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爪 3
◇
ドラムが雷鳴のようにスネアやタム、ハイハットを打ち鳴らしていく。
そこに地を這うようなベースが絡み、寸分の狂いもない軽快なリズムを生み出していく。
ベース担当のユージが視線を飛ばす。
さあ、次はお前の番だ、とばかりに重低音を刻み続ける。
前の曲で使ったピックをオーディエンスに投げ、短く整えられた爪でギターを掻き鳴らす。
鋭いギターリフはバンドの持ち味でもある。一気に会場の空気を総なめにする瞬間はいつ見ても気分がいい。
ますます弦を弾く指先に力がこもる。
盛り上がっていくライヴハウス。
「NARU! NARU!」と叫ぶ女の黄色い歓声。
気持ち良さのあまり勃起しそうだ。
ギターに負けじとベースもドラムも過熱していく。
客席を巻き込んだエンターテインメントな空間に一筋の光が差した。
「次の曲聴いてくれ……『キミに逢いたい』」
ステージ中央にライトが集まり、バンドの顔でもあるヴォーカルを照らす。
少しハスキーな声でマイクに向かって囁けば、観客は皆、彼の虜になってしまう。
どんなに自分たちが盛り上げたとしても、すべてをさらっていくのはヴォーカルだ。
それがうらやましいとは思わない。
ギターだけでいい。ギターがすべてだ。
それは他のメンバーも同じだろう。
ヴォーカルが観客をさらに煽る。負けじとギターを奏で続けているときに、あるアクシデントに見舞われた。だが演奏中はまったく気づかなかった。
ステージを去り、楽屋へと向かう道中で、ベースのユージから声をかけられた。
「NARU、爪割れてるよ」
「え……あ、ほんとだ。気づかなかった。つーか痛え」
「そりゃそうだろ! お前鈍感すぎ。最前の子が心配してたぜ。お前、血ぃ流しながらギター弾いてたもんな」
「なあ、何か絆創膏的なのないの?」
「オレ持ってるからやるわ」
「サンキュー」
割れたのは右手の人差し指の爪だった。
そこまでひどい傷ではないが、ズキズキとした不快な痛みが断続的にやってくる。一足先に楽屋へ戻ったユージは、絆創膏と小さな救護セットを持っていた。
「これ、裏方スタッフが用意してくれてた。来いよナルミ。オレが手当してやる」
楽屋でふたりきりになった瞬間、ユージは「ナルミ」と呼び方を変えた。
どうやら気があるらしく、今まで何度か口説かれもした。
そのたびに断ってはいたものの、バンドのメンバーとしての絆は失いたくはない。
ユージもそれを理解しているからこそ、メンバーでいるときはメンバーの顔を。ふたりきりのときはアプローチを迫る男とそれを断る男、という奇妙な関係に落ち着いたのだ。
たしかにユージはバンドマンらしく派手な容姿だが、しっかり周りを見渡せ、指示を飛ばすリーダーとしての素質を持っている。
表で目立つのはヴォーカルだが、裏で操るのはこの男なのだ。
「そういえばさぁ、コレ知ってる?」
ユージは右手を掲げて言った。
「コレ?」
「爪だよ」
よく見るとユージの爪は何かで覆われているようにも見える。はじめはただのマニキュアだと思っていたが、それにしては硬く、厚みを感じる。
シルバーのギラギラした爪をまるでピックのように操り、ユージはエアーでベースを弾いてみせた。
「ジェルネイルっていうらしい。お前知ってたか?」
「いや、興味がない」
「そんなこと言うなって。ナルミ爪弱いだろ? これ塗るだけで爪がピックみたいになってな、爪弾きのときなんかにすげぇ助かるんだ」
「へえ」
「へえ……って、まあお前はそんなリアクションだろうと思ったけど」
ユージは肩をすくめてオーバーに落胆を示したが、自分もまた彼の反応に特に気に留めなかった。
「それで本題なんだけど、この後空いてる?」
「俺は特に何も」
「じゃあさ、ふたりで行ってみないか? 例のサロン」
「今からか?」
部屋にかけられている時計を見る。二十二時を少し回った頃だった。
「実はそこのネイリストとは知り合いでな、前に会ったときにお前の話になってさ」
「どうしてそこで俺が出てくるんだ」
ネイリスト――脳内に嫌な記憶が蘇る。
以前コンビニに来たおかしな客。たしかその男もネイリストだったような。不安な気持ちを隠しきれずに、ユージにかける言葉にも多少の棘が含まれる。
「だってナルミしょっちゅう爪割るだろ? 見てて痛々しくてしょうがねぇんだ。なあ、頼むよ、一度でいいから俺とサロン行こうぜ」
「……高いんだろ、そこ」
「そりゃあな」
「バイト尽くしでヒマも金もねぇよ。お前が俺の分まで支払ってくれるなら考えるけど?」
「マジで?」
「え……」
「出すよ、出してやるよ! だからさ、一緒に行こうぜ!」
冗談のつもりで言ったのにユージはすっかりその気になってしまった。
それからユージはすぐさまスマートフォンを取り出し、以前貰ったものと同じ名刺を取り出して、そこに書いてある番号に電話をかけた。
ユージは常連なのか会話はスムーズに進んでいく。
ユージが発した「今から行きます」の声に逃げ出したくなったが、ユージを見捨てるわけにはいかない。
今夜だけだ。
そう心に決めてユージに連れられるがまま、サロンへ向かった。
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