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chapter5 撮影開始 ③

「……ありがとう」  背中に回した手が、肌の感触を確かめるように下りてゆく。その手が、フランツの腰に巻いてあるバスタオルを掴んだ。 「さあ、アダムとイブになろう、フラ……」  少しかすれた声で囁くと、フランツのイチジクの葉を浚い、床に落とした。  二つの男の肉体が、生まれたての姿でベッドのそばに立ち、見つめあっている。その光景は非常にエロチックだった。 「……大丈夫か、フラ?」 「……あ、ああ……」  フランツはほとんど聞いていなかった。パウロの衣服を脱がせた時点でもう力尽きて、その場にぶっ倒れてしまいたくなっている。しかもパウロの全裸を前にして、自分の中でいったん押し返したものが、小波のようにうち寄せてきていた。 「……パウ」  脅えた声が、唇の端からこぼれ落ちる。  パウロは腕を引いて、優しくフランツの頬を両手で包んだ。 「大丈夫だ、フラ……」 「……パウ」  ドイツ連邦軍に所属する軍人が、今にも泣き出しそうな顔になっている。  パウロはフランツの不安を拭い取るように、手のひらで撫でた。 「大丈夫だ……」  そう囁くと、顔を近づけた。けれど……とフランツは言いかけたが、その泣き言は封じられた。  パウロはフランツに唇を重ねる。  突然の行為に、フランツの全身が氷のように固まった。自分の口に触れる柔らかいクッションのような感触がパウロの唇だと自覚すると、心臓が停止しそうになった。  だがパウロはすぐにキスをやめた。途端にフランツはその場に崩れ落ちそうになって、パウロに支えられた。 「大丈夫か? フラ」 「……ああ、だ……い……」  じょうぶだよと言いたかったが、パウロの心配そうな顔に、舌が回らなくなった。  ――パウとキスをした……  胸が急激に高まり、汗が出てきた。それと呼応するように、下半身が疼きはじめた。  フランツは恥ずかしくなった。パウロに見られたらと思うと、銃で頭を撃ちぬきたくなった。  ――パウに欲情するなんて……  これは任務なんだ、と自分に強く言い聞かせた。パウと裸になってキスをするミッションなんだ…… 「ここでやめるか? ひどい顔をしている」  パウロはフランツの腕を取った。 「……いや、平気だ。このまま遂行しよう」  フランツは急いで喋った。任務、任務と頭の中で繰り返したので、軍人の口調になってしまった。 「私は、問題ない」  また下半身が疼いた。お願いだから黙ってくれ! と祈った。  パウロはフランツの様子を診察医のように注意深く見ていたが、わかったというように頷いた。 「フラ、俺の腰に腕を回してくれ」  フランツはイタリア語があまり理解できないような仕草で、不器用に腕を回す。腰の括れにドキリとして、また汗が出た。 「しっかりと腰を抱いてくれ……」  フランツは忠実に任務を遂行した。両腕で腰を抱いた。自分の下半身が、パウロの下半身と擦れあう。  パウロはフランツの首に腕を絡めると、顔をそっと引き寄せた。 「……恥ずかしがらなくていい」  どこか耐えるように眉を寄せたフランツに、パウロは小さく首を振る。 「俺とフラは裸だ。感じあって、当然なんだ」 「……すまない」  フランツは居たたまれなくなって目を逸らした。自分とパウロのペニスが触れあっている。自分が感じているものを、おそらくパウロも感じている。それがショックだった。 「俺たちは抱きあっている。恥ずかしがることじゃない。前を向くんだ、フラ」 「……すまない」  フランツは自分の胸の内までパウロに見透かされているような感じがして、裸姿でもいいからこのまま逃げ出したくなった。しかしそうすればパウロが困る――  フランツは何度目かの息を呑み込んで、パウロを向いた。パウロのチョコレート色の瞳が、夕闇を映しているかのように翳っていた。 「フラ、俺が悪かった。だから、泣くな……」 「泣いてなんか……」  フランツの言葉が途切れた。  パウロはあらゆる声も言葉も感情も、全て自分が浚っていこうとするかのように、再びフランツの唇に接吻をした。  フランツは二度目のキスに、びくりと体が動いた。だが首に回されたパウロの腕が、それをとどめた。  キスは長かった。  先程とは違い、ふっくらとした唇が磁石のようにくっつきあい、深く吸いついている。まるでプラスとマイナスが繋がりあうように、北と南が呼びあうように、二つの唇は他者を拒んで重なりあった。  緊張で死にそうだったフランツだったが、徐々に動悸が鎮まってきた。パウロのキスはチョコレートのように甘くて美味しくて、今までキスをした女性たちの誰よりも温かかった。それはまるで母親から頬にキスをされたような感触を思い起こさせ、どこか懐かしかった。  ――いい子ね、フランツ。  幼い頃、母親のレギーナはそう頭を撫でながら、ほっぺにキスをした。  ――さあ、涙をふかなきゃ……  フランツは母の手触りを思い出した。自分を慰める優しい手とキス……  一緒だ……  同じ温かさが、触れあっている唇から感じられる。  ――パウは自分を慰めているんだ……  キスをして……  フランツはパウロの腰を、ぎゅっと抱き寄せた。互いのペニスがさらに擦れあう。下半身の疼きはいよいよ本格的になってきたが、フランツはパウロを抱きしめたかった。  やがて、魔法の時間は終わったようにパウロは唇を離した。 「……パウ」  フランツは置いていかれた子供のような顔をした。 「フラ……」  パウロはフランツの髪に手を入れて、指で梳く。 「……良かった。涙がとまったようだ」  ちょっぴりからかうような声の響きに、フランツの頭の中で何かが弾けとんだ。 「……パウ」  フランツの腕がパウロの腰から背中へと動く。 「……パウ……」  喉の奥から哀願するように洩れる。  パウロは指で梳いた金髪を、丁寧に撫でた。 「……もう一度、キスをしたいか? フラ」 「……ああ」 「それじゃあ、今度はフラがしてくれ……」  パウロは歌うように呟く。 「……フラのキスを味わいたい……」  フランツは小さい息をつきながら、パウロを見つめた。言葉を刻んだ唇が、まるで誘うように艶めいて見える。 「さあ、フラ……」  その声に呼ばれるように、フランツは動いた。パウロを強く抱きしめると、その唇に自らの口を重ねた。それはフランツにとって、生涯忘れられないキスとなった。

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