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第6話
永遠と刹那が交錯する茜空に夥しいカラスが飛ぶ。
体は仰向けで身動きがとれない。何故だろうと視線を動かし目を剥く。両手のひらに杭が穿たれていた。足も同様に杭打たれ血が滴っている。
肉眼で見た途端痛覚が甦って耐えがたい激痛が襲い、貫かれた四肢が狂おしく疼く。
何これどうなってんだ。
助けを呼ぼうと口を開ける。が、声が出ない。ヒューヒューと掠れた呼吸音が連続するだけ。
俺はだだっ広い野原にいた。周りには黄金のススキが生い茂り、風に吹かれてさざなみだつ。
視界の大半は陰鬱な曇り空とそこに舞い飛ぶカラスが占めている。真っ黒く不吉な羽が絶え間なく降り注いで噎せ返りそうだ。
視線を正面に戻し、漠然とした違和感に気付く。騙し絵みたいにカラスの群れが近付いていた。
最初はもっと上空を飛んでいたはずなのに、今じゃ俺の体すれすれを掠めていく。
前へ後ろへ右へ左へ、全方位から滑空してくるカラスの羽ばたきが耳を圧し、ここから逃げたい一心で暴れ出す。
杭が指の股を裂く激痛に脳髄が焼け付く。皮が裂け肉が爆ぜ真っ赤な血が噴き出す。カラスの群れはどんどん近付いてくる。
俺の抵抗を嘲笑うようにもっと低くさらに低く、無防備な頭上を行き来している。
「!ッあ、」
一羽目が来た。
鋭く尖ったくちばしが上腕の柔肉に突き刺さる。節くれた鉤爪が肉を削いで持っていく。
続いて二羽目、肩の肉を啄んで噛みちぎる。三羽目、太腿。四羽目、脛。上半身も下半身も細切れに餌食にされた。悪食のカラスどもは本格的に俺に狙いを定めたらしい。
ぐぎゃあぐぎゃあ、耳を聾する鳴き声が膨れ上がって視界を漆黒が塗り潰す。
「ッあ、痛っぐ、ぁあっ」
自分の悲鳴が遠く近く歪んで聞こえる。全身が焼けるように痛い。生きながら肉を食われる痛み……ぐぎゃあぐぎゃあ、体にとまったカラスが腑を暴く。返り血で斑になったカラスが俺の腸を引きずり出す。別のカラスが肉片を咥えて踊り食い。
「あッ、うぐっ、ぁあっやめっ、くんなっ、ぁっちいけッ」
目に映る光景は地獄を思わせた。カラスたちはとめどなく群がってくる。俺は一切抵抗できず、生きながら食われる苦しみに悶絶する。
「ぁあっ!」
固く太いくちばしを抉りこまれて仰け反る。カラスたちが俺の胸を開き、左右対称に並んだ肋骨を外気にさらす。
肋骨の内側では毛細血管と脂肪を纏わせた心臓が、規則正しく脈打っていた。
「ッ、見ん、な」
刳り貫かれた腹腔から濛々と湯気が上がり、剥き出しの心臓が膨張と収縮を繰り返す。
弱々しく拒む俺の腸をカラスたちは嬉々として持ち去っていく。固く太く鋭いモノが全身至る所に突き刺さり、容赦なく身を削ぎ落とす。
「俺ん中ッ、見ないで、あぁ」
頼む死なせてくれ何でもする許してくれ!心の中で叫べど報われず、カラスたちに凌辱される。
「んぐ」
俺の腸。俺の肺。俺の心臓。俺の……臓物を啄まれるショックで不規則な痙攣を引き起こす。
「ぁうっ、ぁぐ」
残忍で貪欲なくちばしが肉を啄み、紐状の腸を伸ばし、腹をぐちゃぐちゃかき回す。いっそ死ねたら楽なのにそれさえも許されない。
激痛をごまかす脳内麻薬の過剰分泌で、今感じてる苦しみすらも被虐の官能に裏返り……
「ふぁ、あぁ」
ぐちゃぐちゃ血肉を捏ね回され、くちゅくちゅ固く太いモノを抜き差しされ、窄めた足指で地面を掻きむしる。
親父お袋姉貴、誰でもいいから助けてくれ。家族や友達の顔を片っ端から思い浮かべ、最後に行き当たったのは……
「ちゃく、らあ」
血痰が絡み、粘付く声を紡ぐ。
カラスの顔が眼前に突き付けられた。真っ黒な目に映りこむのは、戦慄の表情で凍り付く俺自身。
「頼むそれだけは」
卑屈な懇願は無視され、視界の半分が消滅した。くちばしが片目を抉ったのだ。
凄まじい激痛に脳裏が灼熱、絶叫。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッぁあ」
ブチブチ、筋繊維と視神経が引きちぎれる嫌な感触。眼窩から噴き出た血が顔半分を濡らす。たった今俺の片目をほじくり出したカラスが雄々しく羽ばたき、取り巻きどもがぎゃあぎゃあ追従する。
「はふ、あぁ」
息だけで名前を呼ぶ。
今度は口の中までもぐりこんだくちばしが、逃げそこねた舌を挟んで引っ張る。
「はふあ、はふへへ」
下の先端からツーと伝い落ちる唾液の糸。ブチブチ、根元からちぎれる音と感触。
大量の血が喉の粘膜を焼き、鉄錆の強烈な味が口腔に広がっていく。
自分の体がどうなってるのか見るのが怖い。死に瀕し朦朧とする頭の片隅に、それでもまだ一握りの意識が残っていた。
カラスが俺の目玉を、肉を、腸を、何かよくわからないものを食べている。体のあちこちが欠けて痛かった。ぎゃあぎゃあカラスが鳴いている。うるさい。なんで俺がこんな仕打ちを……
目を開けるとびっしょり汗をかいていた。枕元じゃスマホのアラームがけたたましく鳴っている。
「夢……」
それも極め付けの悪夢。カラオケボックスであんな話をしたせいだろうか。いいや、俺の霊姦体質が関係してる?
