11 / 31

爪 3

     ◇  ドラムが雷鳴のようにスネアやタム、ハイハットを打ち鳴らしていく。  そこに地を這うようなベースが絡み、寸分の狂いもない軽快なリズムを生み出していく。    ベース担当のユージが視線を飛ばす。  さあ、次はお前の番だ、とばかりに重低音を刻み続ける。  前の曲で使ったピックをオーディエンスに投げ、短く整えられた爪でギターを掻き鳴らす。  鋭いギターリフはバンドの持ち味でもある。一気に会場の空気を総なめにする瞬間はいつ見ても気分がいい。  ますます弦を弾く指先に力がこもる。  盛り上がっていくライヴハウス。 「NARU! NARU!」と叫ぶ女の黄色い歓声。  気持ち良さのあまり勃起しそうだ。  ギターに負けじとベースもドラムも過熱していく。  客席を巻き込んだエンターテインメントな空間に一筋の光が差した。 「次の曲聴いてくれ……『キミに逢いたい』」  ステージ中央にライトが集まり、バンドの顔でもあるヴォーカルを照らす。  少しハスキーな声でマイクに向かって囁けば、観客は皆、彼の虜になってしまう。  どんなに自分たちが盛り上げたとしても、すべてをさらっていくのはヴォーカルだ。  それがうらやましいとは思わない。  ギターだけでいい。ギターがすべてだ。  それは他のメンバーも同じだろう。  ヴォーカルが観客をさらに煽る。負けじとギターを奏で続けているときに、あるアクシデントに見舞われた。だが演奏中はまったく気づかなかった。  ステージを去り、楽屋へと向かう道中で、ベースのユージから声をかけられた。 「NARU、爪割れてるよ」 「え……あ、ほんとだ。気づかなかった。つーか痛え」 「そりゃそうだろ! お前鈍感すぎ。最前の子が心配してたぜ。お前、血ぃ流しながらギター弾いてたもんな」 「なあ、何か絆創膏的なのないの?」 「オレ持ってるからやるわ」 「サンキュー」  割れたのは右手の人差し指の爪だった。  そこまでひどい傷ではないが、ズキズキとした不快な痛みが断続的にやってくる。一足先に楽屋へ戻ったユージは、絆創膏と小さな救護セットを持っていた。 「これ、裏方スタッフが用意してくれてた。来いよナルミ。オレが手当してやる」  楽屋でふたりきりになった瞬間、ユージは「ナルミ」と呼び方を変えた。  どうやら気があるらしく、今まで何度か口説かれもした。  そのたびに断ってはいたものの、バンドのメンバーとしての絆は失いたくはない。  ユージもそれを理解しているからこそ、メンバーでいるときはメンバーの顔を。ふたりきりのときはアプローチを迫る男とそれを断る男、という奇妙な関係に落ち着いたのだ。  たしかにユージはバンドマンらしく派手な容姿だが、しっかり周りを見渡せ、指示を飛ばすリーダーとしての素質を持っている。  表で目立つのはヴォーカルだが、裏で操るのはこの男なのだ。 「そういえばさぁ、コレ知ってる?」  ユージは右手を掲げて言った。 「コレ?」 「爪だよ」  よく見るとユージの爪は何かで覆われているようにも見える。はじめはただのマニキュアだと思っていたが、それにしては硬く、厚みを感じる。  シルバーのギラギラした爪をまるでピックのように操り、ユージはエアーでベースを弾いてみせた。 「ジェルネイルっていうらしい。お前知ってたか?」 「いや、興味がない」 「そんなこと言うなって。ナルミ爪弱いだろ? これ塗るだけで爪がピックみたいになってな、爪弾きのときなんかにすげぇ助かるんだ」 「へえ」 「へえ……って、まあお前はそんなリアクションだろうと思ったけど」  ユージは肩をすくめてオーバーに落胆を示したが、自分もまた彼の反応に特に気に留めなかった。 「それで本題なんだけど、この後空いてる?」 「俺は特に何も」 「じゃあさ、ふたりで行ってみないか? 例のサロン」 「今からか?」  部屋にかけられている時計を見る。二十二時を少し回った頃だった。 「実はそこのネイリストとは知り合いでな、前に会ったときにお前の話になってさ」 「どうしてそこで俺が出てくるんだ」  ネイリスト――脳内に嫌な記憶が蘇る。  以前コンビニに来たおかしな客。たしかその男もネイリストだったような。不安な気持ちを隠しきれずに、ユージにかける言葉にも多少の棘が含まれる。 「だってナルミしょっちゅう爪割るだろ? 見てて痛々しくてしょうがねぇんだ。なあ、頼むよ、一度でいいから俺とサロン行こうぜ」 「……高いんだろ、そこ」 「そりゃあな」 「バイト尽くしでヒマも金もねぇよ。お前が俺の分まで支払ってくれるなら考えるけど?」 「マジで?」 「え……」 「出すよ、出してやるよ! だからさ、一緒に行こうぜ!」  冗談のつもりで言ったのにユージはすっかりその気になってしまった。  それからユージはすぐさまスマートフォンを取り出し、以前貰ったものと同じ名刺を取り出して、そこに書いてある番号に電話をかけた。  ユージは常連なのか会話はスムーズに進んでいく。  ユージが発した「今から行きます」の声に逃げ出したくなったが、ユージを見捨てるわけにはいかない。  今夜だけだ。  そう心に決めてユージに連れられるがまま、サロンへ向かった。

ともだちにシェアしよう!