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第5話

「なんとかしろ、鼓膜が破れる!」 カラオケルームをカラスの鳴き声が席巻する。モニターにはザザッ、ザザッとノイズが流れる。 激しくブレる映像に伴い、マイクが甲高いハウリングを引き起こす。 三半規管が歪む気持ち悪さ。局所的に重力が増したような酩酊感。 絶対的に何かが間違っている邪悪な感覚に支配され吐き気を催す。 「ぐっ……」 片膝付いた視界の隅、モニターの映像がブレて奇怪な影が紛れ込む。 霞む目を凝らして影の正体を捉える。ノイズの向こうに立ち現れたのは、漆黒の衣に緋袴を纏った巫女。 ぬばたまの黒髪に縁取られた卵形の顔は整っていたが、その印象をぶち壊すように異形のくちばしが生えていた。 『満願成就の時は近し。下僕どもよ、鳥葬の丘に来たれ』 鋭く尖ったくちばしから不釣り合いに澄んだ声が響く。否……アレは仮面だ。顔下半分に仮面を付けている。 直後にモニターが暗転、鼓膜を苛むハウリングが一際大きくなる。続いて流れ出たのは爆発的な音量の般若心経。 『仏説ぐぎゃああああああああ在菩薩ぎゃあああああ蜜多ぎゃっぎゃっ一切苦厄ぎゃぎゃぎゃあ異空ぎゃああ異色ぎゃあああ』 茶倉が歌ってたのじゃない。所々カラスの鳴き声にかき消され、ブツ切りになってる。 『ぐぎゃあああああ不垢不浄ぐぎゃあああ減ぐぎゃああああ空中ぐぎゃあああああああ耳鼻舌身ぐぎゃあああああああ無無明尽』 「ぐわああああああああ!」 歪めて曲げて毒して廻して堕とす、スピーカーから放たれる不協和音が邪悪な霊圧を伴い精神を汚染していく。鼓膜どころか頭蓋も割れそうな爆音に悶絶してると、強い力で後ろにで引かれた。 「最悪のユニゾンやな、仏陀もキレるで!」 茶倉が俺を力ずくで下がらせ、ポケットから出した懐紙にくるんであった塩を撒く。 「結界?」 「簡易的なやっちゃ」 三か所に盛り終えたあと、また別の三か所に撒いて線で繋げば、上下逆の三角形を二個重ねた六芒星が完成した。 「日本の魔除けの元祖、由緒正しい籠目紋」 般若心経とカラスのユニゾンはまだ続いていたが、結界の内側に退避すると少しだけ音量がマシになった。 茶倉は虚空を見据えて不敵に笑む。 「えらい音痴。笑える」 「どうなってんだよ茶倉、なんでマイクからカラスの声が聞こえんの?祟り?呪い?俺の夢や学校と関係ある?!」 「こけおどしやろ」 茶倉の片足にしがみ付いて震える。般若心経カラスリミックスは延々続いていた。 「非常ボタン押す?」 「お前の服ソファーやろ、マッパで抱き付いとんの見られたらややこしいことなるで。不純同性交遊で学校にチクられるかもな」 茶倉が深呼吸を経て瞠目、怜悧に研ぎ澄まされた声と表情で呪文を紡ぐ。 『籠目は目なり。これもまた目なり』 左手の数珠をブチブチ引きちぎり宙にばらまく。 弧を描いて投擲された数珠は偶然とは思えない正確さで床に転がるマイクを包囲し、朧げな光を発する。 『開け』 しなやかに泳ぐ指先で複雑な印を切り、炯炯と輝く眼光で空気のケガレを薙ぎ払い、ことごとくを捻り潰す傲慢さで命じる。 刹那……数珠の表面に真円が生じ、それが目玉を擬態した。目玉の視線は中央の一点、マイクに集中する。 六芒星の中心に立った茶倉が不可視の力を掌握するように片手を翳し、数珠が神々しい輝きを増していく。 『閉じろ』 整然と配置された数珠一粒一粒が瘴気を吸い取り、マイクから凄まじい断末魔が上がる。 「うわっ!」 耳を塞いで倒れこむ俺の視線の先、モニターが乱れまくってカラス女をかき消す。 カラオケルームに静寂が舞い戻った後、数珠の回収に向かった背中におそるおそる尋ねてみた。 「今のは?」 「目には目をの実践。カラス除けの目ん玉知っとるやろ、田んぼにぎょうさんある」 「それを数珠で代用したってのか?」 「言霊による見立ては神道や陰陽道の基礎や」 「見た目結構グロ、いや、ちょっとキモかったな」 「言い直す意味あったん?俺の機転で助かったんやから感謝せえ」 「あんがと」 正面切って礼をいうのはちょっと照れ臭いが、コイツが恩人なのは間違いない。それはそれとして疑問を呈す。 「なんでカラオケルームに……」 「むこうさんの牽制やろ」 「お前が学校の秘密調べてるから?え、俺は巻き込まれたの?」 