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第三章【12】
依田に連絡をした矢神は、彼と会う約束をした。
まるで、矢神が連絡をしてくることがわかっていたかのように話がトントン進む。
依田とは、少し会話をしたことがあるくらいだ。自分のことはほとんど覚えていないと思っていた。
それなのに電話をして「矢神です」と名乗っただけで、『ああ、矢神先生』とすぐにわかってくれる。
「遠野のことで話があるんですが」
単刀直入に伝えたら、彼は驚きもせずに言った。
『外で話す内容じゃないですよね。矢神先生の家でもいいですか?』
主導権を完全に握られていた。
正直なところ、自分の家に招き入れるのは避けたかった。
遠野の住んでいるこの場所を依田に特定されるのは嫌だったのだ。
答えをためらっていれば、電話越しから依田のククッと笑い声が漏れる。
『大丈夫です。ストーカーみたいな真似はしないので。それに、矢神先生の家は大稀 から聞いてますよ』
こう行けばいいですよね? と道順を話す依田。
遠野が教えるとは思えなかったが、矢神の家を知っているのは本当のようだった。
依田が言うように、誰が聞いているかわからないところでは話をしたくないのは確かだ。
少し迷ったが、依田を家に呼ぶことを決める。
「わかりました。オレの家で話しましょう」
『早い方がいいですよね。今日はどうですか?』
そんなすぐに話す機会がやってくるとは思わなかったから戸惑った。だが、早いに越したことはないだろう。
幸い遠野は部活で帰りが遅くなる。帰ってくる前にケリをつけようと思った。
「じゃあ、19時頃でもいいですか。それまでには帰宅します」
『では、伺います』
電話を切って、矢神はふうっとため息を吐いた。
とりあえず第一関門を突破といったところだが、どう話をつけようかと再び悩むことになる。
***
夕方、依田は待ち合わせの時間より少し早く訪ねてきた。
ちょうど帰宅したばかりの矢神は、慌てるようにして依田を招き入れる。
「矢神先生、今、帰ってきたんですか?」
上着を着たままの矢神を見て驚いた表情を見せた。
「ちょっと仕事が終わらなくて」
「教師って大変ですよね。大稀も愚痴ってましたよ」
そんな話までしていることに驚く。
遠野から依田の話を聞いた限りでは、会話は最小限という感じだった。
しかし、自分が住んでる場所まで伝えているとすれば、矢神が思っているよりも依田との関係は良好なのか。
それなら、ここで依田と話をつけるのもおかしくなるのだが、今更やめられない。
どちらにしても、依田の店で遠野を働かせるわけにはいかないのだ。
今後二人の関係がどうなろうとも、そのことだけは彼に伝えたかった。
リビングのソファに依田を案内して、矢神はコーヒーの準備をする。
待たせても悪いと思い、適当にインスタントコーヒーを淹れて、「どうぞ」と依田に出せば、困ったような顔をした。
「言えば良かったですね。私、カフェインアレルギーなんで。水でいいですよ」
「ああ……そうなんですね」
先に何を飲みたいか聞いておけば良かったと後悔する。
頭を掻きながら、コーヒーの入ったカップをキッチンに下げた。
冷静のつもりでいるが、落ち着いた彼を目の当たりにして、余裕がなくなっていた。
新しくコップに氷を入れ、ミネラルウォーターを注いだ。
自分を落ち着かせるように胸に手をやり、深呼吸する。
焦る必要はない。過去のことを口止めして、遠野を店で働かせるのを止めさせるだけだ。
お盆に乗せたコップを差し出すと、受け取った依田は喉が渇いていたのか、ごくごくと飲み干した。
「おかわり持ってきましょうか」
「いえ、大丈夫です。矢神先生も私にお構いなくコーヒーをどうぞ」
矢神は依田とテーブルを挟んで向かい合わせに座った。
そして言われるがまま、コーヒーに口をつける。
どう話を切り出そうか。
沈黙が流れる中、何度かコーヒーを口にして、その場をやり過ごしていた。
先に口を開いたのは依田だった。
「話って大稀のことでしたよね?」
