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第3話
密室と化したカラオケルームにて、五指の先端を合わせた茶倉がもったいぶって話し出す。
「烏丸はうちの高校が鳥葬学園って呼ばれとるわけ知っとるか?」
「鳥の自殺がめちゃくちゃ多いから」
「せや。鳥がひとりでに死ぬ場所だから鳥葬」
「縁起でもねえ名前だよな」
俺が今春入学した篠塚高校は市の北東に位置する小高い丘の上にあり、運動部が強豪ぞろいなことと設備が充実していることで知られている。
偏差値はそこそこで受験人気も中の上を維持してるが、唯一にして最大の汚点として鳥の衝突事故が絶えないことが挙げられる。
在校生なら一度は鳥の衝突死を目撃するといわれる頻度で事故が相次ぐ為、気味悪がって第一志望を避けるヤツも多い。
反面、神経が図太くて気にしないヤツもいる。俺は間違いなく後者なわけだが、それはそれとして自分が通ってる学校で鳥が大量に死ぬのは気持ちのいいもんじゃない。
高校に上がって三か月。あんまり頻繁に事故が起きるからクラスメイトはすっかり慣れちまって、教室のガラスが撓んでもうるさげに眉をひそめるだけ。日常と非日常がすり替わって、みんな麻痺しちまってるのだ。
「ところでお前、なんで鳥がガラスにゴツンするか知っとる?」
「鳥目だから?」
「正解は|鏡面効果《ミラーリング》」
「何それ」
「摩天楼を思い浮かべい。全面ガラス張りの高層ビルは周りの風景を映し込む。で、鳥はまだ空が続いてる思い込んで突っ込んでくるんや。アメリカじゃコイツが原因で年間1500羽が死んどる」
「そんなに?」
驚いて声が上擦る。
「日本でも鳥の衝突死は増えとって、特に9月・10月に集中しとるそうや。逆に鳥が営巣して縄張り意識が高まる6月前後は事故が減るらしい」
「今は時期外れってことか」
実に物知りだ。拝み屋の孫が披露した知識にのんきに感心していたら、冷静な声で水をさされた。
「ところがどっこい、篠塚高校は例外。一年中鳥が死にに来る。これまで出とる死骸は異常な数や。しかもそれが五十年前の創立以来ずーっと続いとる」
呪いみたいに。
最後に付け加えられた一言に悪寒が駆け抜け、ぬるくなったウーロン茶をちびりと啜る。
茶倉は淡々と話す。
「うちの校舎は普通の鉄筋コンクリート製で、鏡面効果と結び付ける根拠もたらん。三か月通ってけったいに思わんかった?いくらなんでも用務員の入れ替わり激しすぎや、よその高校と比べて教員もすぐ辞めはるし」
言われてみれば……先週までいた用務員のおっさんを見かけなくなった。一身上の都合で退職していく先生も多い。
「そういや4組のよっしー……吉沢先生も鬱になって辞めちまったな、入学式で挨拶した時は元気だったのに」
吉沢先生は大学を卒業してすぐ篠塚高校に着任した数学教師だ。年齢は二十代前半とまだ若く健康で、鬱とは無縁に見えたのに。
人が見かけによらないのは重々承知だ。表面上は明るく振る舞って、実は深刻な悩みを抱えてるケースもある。
しかし吉沢先生や用務員の場合は前触れなく、ある日を境に突然消えちまった。
産休や結婚ならめでたいが、うちの高校はどうもそういうのとは違って、関係者が逃げるように去っていく。悪縁を断ち切ろうとでもしてるみたいに。
「考えてみりゃおかしいよな、なんでうちの高校だけ?丘の上に立ってんのが関係してんのか、鳥が目印にしてるとか」
「丘を切り崩したんは無関係とちゃうやろな。気になるんは方位や」
「北東……鬼門?」
「賢いなあ、知っとたん?」
見直されてドヤる。いや、よく考えれば小馬鹿にされた?