Тシャツの胸は大きく喘いでいた。念のため体にさわってみたが異常なし、どこも損なわれてない。
鼓動が鎮まるのを待って学ランに袖を通す。他の家族はまだ眠っている。好都合だ。
極力音をたてないようこっそり抜け出し、まだ人が少ないバスに乗り込んで学校へ赴く。
篠塚高校前のバス停に降り立ち、爽やかな朝の空気を吸いながら坂道を登る。途中でカラスを見かけるとぎょっとした。
坂の途中で竦みそうになる足腰を鞭打って校門に辿り着けば、茶倉が悠揚迫らぬ物腰で待ち構えていた。
「おはようさんとご愁傷様、どっちで迎えるか悩む顔色やな」
「嫌な夢見たんだ」
「話長くなりそやし、とりまこっち」
さすがに朝五時ということで、日課の朝練に打ち込む運動部の姿も見当たらない。登校時にすれ違うひとすら疎らだった。
「こんな早ェ時間にガッコ来んの初めて」
「遅刻ギリギリかい」
「朝苦手なんだよ。お前は?」
「禊があるから早起き」
「みそぎ?」
また聞き慣れない言葉。
空気が冷えているせいか、早朝の校舎はどこか他人行儀に見えて落ち着かない。茶倉に従って校内を徘徊中、人の気配を感じる。
「誰かいるぞ」
「知っとる」
校舎の外壁に並んで張り付き、遠ざかっていく気配の主に視線を飛ばす。
「体育の竹内?なんでこんな早く……」
ジャージ姿の竹内は片手にズズ、ズズと袋を引きずっていた。
反対側の手には鉄製のトングを持ち、それで地面に落ちた黒いかたまりを挟み、惰性のように袋に放り込んでいく。
生理的嫌悪に歪む顔と機械的な動作を見比べ、袋の内容物を直感する。
はたして、俺の予感は当たっていた。
一通り回収を終えた竹内が校舎の裏手に回り、古い焼却炉の蓋を押し上げ、両手で袋を逆さにする。
茶倉と目配せを交わして頷き合い、竹内と入れ違いに焼却炉の前に陣取る。
「開けるで」
茶倉が鉄蓋を開ける。
まだ火が入ってない焼却炉の中に投棄されていたのは、夜の間に衝突死したらしい大量の鳥の屍。一羽残らず首が折れている。
「昼は前座、本格的にきはるんは夜。せやから教師が早ォ来て始末しとった」
「これ以上噂が出回らないように、か」
「たぶん交代制ちゃうか?一人に押し付けたらパワハラゆうて騒がれそうやし」
鳥葬学園とあだ名されている割に鳥の死骸を見かけないのは、生徒の目に触れる前に先生たちが回収し、焼却炉で処分していたからにすぎない。
焼却炉があるのは学校の死角にあたる薄暗くジメ付いた場所で、用もないのに好き好んでくる生徒は少数派。
「掃除当番がゴミ捨てに来る頃にゃ一回目の焼却が終わって証拠隠滅完。待てよ、動物の死骸って勝手に焼いていいんだっけ?衛生上ダメなんじゃ」
「せやからこそこそしとるんやろ、評判大事さかいに」
茶倉はしれっというがまだ納得いかねえ。焼却炉の蓋を閉じ、疑問点を突く。
「先生だって人間だろ?鳥の死骸の始末なんてやらされたら、SNSでぼやきたくなるのが人情じゃねえの。いくら口止めされたからって、完全にダンマリでいられるもんか?」
「鋭い」
茶倉が鋭角に口の端を上げ、手の甲で軽く焼却炉を叩く。
「俺も同感。ちゅーことは、このガッコに巣食うなにかが認知を歪ませとんのや」
「難しくてわっかんねえよ、訳せ」
「表面張力」
「コップの水があふれるかあふれないかのギリギリで膜張る?」
「アレって結構きわどいトコまで耐えられるやろ。そんかしプチンといってもうたら一巻の終わり、ジ・エンド。この表面張力……霊的な磁場は中におる人間にも作用する。即ち」
「結界ん中にいる間は、異常を知覚できない?」
考えてみればそうだ。
茶倉のいうとおり、俺たちが鳥の死に慣れるのは早すぎじゃないか?
茶倉の情報を聞きに行った際、鳥の激突死を目の当たりにしたギャルと茶髪の反応を思い出す。
入学してまだたった三か月だってのに、今じゃ授業中や休み時間に窓がバンッて鳴ってもチラッと見るだけ。それってあきらかにおかしくないか?
次の言葉を口にすべきか迷い、生唾を飲んで切り出す。
「俺たちはこの学校にいる『なにか』に慣らされたのか?」
「『飼いならされた』んかもな」
ぎゃあぎゃあ。
不吉な声に顔を上げれば、俺たちの遥か頭上で一羽のカラスが旋回していた。
火葬される仲間を弔うように。
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