「遠野には、もう会わないでください」
いろいろ考えていたはずなのに、咄嗟に出た言葉がこれだ。
依田は可笑しそうに口元を緩ませた。
「恋人みたいな発言ですね。もしかして、もうそういう関係でしたか?」
「違います。あいつは今教師で、まっすぐ生きてます。だから――」
「敬語じゃなくていいかな?」
「え?」
短く息を吐いた依田が、ソファに両手をついて足を組んだ。
「疲れるんだよね。このキャラ作るの」
「キャラ……?」
何のことを言っているのか、矢神がぽかんとしていれば、依田が言葉を続ける。
「相手は先生だから、真面目な礼儀正しい人が好きだろうなと思って」
「あなたがどんな人だろうと、オレは……」
ふっと笑って依田が得意げな顔をした。
「大稀がいろんな男の相手してたこと、聞いたんだ?」
「はい」
「案外早かったな。矢神先生のこと信頼してるんだね」
「遠野は悩んでました。あなたが傷つけたから」
「普通っていいよね」
「普通?」
「異性を好きになって、恋人になって、セックスする。矢神先生もしてるでしょ?」
黙っていれば、依田は話を続けた。
「私のように同性を好きになる人は、相手と恋人になれる確率が少ない。同類を好きになればいいけど、簡単なことではない。ましてや恋人になってセックスするなんて、先の話だ。だから、出会いの場を設けてあげたんだ。お金は紹介料、深い意味はない」
「別に、誰かを紹介するのはいいです。本人たちが承諾してるなら。どうして遠野だったんですか?」
「私が無理矢理させたと思ってる? 違うよ。大稀が自分で選んだ」
「それは、あなたに言われたからじゃないですか」
「私に言われたからだとしても、決めたのは大稀だよ」
らちが明かなくてイライラする。
「矢神先生は、大稀としたことないの?」
「だから、オレはそういうんじゃ」
「大稀はすごく綺麗だよ。肌は透き通るように白いし、長い金髪が映えるんだよね。みんなに見てほしいじゃない? 自慢したくなるでしょ?」
「……いや、普通は誰にも見せたくないでしょ。恋人だったんですよね?」
「矢神先生は、独占するタイプか」
――普通はそうだろう。
「私もいろいろ教えてあげたけど、初めの頃は下手でね。でも経験積んだらすごく気持ちのいいセックスをするようになったよ。みんな喜んでた」
何を言っても無駄なような気がした。価値観が全く違うのだ。
「とにかく、遠野にはもう関わらないでください」
「私は大稀を愛してるよ。今でも。だから、私の傍に置いておきたい」
「遠野は物じゃない!」
怒りのせいか、身体が熱く感じた。
依田はクツクツと笑う。
「わかってるよ、矢神先生は、大稀が他の男とセックスするのが嫌なんでしょ?」
「……違います」
依田と話していると胸糞悪くなり、呼吸がうまくできないような気がした。
「一度やってみるといい。たまらないよ。みんなそう言ってた」
依田はソファから立ち上がり、矢神の傍に来る。
片膝をついて距離を縮めてくるから、足を崩して距離を保とうとした。
「大稀は矢神先生に好意を持っている。かなり気持ち良くさせてくれるはずだよ」
「だから……」
「まずは咥えてもらったらいいよ。大稀は得意なんだ」
依田はスっと太ももに手を触れてきた。
咄嗟に立ち上がろうとして、うまく力が入らず、その場に崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
「……はっ、ぁ……んっ…」
「矢神先生、想像しちゃった?」
そうではなかったが、何かおかしかった。
呼吸が乱れて、身体中が熱を持ったように暑苦しい。
「大稀の代わりに矢神先生がうちの店で働くのはどう? 需要があるよ、ノンケは。それにこっちの世界にどっぷりハマっちゃうノンケも多い。教師の給料は安いでしょ?」
「な、に、言っ……て……」
頬に手を添えられ、指で触れられるだけで、身体が震える。
その手から逃れたいのに、身体に力が入らない。
「すごいな。勃起してるでしょ。こんなに効くとはね」
