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第3話
「はあ…」
日高がこのため息を吐くのは朝から20回目であった。昨日の余韻のようなものが日高の頭を駆け巡り、甘いため息をもたらす。
(俺は昨日、櫂と。)
脳内でさえ言葉にすることが恥ずかしく、日高は21回目の溜息を吐いた。
(あの長い指が俺の髪に触れて、唇に触れて、俺自身にも触れた。)
(例え千隼の代わりでも、どうしようもないほどに幸福だった。)
日高にとってあの幸せがあれば、今まで辛く苦しい片想いが全て報われたと言っても過言ではなかった。
虚しさがないわけじゃない。千隼と呼ばれる度に日高は自分が擦り切れるのを感じたからだ。
それでも。
日高は初めて櫂に愛を渡し、触れたのだ。
「おい、おはようって言ってるの聞こえてるか?」
その言葉で日高は初めて隣に人がいることを認識した。それは同じ大学で同じバイトの友人である森田だった。
「森田か。悪い、気づかなかった。」
「別にいいけど。お前がぼーっとしてんの珍しいな。」
「うん。ちょっと考え事しててな。」
「そうか。…お前シフト入りすぎだからバテてんのかと思った。そんなに入れてなんか欲しいものでもあんのかよ?」
その言葉に日高は戸惑う。今までは他の人がバイトに入れない日を店長に頼み込まれてシフトに多く入っていただけであり、欲しいものはなにもない。元来日高には物欲などがほとんどなかった。
「そうだな…あと数ヶ月したら日本や世界を旅行でもしようかな。」
なのでこれは日高が今思い付いたことだった。
日本や世界を回って、色んなところをみたい。
あと数ヶ月だけ櫂のそばにいたら、家族にも彼にも気付かれずに旅立とう。
それはなんだか最期を見せたくない動物のようだと思ったら少し可笑しかった。
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