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第3話
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桜にはまだ早いが、春の日差しは暖かい。
大きな窓のある喫茶店の片隅で、知世(ともよ)を隣に座らせた佐和紀は真幸と向かい合っていた。
「足の調子は? ちゃんとリハビリに通ってんだろうな」
会うのは三週間ぶりになる。真幸は周平よりひとつ年下で、佐和紀とは七つ違いの年長者だ。しかし、初めて会ったときから佐和紀の態度は大きい。
「おかげさまで、養生をさせていただいています」
真幸が深々と頭をさげる。佐和紀は知世を振り向いた。
「嫌味だよな?」
「そんなこと……」
取り繕うように笑った知世は、佐和紀の紅茶に砂糖を二杯入れて、銀のスプーンでくるくると混ぜる。「どうぞ」と目の前に置かれたが、佐和紀はまだ手をつけない。
知世の前にも紅茶があり、真幸の前にはコーヒーが置かれている。
「見えない線が見えるんだよなぁ、俺とあんたの間に」
不満げに小首を傾げた佐和紀は、着物の衿に指をすべらせた。深緑の綸子で誂えた長着は、裾にたんぽぽの絵が描かれている。
「お世話になってる身ですから」
ベージュのセーターを着た真幸は苦笑を浮かべた。その裏にある真意を見定めようと、佐和紀は眼鏡越しに視線を向ける。
じっと見つめていると、真幸は心底から困った表情で身をよじらせた。
「知世くん。止めてくれないかな」
「俺の仕事では、ないので……」
佐和紀の若い世話係は、しらっとした表情で視線をそらす。
「そんな、つれないことを……」
ふっと息をついた真幸は、あきらめたように肩から力を抜いた。
「見るたびに思うけど、兄弟みたいに雰囲気が似てるね。どっちも美形だし、ヤクザには見えない」
最後は声のトーンを落としたが、ほんのわずかな間を置いて、
「カタギにも見えないけどね」
と付け加える。
日常着を和服で通している佐和紀は確かに異質だ。一方、新米世話係の壱羽(いちば)知世は、弱冠二十歳の現役大学生で、身に着ける服にもスレたところがない。
ボートネックのシンプルなカットソーの重ね着に、生地感の上質なニットジャケット。すらりとした身体つきによく似合い、佐和紀の隣に収まって違和感がなかった。
知世に難点があるとすれば、格好がつきすぎて、街角スナップショットの撮影に引っかかることぐらいだ。
チャラチャラした三井(みつい)が隣に立つよりは見栄えがすると、大滝組の幹部には好評だから黙っているが、チンピラ好みの派手なシャツがトレードマークだった石垣(いしがき)が懐かしいこともある。
石垣は世話係を卒業して、アメリカ留学へ旅立った。去年の夏のことだ。
周平のかばん持ち筆頭だった岡村(おかむら)は別業務に就き、スライドするように、三井の業務も変わった。いまは佐和紀よりも周平について動くことが多い。いよいよヤクザとしての本格的な仕込みが始まるのだろう。
さびしいかと周平に問われたが、そんなことはまるでない。さびしさとは違う。
三井とは相変わらず飲み歩いているし、知世は眺めていてかわいい新人だ。うなじと鎖骨のバランスが華奢で、この年齢だけの美しさを感じられるのは新鮮だった。
そんな若さを純粋に愛でる佐和紀は、三十路に到達して、二十代の硬さが抜けつつある。
青い果実の甘酸っぱさが日を追って熟し、佇まいだけで相手を威圧することも少なくない。ただし、本人は無自覚だ。
「もうすぐ、すみれさんの結婚式ですね」
真幸が話を変えた。
「佐和紀さん、黒留め袖を着るって本当ですか」
「冗談ならいいのにな」
ふざけて笑い返した佐和紀は、ソファの背にもたれた。テーブルを人差し指で叩くと、知世が煙草を差し出してくる。受け取ってくちびるに挟み、ソファへもたれたまま、顔だけ向けた。今度は知世がライターの火を向ける。
こんなことをしていて、カタギに見られるはずがない。
近くの席のサラリーマンはぽかんと口を開き、手にしたカップが傾く。佐和紀がチラッとだけ視線を送ると、ついにコーヒーがこぼれて大騒ぎになった。
「財前(ざいぜん)から聞いたんだろう」
静かに煙草を吸い、煙を斜め下に向けて吐き出す。
こぼれたコーヒーの始末に忙しい店員と恐縮しきっているサラリーマンのやりとりを眺めていた真幸は、佐和紀の問いに答えないでうつむいた。
横浜でタトゥースタジオを営んでいる財前は、真幸の身柄を預かっている男だ。彼もまた、友人の真柴(ましば)とともに京都から逃げてきた経緯がある。原因は、桜河会(おうがかい)・桜川(さくらがわ)会長の嫁である由紀子(ゆきこ)だ。
桜川の甥である真柴は身を隠し、ときどき佐和紀と行動していたが、先月、若い恋人のすみれを伴って桜河会へ帰った。桜川と由紀子が離婚したことを機に、次期会長候補として呼び戻されたからだ。
政略結婚を心配した佐和紀は、事前に手を回して真柴とすみれの仲を裂かないように桜川会長を説得した。そして、この春、晴れてふたりの挙式が取り行われる。
桜の満開な時期を指定したのは桜川会長で、真柴の母親である彼の妹が結婚式を挙げたのも桜の季節だったらしい。
いかつい顏に似合わないロマンチストだが、妹にはよほど愛情があったようだ。真柴への対応を見ていればわかる。
その結婚式に財前は参加しない。佐和紀は勧めたが、はっきりと断られた。横浜で匿ってもらっている恩返しに、真幸の身柄を預かっているからだ。
真柴は参列を望んでねばっていたが、友人の頑固さは知っているとばかりに最後はあきらめた。
「好きでやってるわけじゃないからな」
佐和紀は煙草をふかしながら目を細めた。大滝組若頭補佐・岩下(いわした)周平の妻として、またしても女装させられることになっている。
いい加減、そんなことが似合う年齢でもないと思うのだが、周平が悪ノリしている以上は決定事項だろう。
「そうなんですか」
真幸が意外そうに目を丸くする。
「似合うんだから、いいじゃないですか」
「おまえだって、それなりにすれば、ちゃんとそれなりになる」
「程度の低い『それなり』ですね。見られたものじゃないですよ」
笑って答え、穏やかな仕草でコーヒーカップを持ちあげた。
初めて会ったときとは、まるで別人だ。
真幸は人差し指と中指の骨を折り、膝のケガを抱えた上に栄養失調に陥って、倒れたら最後、そのまま死んでもおかしくないほど酷い状態だった。
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