依田は矢神の下半身の膨らみを見て薄ら笑う。
股間を隠したくても思うように身体を動かせないのだ。
「力が入らない? 辛いでしょ。誰でもいいから触って欲しくなるよね。してあげようか」
「や…め……」
「男だから嫌だ? 女性なら誰でもいい? 好きな人じゃないとダメなタイプか。気持ちよくなりたくない?」
依田から距離を取りたいのに、いとも簡単に腰に手を回され、ぐっと引き寄せられる。
「んあっ……」
それだけで刺激となって震えてしまう。
「こうやって、身体が疼いてどうしようもない時がある。大稀は、そういう人たちの相手をしてあげただけ。ただの性欲処理だよ」
つつっと指先で足の付け根をじんわりと触れてきた。
「うっ、んんっ……」
嫌なはずなのに、触って欲しいと頭の中で矛盾が生まれる。
「いい顔するね。私はタイプじゃないけど、素質あるよ、矢神先生」
「はぁ、んっ、んぅ……あぁっ……」
核心には触れずに、腰やお腹、焦らすように指先を滑らせる。頭がおかしくなりそうだった。
「意地っ張りだな。それじゃモテないよ。触って欲しかったら、ちゃんと言わないと。ただ気持ちよくなる。快楽に飲まれたらいいだけ。簡単だろ?」
おもちゃを楽しむように、依田は矢神にじわりじわりと触れていく。一点を除いて。
呼吸を乱しながら、そこに触れてほしいと腰が揺れた。
今、自分がどんな顔をしているか想像がつかない。
見られたくなくて顔を俯かせるしかなかった。
じんじんと中心が熱を持っていて、どうしようもなくなる。
触ってもらえば気持ちよくなれる。素直になれば楽になれる。
そんなことを考えて、口を開きかけた時だった。
「矢神さん!」
玄関から大きな声が聞こえてくる。遠野だった。
「やっと来たよ。遅かったね。私からのメッセージを見たんだろ?」
走ってきたのだろう。息を切らしながら、怒りをあらわにした。
「矢神さんには関わらないでって言ったのに!」
「呼び出されたのは私の方だよ」
依田に抱えられている矢神の様子を見て、遠野は困惑する。
「矢神さんに……何したんですか……」
「ちょっとイタズラ心で催淫剤を飲ませたらこんなになっちゃって。うちの店のキャストには、全然効かなかったんだけど。もしかして矢神先生、溜まってる? 忙しくても適度に抜かないと身体に悪いよ」
ふふっと笑った依田は、静かに矢神を床に寝かせた。その間も身体が火照ってどうにかなりそうだった。
「どうしたら……」
遠野は矢神のそばでオロオロするばかり。
「大丈夫、一発抜けばすっきりだよ。力が入らないみたいだから大稀が手伝ってあげな。得意だろ? 私はお邪魔のようだから帰るよ。またね」
手を降って退散する依田を遠野は睨みつけたあと、矢神の肩に触れようとした。
「矢神さん……」
「さ、さわ、るな……」
触れられるだけで、快感に眩暈がしそうになる。
「でも……」
「じ、ぶんで、やる……から、あっち、いって……ろ」
何とか呼吸を整えて、身体を動かそうとするが、やっぱり思うように動かすことができない。
コロンとうつ伏せになれば、股間が床に触れた刺激が気持ちいい。
「あぁ……っ、はぁ……」
腰を動かして、床に擦りつけるが、これくらいでは物足りない。身体中は熱くて、上手く触れない状態がもどかしかった。もっと、もっと刺激が欲しい。
不意に身体が浮いた。遠野が抱き上げたからだ。
「や……さわ、るなって……」
その言葉は無視され、遠野は矢神を抱えたまま、歩き出す。
行き先は、矢神の部屋だ。
ドアを開けて、ベッドにそっと下ろしてくれる。
「……あり、がと。あとは、じぶん、で……」
そう言ったのに、遠野はベッドに乗ってくる。
――まさかここで襲われるとかないよな。
矢神のことを好きだという遠野だが、無理矢理するような男ではないと信じている。
だが、万が一手を出してきたら――。
力が入らないだけじゃなく、薬のせいで頭が朦朧としている矢神にとって、もはや抵抗できる気力はなかった。
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