え?全然。元気だよ」
何言ってんの、と、笑って、水を飲み干して。
コップを持って流しに向かうと。
「嘘ばっか」
ぐい、と腕を引かれた。
仁を振り返らされて、嫌でも正面から見つめあう。
「……なんか、無理やり笑うのとか、好きじゃないんだけど」
「そんな事してないよ。全然元気だし」
「――――……」
……なんでバレるんだろ。
今オレ、普通の顔してない? 普通にしてから、出てきたし。
普通に返事もしてるし、普通に笑ってる、はずなのに。
でも認めるわけにはいかない。
「全然、普通だよ?」
「……元気ならいいんだけど」
言いながら、仁は少しムッとした顔のまま、オレの腕を離した。
「心配しすぎ。オレ、二年間、ずっと一人でちゃんとやってたんだからさ」
「――――……」
「そんな心配してくれなくて平気だよ」
笑って見せて、そのまま、コップを洗いに流しに立つ。
――――……むしろ一人だった時のほうが
今よりは安定してた。泣いた事なんか、無かった。
「あ、そうだ」
洗い終えた手をタオルで拭きながら、仁を振り返った。
「うん?」
一応納得してくれたのか、さっきよりは普通の顔でオレを見返す。
「オレ、金曜、寛人と飲みに行ってくるね」
「そうなんだ。分かった」
「十九時から行くから遅くなると思う」
「うん」
「仁は明日からカフェのバイトだよね?」
「ん。そう」
「何時から?」
「明日は十六時から入って、店長に色々聞いてから、十七時から店に出るって。で、二十時まで」
「じゃあ夕飯、作って待ってればいい?」
「……うん」
「……うん」
仁の答えに少し沈黙があったので、ふっと仁を見ると。
「彰、何作ってくれんの?」
「え。何だろ。まだ考えてない」
「一人でできる?」
くす、と笑われて。
「つか、もうわりと色々出来るから。本あるし」
「そっか」
仁がクスクス笑いながら頷いてる。
オレは、キッチンの隅に置いてある料理の本を手に取ってめくり始めた。
「リクエストあるなら、聞くけど」
「んー……」
近づいてきて、すぐ隣に立ち、本をのぞき込んでくる。
「――――……」
まだ、近づくと、香り、分かる、けど――――……。
不意打ちでなければ、大丈夫。……落ち着け。
「彰に任せていい?」
「……ん?」
「今特別ないから、彰が作りたいものでいいや」
オレを見下ろして、優しく笑う。
――――……ずき、と胸の奥が痛い。
――――……これ以上、考えたくない。
あの時と、同じ。 考えるのをやめた、あの時と――――……。
何も変わらない、自分が、情けないけど。
もうこれ以上、何も、考えたくない。
はっきりとした答えなんか、何も出したくない。
「じゃあ…… 美味いものつくっとく。 楽しみにしてて」
平静を装って、笑顔で言うと。
今度は仁に何も思われなかったみたいで。
嬉しそうに、にっこり、笑ってくれた。
ふ、とまた笑い返して、料理の本を持ったまま、仁の側を離れた。
ソファに座って、本を眺める。
仁は、テーブルで、今日貰ってきた道場の説明を、読み始めた。
片肘をついて、静かに読んでる仁を、本越しに、視線を向ける。
――――……兄弟でやりなおす。
……兄弟で。
あんなに――――…… キス……してたの……。
何で思い出すかな。
バカじゃねえの、オレ。
……ごめんな。今更、バカみたいに思い出して。
――――…… ちゃんと、忘れるから。
頭に、浮かべた事すら、
今の仁を――――……汚してるみたいな気がする。
ちゃんと、忘れて。
ちゃんと、兄貴として
ちゃんと、するから。
全然目に入ってこない料理のページをただめくりながら。
ゆっくり、息を、ついた。
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