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脚 2

「井橋、所長がお前を探してたぞ。何かしでかしたのか?」   ロッカールームを出た井橋を同僚の田所が呼び止めた。  その顔はどこか楽しげで、同僚の失態を心から期待しているらしい。  田所は同期で、かれこれ十年以上の付き合いになる。  井橋にとって数少ない友人と呼べる人物のひとりだった。 「所長が俺に?」 「急ぎだそうだ。早く行ったほうが身のためだぞ。最近不景気だし、もしかしたら切られるかもな」 「縁起でもないこと言うなよ」 「冗談だって。真に受けるなよ。お前が切られるくらいなら俺はどうなる? あのハゲが切りたいのはお前じゃなくて俺のほうだろうな」  そういうと田所は深い溜息を吐き、金がねえなあと嘆いた。 「井橋ぃ。飲みに行かねえか?」 「金がないって言ったばかりだろ」 「今日は花金だぜ」 「俺は明日早番」 「堅いこと言うなよ」 「お前こそ早く帰れ。家族が寂しがるぞ」 「鬱陶しいだけだ。お前は身軽でいいな」  この独身貴族が、と田所は井橋の肩に手を置き、深くため息を吐いた。  井橋はこの田所という男の飄々とした態度が嫌いではない。携帯や作業机を家族写真で飾っていることも知っている。 「じゃあさ、明日の夜飲もうぜ。奢ってやるよ」 「気前がいいな。何かあったか?」 「これから所長にしぼられるお前を慰めてやるんだよ」 「悪い話って決まったわけじゃないだろう」 「俺は悪いほうに賭けるね。さあ早く行けよ」 「お前が俺を引き留めたんだろうが」 「悪かったって」  口ではそう言うが田所はまったく悪びれていない。  井橋は小さく笑い、所長室へ向かった。

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