「お前の霊姦体質に引き寄せられたんかも、せやったら俺の方が被害者や」 不満げな俺を一瞥、パンツを指先で摘まんだ茶倉が肩を竦める。 「別に俺をわるもんにしても」 「割勘で」 咄嗟に言った。 「は?」 「どっちのせいとか言い出したらきりねえし、引き分けにしようぜ」 拝み屋の孫があっけにとられる。 「……さいでっか」 茶倉が投げてよこしたパンツが脳天に不時着し、それに足を通す。 本人はすぐ侮辱されたみたいな仏頂面になり、部屋中に散らばった数珠の回収にとりかかった。 「けったいなヤツ。今ので引かんのかい」 「YouTubeに上がってたらヤラセ疑うけど、自分の目で見ちまったもん否定したってしょうがねえじゃん。でもホントすごいな、さっきの籠目紋?結界?マジで利くんだ、今度うちでもやってみる。塩はスーパーで売ってる食塩でいいの?味の素じゃだめ?」 「チャレンジするなら止めへんよ。実験報告よろしゅうに」 「でました塩対応」 ほんの少し場が和んだんで、背中合わせで数珠集めを手伝った。 「あかん、ソファーの下にもぐりこんでもたのがとれへん」 「俺イケっかも、関節柔いし。よっしゃゲット!モニターの裏にも行ったぜ」 「どうでもええけど服着てからさがしたら?」 「へっくちゅん!」 「言わんこっちゃない」 くしゃみをする俺に意地悪く失笑し、全部そろってるか確かめた数珠をポケットに詰める。ちょうど時間になったのでホールへ行って会計をすます。 「こっちも割勘な」 「当たり前や、無理矢理拉致られたのにおごらされたらかなわんよって」 「あのなあ……駅前まで引っ張ってきたのは否定しねえけど、カラオケは合意の上だろが」 「除霊はむしろノリノリやったやんけ」 「しー、声がでかい」 レジの店員が除霊の単語に首を傾げた。茶倉に反省の色はない。もしかしてわざとか性悪め。 「ありがとうございましたー、またのご来店お待ちしてますー」 間延びした声に送られて店を出る。まだ夜7時ということもあり、駅前広場にはサラリーマンや学生、客待ちタクシーがたむろっていた。 友達とカラオケに行ったことはあるが、誰かとふたりきりで入るのは初めてだ。しかもあんな…… 夜風でも冷やせない火照りを持て余し、ぱたぱた顔を扇ぐ。 「なあ……除霊ってやっぱ、最低週一はやんなきゃヤバいよな?」 「まあな」 「じゃあ来週も、その、カラオケ行く?」 語尾が自信なさげに萎む。 茶倉が探るような流し目を送ってきた。 「ソファーの使い心地よかったん?」 「へ、変な意味じゃねえよ。俺んちは親いるしお前んちはめんどくさそうだし、かといって学校はバレたらアレだろ!消去法で行くとカラオケボックスが一番安全じゃん、完全防音密室サイコー」 「ラブホ童貞?」 「悪霊の走馬灯でお腹一杯」 隣を歩く取り澄ました横顔をチラ見し、行為中の光景や感触を回想する。 理想の初Hとは全く違ったが、なんていうか……嫌じゃなかった。 だからこそマトモに顔が見れない。 あの口があの手があの指が俺にしたことをまざまざ反芻し、ぬるい夜風にさらした耳まで茹だる。 一方でヤッてる最中はイきたくてイきたくてイくことだけで頭一杯だったけど、出すもん出して平常心を取り戻したら恥ずかしさがぶり返し、距離の取り方がわからなくなっちまった。 正直、めちゃくちゃ気持ちよかった。 ハマっちまいそうだ。 意識してるのを悟られまいと歩くテンポをずらした途端バイブ音が響き、茶倉の顔が強張る。 茶倉が少し離れた路地に引っ込んでボタンを押す。 「もしもし、練です。さっきはすいませんお祖母様、少々取り込んでまして」 「様」?聞き間違いかと思って振り返る。 茶倉は酷く焦っていた。必死と表現してもいい切羽詰まった横顔と、畏まった喋り方。 「今後は気を付けます。すいません。自分の未熟さは十分承知してるんで、修行をサボったりしません。はい……はい。そうですか、市長さんが……恥をかかせてごめんなさい。今から帰ります」 さっきまでの自信に溢れた振る舞いが嘘みたいに、祖母と電話中の茶倉は委縮しきっていた。 見てはいけないものを見てしまった後ろめたさに胸が騒ぎ、壁にもたれて顔を背ける。 「反省します。ごめんなさい。軽率でした」 スマホに向かって繰り返し謝り、なお一方的に叱責される屈辱を耐え忍ぶ。 気配を消して聞き耳を立てる間、幻滅に似て非なるモヤモヤが胸中に広がっていく。 短い通話を終えたのち、足を引きずるように出てきて舌打ちする。 