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chapter5 撮影開始 ②
「フラ」
パウロがベッドに腰を下ろす。フランツもその隣に座った。
「これから撮影に入るんだが、ゲイポルノを見たことはあるか?」
「……ないよ」
「そうだろうな。安心した」
パウロはわかっていたというように頷く。
「俺の撮るゲイポルノは、ちゃんとストーリーがあるんだ。ただ裸になって抱きあうものじゃない。そんなのはただの生ゴミだ。愛とファンタジーがないと駄目だ」
「……ああ、うん」
フランツはよくわからない顔で返事をする。
「いいか、フラ。男と男が会って、キスをして、セックスをする。言葉で説明すれば、たった一言二言で終わる。それを映像で語るんだ。重要なのは、ファンタジーだ」
パウロは今日再会して初めて見せる真剣な顔をしていた。少しの妥協も許さないような厳しい表情は、幼馴染みのパウロ少年ではなく、プロの映像監督のものである。フランツは始めて見るパウロ・ビアンチ監督の姿に、姿勢を正して見入ってしまった。
「今回はドンのリクエストもあって、俺が考えた物語は、再会だ。幼い頃イタリアで育ったギリシャの少年が、成長してイタリアへ戻ってくる。そこでイタリア人の幼馴染みと再会する――」
「……パウ、それは……」
自分のことじゃないかと思った。するとパウロは少しだけ表情を和らげ、イタズラが見つかってしまった少年のような目をして、フランツをドキリとさせた。
「実はドンから話を聞いた時に、フラのことが頭に浮かんだんだ。その時はまさか、フラ本人が俺の相手役になるとは思わなかったけれどな」
「……そうだね。すごい偶然だ」
フランツはドキドキする鼓動を抑えながら、感心する。
「どうして、その時フラのことを思い出したのかわからない」
パウロはさりげないように言った。
「きっと、俺がフラに会いたかったんだろう」
「……」
フランツは自分の気持ちが極度にまで高まっているのを感じた。全身がサウナに入ったように熱くなり、飢えたように飲み水が欲しくなる。落ち着くんだと自分に言い聞かせた。鉄鎚で頭を叩かれる愚か者になりたいかと。けれど、教会の鐘が狂ったように頭と心で鳴っている。まるで愛の告白でもされたかのように……
「……私も、パウに……」
会いたかった、と言いかけた言葉は、ロミオの大声に消された。
「おい! 準備できたぜ! いつでもOKだ!」
「よし」
パウロは立ちあがった。つられるようにフランツもその隣に立つ。
「俺を見てくれ」
フランツは修道士のように素直に従った。
パウロと正面で見つめあう。はだけた胸が視界にちらついて、何かとてつもないものが自分の内からわき上がってくるような感じがする。フランツは渾身の力でそれを押し返した。
「何も考えるな、フラ。俺の言うとおりにしてくれればいい」
パウロは子供へ言うように囁くと、安心させるように笑う。
フランツは無言で頷いた。
「カメラを回してくれ」
ロミオへ向かって指示を出す。それから、またフランツを向いた。
「さあ、フラ。まずは俺の服を全部脱がしてくれ」
「……えっ?」
一瞬、何を言われたのかわからないように、フランツは聞き返した。だが言葉が意味をもって頭に入ると、途端に顔を真っ赤にさせた。
「む、無理だ……無理だよ、パウ……そんなことできない……」
声を上擦らせて、弱々しいほどにうろたえる。
「無理だ……そんなこと……」
手を触れることさえできないというように、頭を左右に振る。
「やるんだ、フラ」
パウロは静かだが強い口調で言った。
「もう撮影が始まっているんだ。無理でもやるんだ」
フランツはカメラを振り返った。丸い透明のレンズが、まるで銃撃するかのように自分たちを捉えている。その向こうから、ロミオがちらっと顔を覗かせた。嘲るような笑みを浮かべている。
フランツはカッとなった。バスルームでのやりとりが瞬時に全身を駆け巡り、最前線で敵と遭遇したような感情が湧いてきた。
――パウを困らせてはいけない。
覚悟を決めたというように、腹に力を込めた。
「――わかった。パウの服を脱がせればいいんだね? ワイシャツとズボン、どちらを先にすればいいのかな?」
「フラの好きにしていい」
パウロは優しく見つめている。その瞳に、フランツは両手をあわせた。
「お願いだ、パウ。私は自分の服の脱ぎ方は知っているけれど、相手の服を脱がす順序がわからないんだ。最初に手をかけるべきなのは、ワイシャツなのか、それともズボンなのか。ここはすごく重要な問題だと思うんだ」
何やらカメラの方から笑い声が聞こえてくる。だがフランツは無視した。大変に真面目に考えたのである。
「……そうだな」
パウロは優しい表情に微笑苦を交えて、フランツのリクエストに答えた。
「それじゃ、先にワイシャツを脱がしてくれ」
「……了解」
フランツは銅鑼のように鳴っている胸を落ち着かせようと、数回呼吸をした。それから唾を呑み込んで、手をゆっくりと伸ばす。かすかに震えている指先が、パウロの胸の手前で止まり、開いているワイシャツの前立て部分を掴んだ。
ワイシャツは、肩からすべるようにパウロの足下へ落ちた。
フランツは唇から小さく息を洩らしながら、露になったパウロの上半身に、文字通り魅入った。ギリシャ彫刻のように精悍で、ミケランジェロの絵画のように美しい肉体が、目の前に出現した。
寸分の狂いもなく均整のとれた体は、うっとりしてしまうほど色っぽい。ロミオの肉体もそうだったが、人に鑑賞されるのに十分値する。だがロミオが健康的な匂いを発していたのに比べると、パウロの体は非常になまめかしかった。男の肉体なのに、眩暈がするほど妖艶で性的な魅力に満ちている。火に焼けたような肌が、さらに刺激的だ。
フランツはまた唾を呑み込んだ。自分がどうにかなってしまいそうだった。
「……フラ」
パウロが囁く。
フランツはまた顔を赤らめて、目を伏せた。ずっとパウロの上半身に目が釘付けになっていた自分が、非常に恥ずかしかった。穴があったら入りたい。パウに変に思われるくらいなら、死んでしまったほうがましだ――
「大丈夫だ、フラ。さあ、続きをやるんだ……」
まるで胸の内を読んだかのように、パウロは促した。その言葉に、躊躇いつつも、後押しされるように、フランツは再び手を伸ばす。また指先が震えて、中々届かない。だがパウロは静かに立っていた。
フランツはようやく居場所を探り当てたというように、パウロの革ズボンに触れた。ワイシャツを脱がすよりも、ずっと大変だった。ズボンのチャックを下ろして、ボタンを外して、ゆるやかに締まっている腰回りから下へ下へ剥がしていって……
手が止まった。パウロの両腕が、フランツの両脇からすべり込み、逞しい背中へ回った。
手が離れた。革ズボンはワイシャツと同様に、パウロの足元にゆっくりと落ちた。
「……フラ」
パウロは抱きしめたフランツの耳元で、呟くように言う。
「よくやった。あと一つ、俺のベールを剥がしてくれ。そうすれば、フラと同じ姿になれる……」
フランツの頭の中は、もう真っ白で何も考えられなかった。最後の試練である下半身の下着を、命じられたロボットのように引き摺り下ろした。
パウロも裸になった。
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