10 / 22

chapter4 準備 ②

「君は会ったことがあるのか?」 「何度かね。あのじいさんはパウロの大ファンなんだ。パウロの映画を見れば、下手なセックス以上に興奮するんだとさ。きっとパウロと寝たいんだぜ」  フランツはムカッとした。先程もパウロと寝たがっている連中の話が出た。パウロが魅力的なのは十分承知しているが、冗談でも許されないと腹が立ってきた。 「パウは体を売っているわけではない」 「そう、裸を見せているだけさ。どっちにしろ、罪深き子羊さ。悪魔に唆された真っ黒けの羊なのさ」  ロミオは羊の泣く真似をした。  フランツは腰に巻いたバスタオルの表面を、気持ちを落ち着けるように二・三回手で払った。  ――パウを守るんだ。  再び、強い使命感が甦ってきた。やはりドイツへ連れて行ったほうがいいのではないかと考えた。この撮影を終えてから、その頭のおかしそうなドンに渡して、その足でドイツへ。一緒に、自分の故郷の街へ…… 「おい、ドイツ人」 「……フランツだ。フランツ・ツェーゲラー」 「いちいち文句を言うな。それより、これから自分がしなきゃならないことをわかっているんだろうな?」 「当然だ。パウと一緒にベッドに入るんだろう?」 「それで? ベッドでそのまま、お昼寝するわけじゃないんだぜ?」 「それぐらいわかっている」  フランツは馬鹿にされたと頭にきたが、ロミオはいやに真剣だった。 「男とヤッたことがないんだろう?」 「パウはやる振りをすればいいと言っていた。自分の言うとおりに動けばいいとね」 「それでも、イメージってものがあるんだ。あんた、男に抱かれた自分を想像できるか?」  フランツは天井を睨んだ。自分が抱かれる姿を、一生懸命想像してみる。裸になった躰に腕を回すのは、パウロ。同じく裸体で、うっとりするような微笑を浮かべた唇が、自分に近づいてきた…… 「――おい、正気か?」  フランツは我に帰った。顔中が、火にあてられたように真っ赤に染まっている。 「頭の中でパウロに抱かれたようだな」 「……ち、違う。まだそこまでは……」  いっていない……と言いかける舌を噛みそうになった。 「恥ずかしがるのは、最初だけだぜ」  ロミオは別に笑うわけでもなく、意味深げに言う。 「俺もそうだった」  フランツは口元を手で押さえたまま、ロミオを振り返った。 「裸になって、撮影されるのが堪らなかった。けれど、パウロが優しく教えてくれた」 「……」 「おかげで、俺はこの業界でやっていく自信が持てた。全部パウロのおかげさ」 「……だから、パウが好きなのかい?」 「そうさ」  ロミオはフランツに見せつけるように、大きく頷いた。 「パウロは、本当に優しいのさ」 「……パウが優しいのは、君に指摘されなくても、十分にわかっている」  フランツは刺々しく応酬した。 「私の子供時代の想い出は、パウの想い出と言っても過言じゃない。君が聞いたら、興奮のあまり卒倒するだろう」  ロミオの態度は、明らかにフランツへの悪意があり、どこか煽っているようでもあった。それが不愉快で、フランツはあえて強い態度を示した。そうしなければ、気持ちが追いついていかないような気がした。  ――私は負けない。  そう思って、首をひねった。  ――なぜ、そう思うのだろう?  誰に負けたくないのだろう…… 「それじゃあ、その優しいパウロの期待に応えないとな」  ロミオも不敵に言うと、いきなりフランツの腰に巻いてあるバスタオルを奪い取った。 「な、何を……!」  びっくりして、露になった前を隠そうとしたフランツに、ロミオの厳しい声が飛んだ。 「そこが重要なんだ!」  フランツは反射的に言い返した。 「……今重要なのか!」 「当たり前だ! パウロが相手なんだぞ?」  問答無用で下半身を覗き込んできたロミオに、フランツは手で前を隠しながら後ずさった。 「なぜ、君に見られなければならないんだ!」  ロミオは小学生の子供に言って聞かせるような口調で説明した。 「ポルノを撮影するんだぜ? ポルノって意味を知っているだろう? ドイツ人も大好きな芸術的な裸の物語さ。あんたの子供がいい子かどうか、きちんと確認するのは当たり前だろうが。それがプロってもんだ。それとも、パウロに見られたいのか?」  最後の一言でフランツは押し黙った。 「わかったなら、その手をどけろ」  フランツは不承不承といった気持ちを隠さずに、両手をあげた。降参のポーズの下で、ロミオは真面目に上からじろじろと見る。 「悪くないな。これなら、撮影しても大丈夫だ」 「今なら、見るのも無料だよ」  フランツは下半身の涼しさを味わいながら、精一杯皮肉った。 