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脚 5
記憶を飛ばすほど飲んだのは初めてかもしれない。
井橋は深酒するタイプではないし、田所を除いて誰かと飲みに行くようなタイプでもない。
目覚めた身体は重く、どんよりと沈み、満足に身体を動かせない。
「……先輩?」
井橋は一緒にいたはずの吉村を呼ぶ。
起きなければ。これ以上醜態をさらすわけにはいかない。
井橋は目蓋を上げ、ゆっくりと周囲を探る。
暗がりであったが家具の配置から目覚めた場所が自宅だとわかる。
どうやら酔った自分を吉村が不自由な身体で介抱してくれたのだろう。井橋はますます顔向けできなくなる。
とにかく明かりを点けなければ。
井橋は起きあがろうと脚に力をこめるが、どうしてか動かない。
おかしいと思いつつ自身の姿を見て、初めて事の異常性に気がついた。
「え……?」
井橋の身体は椅子に縛りつけられ、いっさい身動きができなくなっていたのである。
両手は椅子の背もたれに回され、両足はそれぞれ椅子の脚にくくられている。
そればかりか胸や腹に何重にも紐状のものが巻きつけられており、がんじがらめの状態だった。
「嘘だろ」
酔いは一気に醒めた。
井橋はきょろきょろと周りを見渡すが、視界に入るものはみな見慣れた自室で、拘束された井橋自身以外、あたりまえの風景だった。
わけもわからず井橋は呆然とするが、このままではいけないと思い立ち、全身を上下させるようにぎしぎしと椅子を動かし拘束を解こうとする。
だがそれは無駄な努力に終わり、あろうことか椅子ごと床に転倒してしまう。
後手に縛られた腕に強烈な痛みが走った。
「井橋?」
物音を聞きつけ、吉村が姿を現す。
どうやら、まだ帰っていなかったらしい。
一度は安心しかけた井橋だが、吉村が手に持っているものを見て、言葉を失った。
「ちょうどよかった。歯、食いしばれよ」
吉村は十七年前のように金属バットを構え、横転して身動きのとれない井橋の脚めがけて、力いっぱい振り下ろす。
「ぐぁあああああああ――ッ!」
井橋は絶叫した。
吉村の振り下ろしたバットは井橋の右すねを直撃し、中の骨を折り砕いた。
「あ……っハッ、ぁあ」
「痛いか?」
「せ、せんぱ……」
「もう一度折る。今度は叫ぶなよ」
「やめてください……っ」
「叫ぶなよ、井橋」
吉村は次に左打ちに持ち替え、先ほどよりも慎重に、だが確実に当たる位置へバットを調整し、井橋に二打目を浴びせた。
「あぐ……ぅ……っ」
「綺麗に折れたか?」
悶絶する井橋をよそに、吉村はバットを放り、井橋のそばへひざまずき、井橋の右脚の具合を観察する。
左右から打撃を受けたすねは見た目にも痛々しく折れ曲がり、じわじわと腫れと内出血との範囲が広がっていく。
「せっかくだ。足首も砕いておこうか」
「っ、やめてくだ――」
「黙れ」
言葉は強いが、吉村の顔はどこか愉しそうだ。
井橋は突然凶暴性を出した吉村の変化についていけず、経験したことのない激痛に耐えた。
「井橋、お前にとって俺はどんな存在だった?」
ぼろぼろになった右脚を吉村はまるで抱きかかえるように持ち上げる。井橋は小さく唸った。
「俺の驕りじゃないなら、お前は俺に憧れて、俺のあとを追ってきたクチだろ。憧れの先輩を怪我させたくせに、自分だけ助かったよな? お前はどう思ったんだ? 答えろよ。怒らないから」
吉村は井橋の右足首を肩に乗せ、醜く腫れ上がりつつあるすねを、そおっと指先で撫でた。
「俺の脚を奪った気分はどうだ?」
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