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骨 6

 その日の夜。やはり山の天気は変わりやすく、午後からの大荒れが嘘のように星が見えるほどの快晴になっていた。  貴一は懐中電灯を手に、ひとりイチョウ山へ足を踏み入れる。  ――あの崖から落ちたのなら、先生はきっと裏側にいるだろう。  貴一は自身で見た視覚情報を頼りに、篠宮の姿を探し歩く。  風雨のせいで落葉したイチョウの葉が、貴一の足を重く捕らえる。  ぐちゃぐちゃした地面に足を取られ、貴一は何度か転んだ。篠宮の姿はなかなか見つからない。  もしかしたら、ひとりで下山したのか。篠宮は大人なのだから、そう考えるほうが普通だろうとは思う。  しかし貴一はそうは考えなかった。  あの高さから落ちて、無事であるとは到底思えない。わかっていても、なぜ周りの大人に相談もせず、ひとりで篠宮を探しに来たのだろう。  その答えは貴一の中にある、子供らしい独占欲が握っていた。  雨上がり特有の土と葉とが入り混じった、じめじめとした臭いが漂う。午後の雨で大量に落ちた銀杏も、鼻腔の奥に刺さるような悪臭を放つ。鼻がおかしくなってしまいそうだ。  貴一はゴホゴホと咳きこんだ。  裏側のシンボルである大イチョウに近づいていくたびに、貴一が嗅いだことのないような粘り気をもった鉄のような臭いがする。最悪の事態を想定し、貴一は胃の奥が捻じ曲がるようなひどい吐き気をもよおす。  篠宮に近づいているのだと、本能で悟った。  貴一は片手で鼻と口を覆い、もう片方の手に持った懐中電灯で周囲を照らす。サーチライトのように右に左にぐるぐると照らしているうちに、それを見つけた。  人間の、手だ。  正確には肘から下でもぎ取られたような、ぐしゃぐしゃになった腕の一部だ。  好奇心が勝った貴一はその手に近づき、切断面を照らす。悪臭はもう感じなかった。衝撃と興奮の波が貴一の身体を動かす。屈みこんで、そのものをじいっと観察する。暗くて見えづらいが、確かにそれは人間の手だった。 「――どうしよう」  それは遺体の一部を発見してしまったという後悔ではない。  遺体の中を見てしまったという自制できないほどの興奮が、貴一に言葉を発せさせたのだ。  筋肉や脂肪、ひきつれた皮、複雑に絡む血管――それらがかすむほどに主張する、飛び出した尺骨。  ――骨、だ。

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