「漫画で読んだことある。風水じゃ北東から悪いもんが入ってくるっていわれて、北東は鬼がいる方角、鬼門って呼ばれたんだろ。けどなんでお前が鳥の大量死調べてんだよ、誰かに頼まれたのか。もしくは拝み屋の孫の使命感か正義感か」
「ボランティアなんぞようせんわ、アホらし。いうたらせやな、腕試しかな」
茶倉の左手の数珠が、ミラーボールがまき散らす鋭角の光を反射する。
「意味不明」
首を傾げてウーロン茶を飲み干す俺に向かい、片頬笑む茶倉。ギラ付く眼光が危険な色香を孕む、好戦的な笑顔にぞくりとする。
「俺がどんだけ強くなったか『わからす』為に、ちょうどええ叩き台さがしとったんや」
「わからすって誰に?悪霊に?ということは……うちの高校って何かいんの?」
「俺の勘やとヤバいのがおる」
メロンソーダを飲み干し、用済みになったストローを指揮棒のように振り回して茶倉がうそぶく。
「何日か前に吉沢と元用務員に会うた。で、話を聞いた」
「どうやって家を掴んだ?」
「ツテを頼った。詳しくは企業秘密」
吉沢先生は野球部の顧問をしており、その日は帰りが遅くなったらしい。真っ暗闇に包まれた校舎をひとり歩いていた彼は、廊下の真ん中に立ち塞がる鳥居を見て、中心に生じた渦から湧き上がる恐ろしい断末魔を聞いたと証言した。
用務員の方も巡回中に鳥の自殺連鎖と謎の鳥居を目撃し、「この学校は呪われている」と震え上がったそうだ。翌日に自主退職したとしても責められまい。
茶倉の目が昏い影を孕んで俺を見据える。
「ガラスにうっかりゴツンする鳥がおるんは否定せん。せやけど毎日となるとでっかい意志を感じんか」
剣呑な眼光に気圧され、ごくりと生唾を飲む。
遥か昔から学園に巣食い、鳥の群れを招いて屠るおぞましいなにか。校舎内に鳥居を召喚し、贄の魂を吸い込むばけもの。
「まるで生贄だな。自分から進んで命を散らしに来る」
ましてや用務員の時は窓ガラスに順に突撃してきた。
遠い方から近付いてきたというのが本当なら何かの脅しや警告ともとれる、鳥居の出現と結び付けて考えるのが妥当だ。
シャツの下で鳥肌立った二の腕をこすって呟けば、茶倉がさらに雑学を教えてくれた。
「そもそも鳥葬ゆーんは昔の弔い方や。死体を野ざらしにして鳥に食わせる」
「うわグロ」
「宗教上は遺体の魂を天に送り届ける意義がある。チベットじゃまだやっとるみたいやな。その際は解体師って人らが鳥葬台に移動して、動物が食べやすいように肉を削ぐらしい」
「うへえ」
あんまり想像したくねえ。俺の辟易した表情を愉快げに一瞥、わざわざ手振りまで添えた茶倉が食えない笑顔で付け足す。
「日本じゃ鳥葬が主流やけど、中国じゃ天葬って呼ぶ。魂が抜けた肉を他の生き物に布施するっちゅー観点からは一概に忌避できん」
「日本じゃやってないんだろ?」
「刑法190条の死体損壊罪にあたるからな。せやけど似たのはあった。沖縄じゃ風葬いうて、やっぱり死体を野ざらしにして腐るまで放置するんや。肉が落ちた骨は海で洗い浄めて墓に納める、この手順が洗骨。インドネシアじゃ風葬で葬られた故人の魂は神になるって信じられとる」
「じゃあ罰当たりでもねえのか」
「中世は獣葬も行われた。文字通り獣に食わせて弔うやり方で、中には当然鳥も含まれとったから鳥葬と同一視してええ。広義の鳥葬は日本各地で行われとったっちゅーんが俺の見立てや」
「思い出した。化野、鳥部野、蓮台野は京都の三大風葬地って呼ばれてるんだ」
「野ざらしの『野』が付いとるんがその名残や」
嘗て日本には風葬にされた人たちがたくさんいた。彼等の遺体は墓すら作ってもらえず、鳥や獣に食われて自然に帰ったのだ。
しかし茶倉はばっさり切り捨てる。
「自然に帰すだの天に送り届けるだのは綺麗な建前で、貧乏人だから捨てられたっちゅーんが正しい」
「えっ、そうなの?」
「貴人は大がかりな葬儀して立派な墓に入れてもろとるのが証拠。職業に貴賤なしなんて大嘘や、現実には弔いにも貴賤がある」
茶倉の口角がしたたかな弧を描く。結構皮肉屋で厭世家だよな、コイツ……友達いないのに納得。
ある可能性が閃いて片手を立てる。
「待てよ待て待て。ってことは、うちの高校も風葬地に建ってたり?丘の上とかいかにもじゃん」
「今調べとるとこ。古い話なんでなかなか資料が集まらん」
そっけなく肩を竦める茶倉に落胆半分安堵半分、妙な気持ちになる。いくら俺が図太いとはいえ、風葬の跡地で勉強するのはぞっとしない。そういうところって多分、化野みたいに石塔建てて祀らなきゃだめだろ?