「俺のも無料だぜ? 見るか?」  ロミオはその言葉を野次るように、履いているジーンズに手をかける。 「結構だ。私は君と違って、そんなものを見る趣味はない」 「別に減るもんじゃないぜ? 自分のためだと思って、見ておけよ」  フランツが引き止める間もなく、ロミオはあっという間に、ジーンズとパンツを脱いだ。ついでにというように、シャツも脱いだ。その惜しげもない脱ぎっぷりに、フランツは唖然とした。どうしてイタリア人はすぐに服を脱ぎたがるんだろう? 男も女も……大人も子供も老人も…… 「どうだ? 悪くないだろう?」  裸になったロミオは、その躰のラインを強調するように、フランツへ堂々と披露した。 「……君たちは、アダムのようにイチジクの葉っぱで隠したら、逆に神は喜ぶんじゃないのかな?」  フランツは横を向いた。見たくはないが、視界の隅に入ってくる。 「そんないやらしい見方をするなよ。前を向けよ」 「君の姿が勝手に視界に映るんだ! 私を変質者扱いするな!」  フランツは歯を食いしばって顔を戻した。ロミオの裸姿が否応なしに目に飛び込んでくる。野郎比率がずば抜けて高い軍関係に身を置いているので、男性の裸など本当は珍しくもないが、それでも裸体を目的にしっかりと眺めたのは、これが初めてだった。 「俺の躰もいいだろう?」 「……ああ、悪くはない」  ロミオの肉体は、しなやかでいて華やかだった。さすがにポルノ俳優というべきか、躰は優雅な線を描いている。きちんと管理しているのだろう。一言で言えば、鑑賞されるのに値する肉体だった。フランツは自分も素っ裸なのを忘れて、感心してしまった。 「パウロはもっと凄いんだぜ?」  自分の裸に見惚れるドイツ人の目を覚まさせるように、ロミオは囁いた。  フランツはどきりとした。そこで自分も裸体だったのを思い出した。 「いきなりパウロじゃ、あんたが鼻血まみれになるから、まずは俺を見て慣れておけよ」  親切めいた口ぶりで、ロミオは自分の躰をフランツへ恥ずかしげもなく見せる。 「もう、十分だ」  フランツは床に落ちていたバスタオルを拾って、再び腰に巻いた。今までも不愉快だったが、さらに不愉快になってきた。何が哀しくて、男の裸を見慣れておかなければならないのだろう? 「君のそのご自慢の躰は、カメラの前で披露するんだな。私では、手を叩いて拍手する気持ちもおきない」 「落ち着けよ。あんたの躰だって、悪くないって。俺と比べるのが間違っているのさ」 「君と比べるなんて、そんな無駄なことはしない。私はジャガイモばかり食べているドイツ人だから、きっとジャガイモで出来ているんだ。パスタとは比べものにならないよ」  先程の食べ物の嫌味をまだ引きずっているフランツである。  ――パウの元へ行こう。  これ以上ロミオと会話しても、自分の血圧だけがあがってくるような感じがしたので、バスルームを出ようとした。  だが、行く手を阻むようにロミオが目の前に立った。 「まだ何か用かい?」 「そう、あんたの今の人生で、一番大切なことを聞かないとな」  ロミオは愉しそうだ。 「俺の裸を見て、どう感じた?」 「――何も感じない」 「本当に?」 「ああ、本当に」  誓って本当に、とイタリア語で正確に発音した。  ロミオは顎に手をやって、首を傾げる。 「おかしいな?」 「おかしいのは君の頭だ。パスタの食べすぎだ」  フランツは憤然となって、ロミオの脇を通った。  早くパウロの元へ行こうと思った。何だか自分の頭もおかしくなりそうだった。 「おい、待てよ、ドイツ人!」  バスルームのドアに手をかけたフランツは、うんざりしたように首だけ振り返った。 「私の名前はフランツだ」 「――? イタリア語で言えよ」 「イタリア語が通じないから、ドイツ語で言ったんだ!」  ロミオは煩そうにフランツの嫌味を手で振り払った。 「あんたのために、いいことを教えてやるぜ」  フランツは今度は何だというように顔をしかめる。その表情を満足そうに見ると、ロミオはまた洩らした。 「パウロは――本当に凄いぜ?」  よく動く唇は、裸の肉体と同様にどこか艶っぽい色を滲ませている。 「これから、あんたにとって未知の時間が始まる。その時間が終わった時、あんたの人生も変わっているかもしれないな」  ロミオはモーゼのように予言をする。  フランツは表情を変えなかった。ロミオには馬鹿馬鹿しいというように首を振って見せて、ドアを開ける。  ――そんなことはない。  胸の中で浮かんだ言葉は、それが形となってフランツの口からは出なかった。  バスルームのドアは静かに閉まった。

ともだちにシェアしよう!