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chapter7 ラスト ②

 フランツが気を失ったのを見届けると、パウロは唇を離し、上半身を起こした。深く入り込んでいたペニスを、フランツを起こさないように丁寧に引き抜く。肩で荒く息をつきながら、眠ってしまったフランツの頬を愛しむように撫でた。その目にあるのは、一点の曇りもない愛情だった。  背後で人の気配がした。パウロは肩越しに振り返ると、ロミオがカメラの陰から姿を現していた。 「だっせえ」  開口一番、ロミオは貶した。 「たった一回やっただけで、気を失うなんて、信じられんねえ。こいつ、本当に軍人かよ。修道僧の間違いじゃないのか?」 「そう言うな。フラはノーマルな男だ。同性とのセックスなんて、想像すらしたこともないだろう」 「でもさ……」  不満たらたらで、ロミオはパウロに近づく。 「あんたが丁寧に手取り足取り教えているのに、できない、無理だ、できないって、ベソかいたガキかよ。こういう融通の利かない奴のために、セックスマニュアルでも作っておけば良かったんじゃないのか? ドイツ人なら、盛りあがっている最中でも平気でマニュアルを見るさ」 「いいんだ、フラは」  パウロはロミオのへらず口など耳から耳へ聞き流しているようで、ベッドに沈んでいるフランツの寝顔に魅入っている。 「可愛いだろう、俺のフラは」  うっとりと呟く。  ロミオはもう何を言っても無駄というように、大袈裟に両手を広げてため息をついた。 「で、一応撮っている振りだけはしといたぜ。そんな真似しなくても、あんたの可愛いドイツ人はセックスに夢中で気づかなかったと思うけどな」 「フラを傷つけたくはない」  パウロは優しく言う。後悔している様子は全くない。  はいはいと、ロミオは適当に相槌を打つ。フランツへ語った相手役が来ないから困っている云々の話は嘘だった。もうとっくに撮影は終わっていたのである。 「今から行くんだろう? 予定通りエミリアーノとの動画を渡してくれ」 「呼ばれているから、しょうがないけどな」  ロミオは面倒そうに首を傾けて、肩に手をやる。 「あのスケベじいさん、どんなものでも喜ぶくせに、何で俺とパウロのセックス動画じゃ駄目なんだよ」 「仕方がないだろう。恐竜なみに凶暴なじいさんでも、孫が男とセックスしている映像を見れば、心臓も泡を吹いて気を失うさ」 「けっ、最初は知らないで見ていたくせに」  ミラノ界隈の裏を牛耳るドン・ロッシーニの実の孫であるロミオは、面白くなさそうに吐き捨てた。 「ロミオ、濡らしたタオルを持ってきてくれ」 「わかった」  まだまだ言い足りない文句を巻き散らしながら、ロミオは部屋を出て行く。  パウロはワイシャツを拾い上げると、袖を通した。ロミオを待つ間、フランツの全身を一つ一つ丹念に確認する。どこも傷つけていないはずだが、相手は初めての体験だったので、体に無理をさせたかもしれないと心配だった。  そんなパウロの気持ちも知らず、フランツはぐっすりと眠っている。その寝顔は非常にあどけない。  変わっていないな、とパウロは少しだけ安心した。幼い頃、一緒に眠った時と同じ寝顔。今は、その目元にうっすらと涙の痕がある。  ――俺はいつもフラを泣かせている。  フランツを覗きこみ、親指で軽く目元をぬぐう。  ――仕方がないな。俺は自分の欲望に正直な男だからな。  先日かかってきた母親からの電話を思い出した。 『フラーンツが戻ってくるそうよ! パウロ!』  相変わらずの大声がはしゃいでいた。 『パウロにすごく会いたがっていたわ! 仕事場の住所を教えておいたから、ちゃんと会いなさいよ! あ! でも私が喋ったことは内緒よ! フラーンツに口止めされているんだから!』  母親の世界に内緒という単語は存在しないとわかっているパウロは、苦笑しながら電話を切った。しかし幼い頃に別れた幼馴染みが会いに来るという事実は、激しく狂おしいほどの興奮をもたらした。  ――フラに会える……  そして、欲望に火がついた。 「ほら、パウロ」  ロミオが戻ってきて、青いタオルを放り投げる。パウロは片手で掴むと、一度広げてきちんと折りたたみ、フランツの体を慎重に拭いていった。首筋から肩、腕や胸、腹部から下、二つの足。特に胸や腹部は気をつけて拭いた。フランツのペニスから射精されて、精液が飛び散っていた。タオルはほどよい温さで、ロミオなりに気を使ったようだった。 「本当にこいつが好きなんだな」  まるで恋人を介抱するような健気さで、汗や汚れをぬぐってゆく姿を、ロミオは感心したように眺めている。 「最初、話を聞いた時は、あんたの頭がどうかしたのかと思ったけれど、本気だったんだ」 「ロミオ、俺はいつでも本気だ」 「けどさ、こんな回りくどいやり方をしなくても、こいつもあんたに惚れていると思うぜ」  ロミオは何やら肩を竦める。 「俺がパウロを好きだって言ったら、すっげえマジな顔をしたもんな」 「お前が俺を好きだって?」  フランツのペニスを綺麗にして、足の間もタオルを当てて拭いたパウロは、使用済みのタオルをベッドそばのサイドテーブルに置くと、隣にあるティッシュに手を伸ばす。 「いつから、俺がお前のジュリエットになったんだ?」 「バスルームの中で、俺の口が勝手に動いちゃってさ」  ロミオは悪びれもせず言う。 「少し、このドイツ人をけしかけてやろうと思ったんだ。大成功しただろう?」 「つまり、余計なことをしたってことか?」 