「話聞いてもまだ信じらんねえ……うちの学校がンな危険なトコだったなんて。もし茶倉の言うことがホントなら敷地に祠とか神社とかなきゃおかしくねーか」
「疑うんか?」
「あ、いや、お前の力?ってのは信じるよ、数珠のおかげで悪霊撃退できてマジ助かったし!でもホントにそんな鳥が死んでるならニュースになるはずじゃん、今はSNSであっというまに広がるし」
「学校が醜聞嫌って隠蔽しとる」
「陰謀論かよ」
ちょっと笑ってしまった。茶倉の話だけじゃ説得力が弱い。多少引き気味の俺の半笑いを冷ややかに眺め、拝み屋の孫が指摘する。
「ほなら聞くけど、なんでお前の霊姦体質が目覚めたんや」
「え……」
「篠塚高に入るまではピンピンしとったんやろ。偶然か?」
「篠塚高の悪い気にあてられて覚醒したってか?」
「忌み地っちゅーんはあるんやで、実際」
茶倉の説をよくよく反芻する。確かに、篠塚高に上がるまでは変な夢を見たことなかった。
「念のために聞くけどな、烏丸……お前が見たのって黒い影にヤられる夢だけか」
真剣な表情で詰め寄られて動揺する。
直後に脳裏に浮かんだのは乱れ飛ぶカラスのイメージ。俺はどこかだだっ広い場所に仰向けて、カラスの群れの乱舞を見上げてる。
視界に降り注ぐ黒い羽根。潰れた鳴き声。手足は何故か動かない。
「……ッ……」
「顔色悪いで」
「大丈夫……お前に言われて初めて思い出した。前にも悪夢っぽいの見てたよ」
「具体的に」
「丘の上を飛ぶカラスの夢」
なんで今の今まで忘れてた?不可解だ。悪霊にレイプされたショックがでかすぎて忘れてたのか……強姦の記憶で上書きされちまったのか。
覚えてる限りの夢の内容をしどろもどろ説明した所、烏丸は納得した表情で引き下がる。
「見始めたんが4月頃。入学した直後からとすると筋が通る」
「かなり前から目覚めてたんだな」
カラスの夢は霊姦体質が本格的に覚醒する前兆だった。ところがアホな俺は全く完全に忘れていた、今の今まで見事にスルーしていた。
だってただカラスが飛んでるだけで、他に何も起こらないのだ。人に話した所で「ふーん」と無関心に流されるのがオチじゃないか。
「友達作ったり勉強追い付くのに忙しかったし、しょぼい夢まで気が回らねーっての」
「一生懸命クラスに馴染む努力して偉い偉い、花丸くれたる」
クラスに馴染む努力を全放棄してる茶倉がまるで心のこもらない拍手を送ってよこし、怒りに震える拳を握りこむ。
今回ハッキリしたのは、篠塚高校が鳥葬学園と呼ばれる裏に何かあること。
教員や用務員の入れ替わりが激しいのは、彼等が夜の校舎で鳥の連鎖自殺と黒い鳥居を目撃したから。
俺の霊姦体質は4月時点で目覚めており、それには鳥葬学園の秘密が関係している。
そして茶倉練は、「腕だめし」が目的で鳥葬学園に潜むなにかに戦いを挑もうとしている。
「…………」
頭のてっぺんから爪先まで、目の前の男を値踏みする。
吉沢先生と用務員の退職理由を知る為に茶倉が頼ったツテとか、まだ気になることはたくさんある。とはいえコイツの性格上、突っ込んでも話してくれない気がした。
謎多き拝み屋の孫を感慨深く眺めているうち、茶倉の視線が右手首に移っていく。
「殆ど真っ黒やな」
「思ったより早い」と呟いて、おもむろに俺の手首をひったくる。
「汚したんじゃねえよ、勝手に濁っちまったんだ。風呂場で擦ったんだけど全然落ちねえ、洗剤使ったほうがいいかな」
「どこの世界に数珠を洗剤に漬けるアホがおる。ああいたな目の前に」
「まだしてねえし。未遂だし」
憮然と口を尖らす俺の手首を裏返しては表返し、一粒一粒の濁りを仔細に点検し終えた茶倉が、神妙な面持ちで告げる。
「はよせな手遅れになる」
「何するんだ?お祓いか?手遅れってなんだよおい!」
意味深に言葉を切られ、どす黒い不安が胸を蝕んでいく。
「うわっ!?」
物凄い剣幕で茶倉の肩を掴みかかるや、即座に足を払われた。
「いててて……」
ミラーボールの光が移り行く天井が視界を占める。背中からソファーに倒れ込んだ俺の胴に跨り、茶倉が嫣然とほくそえむ。
「お前がどうしてもってねだるなら除霊したってもええで」
「本当か!?」
「た・だ・し」
茶倉が俺の学ランの一番上のボタンに手をかけ、プチリと外す。外気に晒された鎖骨をしなやかな人さし指でなぞられ、官能に震える。
「途中で『待った』はきかん。覚悟せえよ」
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