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頸 4

     ◇  彼の意識が戻るまで、僕は彼の傍にいた。ただ黙って彼を観察していた。  すると閉じていた目蓋がピクっと動き、彼が意識を取り戻したのだとわかった。  彼はゆっくりと目蓋を開けて周りの様子を見る。その眼は昏く、以前の面影はどこにもなかった。  仰向けの姿勢のまま転がっていた彼は、もう腕の痛みすら感じないのだろう。ただ天井のある一点をぼーっと見つめていた。それは物を吊るすときに使うフックだ。  僕は彼に尋ねた。 「あれ、何に使うかわかる?」 「……」 「でもそれは、これからのお楽しみ」  無反応の彼に対して僕は明るく答えた。純粋に嬉しいからだ。ここまで堕ちた彼に、僕は最期の質問を浴びせた。 「ねえ、これからどうしたい?」 「……死にたい」  彼の言葉は簡潔だ。 「どうして?」  僕は理由を聞いた。 「……こんなこと、されてまで……生きていたくない」 「死にたいの?」 「……死にたい」  彼はすべてを振り払うように目蓋を固く閉じた。  すすり泣く声と共に、目尻から溢れた数滴の涙が彼の頬を伝う。 「そうか……その言葉を待っていたよ」 「……え?」  僕は彼の上に馬乗りになると、首輪をずらして現れた喉元に十本の指を絡め、徐々に気道を圧迫した。  彼は息苦しさに眉をひそめたが、やがて訪れる終わりを予感して何ひとつ抵抗しなかった。 「……つまらないな」  彼は今までの彼らと何かが違う。こんなにも簡単な死なんて僕は望んでない。  僕は指にこめた力を抜いた。呼吸を取り戻した彼は少し噎せた。僕は彼の上に跨ったまま天井を見て言った。 「あのフックの使いかた、さっき話したよね」 「……」 「あれに何を吊るすかわかる?」  彼は虚ろな眼をしたまま首を左右に振った。  僕は身を屈め彼の耳元で囁いた。 「死体だよ」  彼は目を見開いた。  それから口をパクパクと動かし、何か言いたげな素振りを見せた。  気をよくした僕はさらにたたみかける。 「死体になった君は、あれに吊るされるんだ。そして誰にも知られることなく、君は腐敗していく。内側から徐々に腐っていって、やがて君は骨になる」  僕は彼の首から手を離し、彼の顔を優しく包みこんだ。彼の顔は冷たくこわばっていた。 「そして重力に耐え切れなくなった君の身体は、崩れてバラバラになる。想像できる? この首輪を境に、君の頭は胴体からもげるんだ。ゴトリ……という音を立ててね。それまでとても長い時間がかかるけど、僕はずっと待ってるから安心してくれ」 「な、何……言って……」  彼は明らかに動揺し始めた。  淀んでいた瞳はもうそこにはなく、今は恐怖や怒りといった感情が滲み出ている。  僕は彼の額にキスを落とし、髪を梳きながら言った。 「僕は君の頸が欲しいんだ。だから君を殺して頭蓋骨だけ貰おうと思ってね。君のものは良い形をしている。少し触っただけでわかったよ」 「……狂ってる」 「でも僕は人殺しにはなりたくない。まだ僕は若いし、何より僕は君の頸が欲しいだけだからね。でも君は僕の希望を受け入れてくれた。『死にたい』って言ってくれた。こんなに幸せなことはないよ。ありがとう」  僕は再び彼の首を絞め始めた。さっきと違って彼の生命エネルギーを感じる。これを待ってたんだ。このエネルギーの灯が消える瞬間が僕はたまらなく好きだ。 「が……はッ……た、くない……ッ」 「何?」  彼は何かを言ったけど僕の耳には届かない。僕は力を緩めて、彼が話しやすいようにしてやった。彼の顔は真っ赤になり、開きっぱなしの口からは唾液が流れ出ている。 「死にたくない……ッ」  驚くことに彼はこの期に及んで命乞いを始めた。 「死にたく、ない……死にたくない……ッ」 「でも、君はさっき『死にたい』って言ったじゃないか。嘘はいけないよ」 「そんなこと言ってない! 俺は、死にたくない!」  泣き喚く姿は哀れでしかない。そろそろ終わりにしようと僕はじわじわと力をこめ、彼の首を絞めていった。 「ま、待ってくれ……ッ、やめろ、死にたくない……ッ!」 「楽しみだな」 「ふざけ……ッ、んな……かはッ……」 「最期に話してあげるよ」  僕は彼の首を絞めたまま、彼らのことを思い出した。 「最初に惹かれたのは、僕がまだ専門学生のときに出会った、同じクラスの男だった。一目見て、彼の頸が欲しくなった」 「ぅ……がッ、は、離せ……」 「でも僕はまだ子供だったから、どうしたら彼が手に入るのかわからなかった。気づいたら僕たちは卒業して、彼とは疎遠になってしまったんだ」  今ではもう名前すらも思い出せない。そもそも僕が惹かれたのは、彼の頸だけだから。 「二人目は……誰だっけ。ああ、そうだ。初めて就職した店の客だ」 「……ぁ、ぐ……死、ね……ッ」 「彼は偶然同じマンションに住んでいてね。階段ですれ違ったときに、試しに突き落としてみたんだ。そうしたら簡単に死んじゃった。打ち所が悪くてね」 「うぐ……は……ッ、あ……」 「でも陥没した彼の頭を見て、一気に興味がなくなった。とりあえず救急車を呼んで、すぐに僕は引っ越したよ」  彼の脈が弱まっていくのを感じる。あと少しで彼の頸が手に入ると思うと嬉しくなって、僕はさらに力をこめた。 「がはッ、あ……ッ」 「三人目は惜しかったな。新しい街で見つけた男で、彼は僕よりも華奢だったから簡単に攫えた。だから僕は油断していた。詰めが甘かったんだ」 「……ひ……ぁ、ッぐ……」 「今、君が寝てる場所。一年前のそこで彼は自殺した。僕がちょっと目を離した隙にね。ひどいよね、勝手に死んじゃうなんて。僕は裏切られた気分になったよ。そんな奴の頸なんていらないから、そこら辺に捨てた。多分、掘り起こせば見つかるんじゃない?」  過去に向けた思考を僕は現在に戻した。彼はすでに虫の息だった。ひゅーひゅーと空気が漏れるような微かな吐息だけが、彼がまだ生きている証だ。 「それからしばらくして、僕は君に出逢った」 「……」 「新しい店は居心地がよかったんだけど、やっぱり物足りなくてね。どうしたものかと思っていたときに君が現れた。今思えば運命だったんだね」 「……死ね」  彼の毒舌も今となっては愛おしい。最期の最期まで僕に悪態をつく彼は、とても可愛らしかった。 「君を……あれ?」  視界が滲んだと思ったら、頬に何かが流れ落ちた。 「……どうしたんだろうね、僕……何で泣いてるんだろう」  両目から流れた涙は、冷たくなっていく彼の頬に落ちた。 「まあ、いいや。僕なんかに目をつけられるなんて運が悪かったね。今度生まれ変わったら、僕みたいな人間に気をつけるんだよ。それから――」  そのとき、指を伝って感じていた脈動が止まった。僕は彼の顔を見た。僕の流した涙が頬を伝って、彼もまた泣いているように思えた。 「……死んじゃったんだね」  僕は彼の首から手を離し、冷たくなった上体を起こして、ぎゅっと抱きしめた。 「愛してるよ……」

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