「俺の愛情なんだぜ、パウロ」  ロミオは自分の胸を叩いた。 「お前のジュリエットが聞いたら、怒るぞ」  パウロはティッシュで自分の汚れた部分を拭きながら、忠告めいた口調になる。  するとロミオは、急に不機嫌になった。 「いいんだよ、あいつなんか」  何かを思い出したのか、声付きまで変わって、極悪陰険になる。 「聞いてくれよ、パウロ。この間の夜、俺と一緒にベッドに入ってキスをして、さあこれからって時に、電話が鳴りやがったんだ。あいつ、どうしたと思う? 仕事だからって、裸の俺をベッドに置き去りにして、出て行ったんだぜ! 信じられねえ!」  だから日本人は……と、憎たらしそうに続く。  パウロは汚れたティッシュを、ベッドの下に置いてある木製のゴミ箱に捨てた。苦笑いしか浮かんでこない。ロミオはカンカンに怒っているようだが、以前は、回転ドアのように色々な男たちとつき合っていたロミオの貞操が、今の恋人ができてからは、がっちりと鍵がかかってしまったようなのである。言いたい放題喋っているが、一年以上続いているということは、よほど惚れているのだろう。まだパウロは会ったことがないが、相手は仕事でミラノへ海外転勤してきた日本人だと聞いた。日本人なら、何となくイメージは浮かぶ。真面目な男なのだろう。  ――フラのように。  パウロはまたフランツを覗き込んだ。すっかり夢の世界の住人になっている。その様子に、パウロは自然に笑みがこぼれた。 「気分がすっきりしたら、編集したテープをじいさんに持っていけ。忘れるなよ」 「わかった」  まだ怒りで不貞腐れているロミオだが、パウロの言葉に背中を押されるように、カメラからテープを抜き取る。フランツが訪ねてくる前に撮影したゲイポルノ映画の映像だ。相手役は同じ俳優仲間のエミリアーノ・プラージである。それから照明の光も消す。 「ま、下手くそなドイツ人でもあいつとのセックスよりはマシだったな。あんなエロスもない奴とのベッドシーンなんて、ただのストレッチ体操だったからな」  同じゲイポルノ俳優であるエミリアーノとは犬猿の仲であるロミオは、ぼろくそに貶してテープをカバーに入れる。 「エミリアーノのセックスの才能は大輪の薔薇だぞ、ロミオ」  パウロはエミリアーノのゲイポルノ俳優としての資質を買っている。だからドン・ロッシーニへ贈るプレゼントに相手役として選んだのだ。あの貪欲なセックスの映像はさぞドンを興奮させるだろう。 「俺よりもあいつがいいって言うのか」 「お前は美しい薔薇だ。どちらも咲き誇っている」  ロミオが子供のように拗ねたので、パウロは衣服を着ながら軽やかに褒めた。実際にロミオは華やかな男だ。口は悪いが信頼もできる。ドンの孫でなければ誕生日プレゼントの話は簡単に終わったはずだった。 「まあね、この俺があいつに負けるはずがない」  無意味に対抗心を燃やすロミオに苦笑いして、パウロはフランツを静かに見つめる。まるでそれが自分の人生であるかのように、じっと目を離さない。  身支度を整えたロミオは振り返った。照明を消したベッドの傍らに立ち、眠るフランツを見下ろしているパウロの姿が、多少薄暗くなった室内でも、二つの瞳にはっきりと映った。 「――まるで、眠り姫を見守る王子さまのようだぜ」  ロミオは小さく口笛を吹いた 「このまま、寝かせておくのか?」 「ああ、今のうちに眠らせておくのがいいだろう。夜は長いから」  その言葉の意味するところは、ロミオにもわかった。 「なあ、パウロ。あんたの可愛いドイツ人なんだけど」 「なんだ?」 「もし……全部、嘘だって知ったら、どうすると思う?」 「どうもしない」  パウロは顔もあげずに即答した。  でもさ、とロミオは続ける。 「マフィアの脅しっていうのも嘘、撮影中のセックスシーンをやる振りっていうのも嘘、そもそも撮影ができないっていうのも嘘、ついでに俺がパウロに惚れているって言うのも嘘――何から何まで嘘だらけで、こいつ、怒らないかな?」 「怒らないさ」  パウロはロミオを振り向くと、あらゆる階層の男たちをその気にさせると評判の捉えどころのない微笑を浮かべた。 「俺はフラを愛している。それで十分だ」  絶対の自信が漲った言葉だった。  ロミオは息を呑んで、感服したようなため息をつく。 「……相変わらず、すげえな、パウロ」  始め持ちかけられた話は、幼馴染みのドイツ人に告白したいというパウロの願いだった。だが相手は恐らくゲイではない。普通の男を陥落させるために考えたのは、自分とのセックスに持ち込むことだった。なぜならセックスには自信があったから――そしてお伽噺(ストリア)は始まった―― 「ま、ハッピーエンドなら文句は言わないぜ。じゃあな」  ロミオは逃げるように背中を見せると、手を振りながら、部屋を出て行った。  ドアが音を立てて閉まった後、部屋は再び静まり返る。  パウロはその場を動かなかった。切り離されたような空間に身を委ねながら、ずっとフランツを見つめている。まるで今まで会えなかった時間を取り戻そうとするかのように、眠りの淵にいる幼馴染みの傍にいる。 「……いい夢を見ているんだろうな」  子供のように無邪気で健やかな寝顔に、会えなくなってから寂しかった心が、ゆっくりと満たされてゆく。 「次からは、俺の夢だけを見てもらうぞ」  パウロはベッドへ屈み込んで顔を近づけると、きちんと結ばれた唇に触れるようにキスをして、囁いた。   「――本番はこれからだ、フラ」

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