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脚 6

 吉村の暴力は井橋が気絶したあとも続けられた。  翌朝発せられた高熱と断続的な痛み、目を覆いたくなるほど醜悪に折れた右脚、これらがすべてを物語っている。  井橋が目覚めた場所は自分のベッドだったが、経験したことのないほどの体調の悪さで、身動きひとつ取れない。  仰向けの状態のまま、井橋は浅く呼吸をする。  口の中が乾いて、水が欲しかった。 「ぁ……」  熱のせいか昨晩あげた絶叫のせいか、自分でも泣き出したくなるほど弱々しい声しか出ない。  今は何時なのだろう。今日は早番なのだから早く起きなければ。  勤続十四年。これまで一度も無断欠勤をしたことのない井橋にとって、この状況はとうてい受け入れられるものではない。  連絡を入れるどころかベッドから起きあがることすらできないのだ。  だが、もしかしたら欠勤連絡のない井橋を不思議に思って、誰かが訪ねてくるかもしれない。  真面目だけが取り柄で今まで働いてきたのだ。井橋はそう自分を鼓舞し、わずかな望みにかける。  部屋のドアが開いたのはそのときだった。 「起きていたのか?」  吉村だ。  てっきり帰ったと思っていたが、それは井橋の幻想だったらしい。  吉村は一度ドアを閉め、数分後にペットボトルの水とドラッグストアの袋を手に、ベッドで横になる井橋に近づく。 「痛むか? 鎮痛剤を持ってきた」  朦朧とした意識の中でも、吉村の精悍な顔つきははっきりとわかったが、凶暴性を隠しているだけで、その表情は柔らかいものではない。  井橋には吉村の目的がわからない。  昨晩の暴行だけでは気がすまないのか。  聞きたいことは山ほどあるのにそれらは言葉にならず、熱い吐息だけがこぼれる。 「口を開けろ」  吉村は鎮痛剤を一錠、井橋の口元へあてがう。  苦しさから逃れるために、井橋は言うとおりにした。  井橋が錠剤を口に含むと、次に吉村はペットボトルを手渡す。  受け取った井橋はキャップを取ろうと力をこめるが、消耗しきった身体は思い通りにならず、がたがたと震えたままだ。ペットボトルのキャップすら開けることができない。  その様子を見た吉村は小さく舌打ちをし、井橋から乱暴にボトルを奪い取った。  苛立ちを見せる吉村に井橋は無意識のうちに萎縮してしまう。  なぜ吉村が居座っているのだろうという疑問すら、思い浮かばなかった。  難なくキャップを開けた吉村は左手で井橋の頭部を支え、右手に持ったペットボトルを井橋の口元へ寄せる。 「口を開けろ」  口腔内の鎮痛剤は半分ほど溶けてしまい、不快な渋みを残していた。  だが吉村の施しによって、それらは喉の奥へと洗い流され、井橋はようやく人心地つくことができた。 「ありがとうございます」 「お前は何を言っているんだ」  自然と出た感謝の言葉を吉村は嘲笑した。 「俺がお前に何をしたかわかっているのか?」 「先輩は……俺の脚を折りました」 「どうしてだと思う?」 「俺が先輩の脚を奪ったから」 「上出来だ」 「……仕事に行かせてください」 「馬鹿言うなよ。その身体ではどこへも行けない」 「じゃあせめて病院に」 「井橋――」  井橋の主張を遮った吉村はベッドサイドから、井橋の枕元へ腰かける。 「――これで俺の恨みが晴らせたと本気で思っちゃいないだろうな」  吉村の両手が首にかけられた瞬間、井橋は自分がどれほど現状を楽観視していたのかを理解した。

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