「クソババア」 忌々しげに顔を歪めて吐き捨てた悪態には、嫌悪と侮蔑と憎しみが滾っていた。 「一体何言われ、ッ!?」 立腹はまだおさまらないと見え、すぐそばのゴミ箱を力一杯蹴り飛ばす。蓋が外れて飛んでった。 「……学校とキャラ違いすぎね?なんで標準語?」 「家庭の事情」 詳しく説明する気はなさそうで、スマホをポケットに返す。 独り言で毒突く位なら愚痴ってほしいのに……全部見せた相手によそよそしく突き放され、ほんの少し落ち込む。 「今日って修行の予定入ってたのか?俺のせいで怒られたんならちゃんと説明を」 「いらんことすな」 「けどさ」 さらに食い下がる俺をうざったげに振り払い、足早に立ち去りかけて静止。視線の先には蓋が落ちたゴミ箱が。 「烏丸。明日ははよ学校来い、証拠見せたる」 「証拠?」 「鈍いやっちゃな。鳥葬学園の噂がなんでもっと広まらんのか不思議がっとったやろ」 「からくりが暴けたのか」 「簡単なこっちゃ。そのカルメ焼きより軽いオツムを絞って考えんかい」 瞼の裏で火花が弾ける。茶倉が得意げに含み笑い、デコピンをくれたのだ。 「ええか、5時に校門で待ち合わせや」 「早すぎね?」 「遅れたらデコピン」 「聞けよ」 「お前かて知りたいやろ、自分の身に何が起こっとるか。きっとヒントになる」 額を庇い抗議する俺をよそに、拝み屋の孫は片手を振って帰っていった。 練が帰宅したのは理一と別れた十分後だった。 茶倉邸が建てられたのは江戸時代らしい。豪壮な正門をくぐり、等間隔に敷き詰められた飛び石を伝い、玄関へ到着する。引き戸は施錠されてない。 「ただいま帰りました」 聞こえないようにと祈り、できるかぎり小さい声で述べる。土間で靴を脱ぎ、四季折々の樹木が彩る庭に面した廊下を抜けて自室へ。 練に与えられた部屋は廊下と襖で仕切られた八畳の和室だ。部屋の奥には机と本棚があり、反対側にベッドが配置されていた。 部屋に入るなり机に鞄を投げ出し、背中からベッドに倒れこむ。 「ふー……」 長々と息を吐き、黒ずんだ木目が奇妙な模様を描く天井を仰ぐ。 こっちに来てから初めて寄り道したかもしれない。体は心地よい疲労感に包まれていた。ふと左手を翳せば締め付けの跡ができている。 先日知り合いになった同級生の顔が瞼に浮かび、思い出し笑いをする。 「……こんなんとカラオケしたってツマラんやろ」 ホンマけったいなやっちゃ。カラスの死骸を持ち歩いてる所目の当たりにしても全然引かんし、俺の力にびびりもせん。 いけしゃあしゃあと割勘を提案する理一を回想し、顔に敷いた腕の下でクツクツ笑いだす。 祖母の家に越してきてから友達ができたためしがない練にとって、今日はハジメテずくしのハジメテ記念日だった。 カラオケに行くのも初めてなら割勘も初めて、祖母以外の人物の名前をマホの連絡帳に登録するのも初めてである。 ごそごそとポケットを探りスマホを取り出す。連絡帳には祖母の上に「烏丸」と表示されていた。ちょっとした出来心からボタンに指を添え、登録名を「理一」に修正。その後「トリマル」に変えて笑み崩れ、すぐさま我に返ってへこむ。 「きっしょ」 ぼっちをこじらせた自分に愛想を尽かし、放り投げたスマホが弾む。 体の相性は最高と実証済み。童貞なんか中2で捨ててるが、ぶっちゃけ女を抱く何十倍も気持ちよかった。 自分の下で泣いてよがる理一に嗜虐心が高ぶり、劣情が先走って本来の目的を忘れかけた。 我ながら倒錯した性癖にあきれるものの、こんなうちで育って歪まない方がおかしいかと開き直る。茶倉の家には魔物が棲むのだ。 とりあえずは様子見を兼ね、週一で除霊の予約を入れた。ただ働きはお断りだが、練の方でも征服欲と性欲を同時に満たせるのは大きなメリットだ。 「セフレ候補としてキープやな」 アイツいじめるのむっちゃ楽しい。癖になりそ。 学ランを脱ぐのも億劫でしばしまどろんでいると、癇性な足音が近付いてきた。練の他にこの家に住んでいるのは一人しかいない。即座に緊張が走り、起き上がって姿勢を正す。 襖が勢いよく開け放たれる。 廊下には和装の老婆が立っていた。 「お祖母様」 ベッドの上にきちんと正座する孫を眉一筋動かさず見据え、怒りを孕んだ険しい形相で念を押す。 「脱ぎなさい」 「はい」 礼儀正しく返事をし、衣擦れの音もしめやかに学ランを脱いだ。

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