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第8話
魚住リカの葬儀の日は曇りだった。
葬式会場は閑静な住宅街にたたずむ一軒家。
白い壁と緑のスレート屋根のコントラストが鮮やかで、塀沿いにパンジーを植えたプランターが並ぶ平凡な家。
故人の自宅には鯨幕が張り巡らされ、駐車スペースに大きな花輪が立てられていた。
白菊をメインにした弔花には「篠塚高校教諭および在校生一同」と送り主の名前が入ってる。
「なんでよリカ……悩み事があったんなら相談してくれたらよかったのに」
「ひとりで逝っちゃうなんて酷いよ」
「相当グロい事になってたんだろ、死体」
「おもいきり地面に叩き付けられて首が折れたんだって」
「第一発見者は1組の烏丸?なんで旧校舎の裏なんかに」
「茶倉と一緒だったってホントかな」
「二人でこそこそ何やってたんだろね。まさか黒魔術を……」
葬儀に参加しろと言われたのは2組のヤツだけ、別クラスの俺は呼ばれてない。
けど、参加した。
最期の瞬間に立ち会っちまった責任を感じてたし、葬儀に出るのが義務のように思えたのだ。
それ以前に同中出身の元クラスメイトが死んだんだから、人情として弔いたい。
そんな感じで参列してるが、体調は優れない。
カラスに生きながら喰われる夢も最悪だが、目を瞑ると真っ逆さまに墜落する魚住が掠めて、ここ2・3日はろくに寝れてない。一晩中スマホをいじり、明け方や授業中にまどろむだけ。親には学校を休んだらどうか心配されたが、無理を言って登校した。
日常のルーティーンから外れる事で、何かが起きちまうのが怖かったのだ。
『満願成就の時は近し。鳥葬の丘に来たれり』
ピンクの唇が囁く。
『我はぬばたまの贄なり』
地面に叩き付けられる寸前、カラスの翼に似た黒髪を広げ、魚住が告げた言葉がぐるぐる回る。
ぬばたまの贄ってなんだ?
満願ってなんのことだ?
あれからすぐ警察が到着した。
屋上には魚住の鞄が置かれていたが、遺書は見当たらず自殺の動機は皆目不明。家でも学校でもこれといった問題はなかったそうだ。
第一発見者となった俺と茶倉も警察に色々聞かれた。
「こんな所で何してたんだ」と詰め寄られへどもどする俺をよそに、茶倉の野郎は眉一筋動かさず「不純同性交遊」だとかぬかしやがった。
警察の捜査の結果、魚住の死には事件性がないと判断された。俺と茶倉は同級生の突発的な自殺に巻き込まれただけ。
対応にあたった刑事のおっさんには「直撃をまぬがれたのは不幸中の幸いだな」と慰めてもらったが、ちっとも嬉しかねえ。
もっと早く気付けてたら、魚住の自殺を止められたのか?
埋葬の手を止めて空を仰いでたら、あるいは正面の茶倉に見とれてなかったら、魚住の自殺を防げたのだろうか。
「あの日リカ遅刻したよね。教室スルーで直接屋上行ったってこと?」
「死のうとして?」
「なんでわざわざ出てきたの?」
「学校に恨みがあったんじゃないの、失恋したとか友達に裏切られたとか」
みんなして好き勝手ほざきやがる。猛烈に腹が立ち、震える拳を握りこむ。
下世話な好奇心を膨らませる同級生のざわめきなど意に介さず、凛と背筋を伸ばして列に並ぶ茶倉。
僧侶の読経に乗せてしめやかに葬儀が営まれる中、壇上の遺影を鋭い眼差しで睨み据えるその様子は、群を抜いた容姿とたたずまいの静けさでもって異彩を放っていた。
「やっぱ茶倉が殺したのかな」
誰かが呟く。
「なんで?」
「だから生贄だよ黒魔術の。カラスじゃ飽き足らなくなったんだよ」
「悪魔の要求がエスカレートして」
「処女を生贄に捧げろー、ってお約束じゃん?」
「リカって処女なの?」
「いや知んね」
「でもまあ茶倉くんならやりそうだよね」
「どうやって?」
「遠隔コントロールで催眠かけてさあ。したら証拠残んないし、完全犯罪成立じゃん」
「リアルに悪魔呼び出したのかも。カラスの生き血で魔法陣描いたんだよ」
ひそひそ、ひそひそ。
まわりに白い目で見られても茶倉は我関せず堂々としていた。
自分の番が来ればスムーズに歩み出て、粛々と焼香を済ませ、数珠を巻いた手で合掌する。
緩やかに渦巻く煙と物憂い横顔の完璧な調和。洗練された所作に皆が見とれる。
焼香を終えて帰る際、座布団から腰を浮かした母親が茶倉の手首を掴んだ。
父親が詫びて引き離そうとするのをやんわり制し、ふたことみこと言葉を交わす。
俺の距離からじゃ会話の内容まではわからないが、珍しく優しい顔をしていた。
数分後、俺の番が回ってきた。焼香は人生二度目、母方のじいちゃんの葬式以来。トチらねえか不安だが、茶倉にならって遺影と向き合い合掌。
写真立ての中の魚住は笑ってた。
元同級生の冥福を祈り、遺族に会釈して去り際、思い詰めた面持ちの母親に呼び止められた。
「烏丸くん……だったかしら?今日はきてくれてありがとね、中学の時はリカと仲良くしてくれたって聞いたわ。あの子の部屋に体育祭の集合写真が貼ってあるからすぐわかった」
「いえ……こちらこそ、リカさんには色々よくしてもらいました」
「あなたとさっきの子が第一発見者だって刑事さんが言ってたけど、本当なの」
「はい」
「烏丸くんたちが無事でよかった。刑事さんや他のお友達は自殺の理由にまるで心当たりがないそうなの。うちもさんざん話し合ったけど、どうしてもリカに死ぬほどの悩みがあるとは思えなくて……そんなに思い詰めてたら母親の私がすぐ気付くはずでしょ?家じゃよく話す子だったし、友達みたいに仲良し親子だってうぬぼれてたの。でもわからないわ、思春期の女の子は難しいから……ちょっとした無神経がリカを追い詰めたのかもしれない。お小遣いを上げてあげればよかったのかしら、塾をサボるのを許してあげればよかったのかしら」
ブツブツ呟く母親を「やめなさい」と父親が窘めて肩を抱く。
「あの、お母さんのせいじゃないと思います。リカさんが死んだのは絶対他の理由なんで、あんまり自分を責めないでください」
「ねえ烏丸くん。リカ、最期にどんな顔してた?」
指が二の腕に食い込む。
痛みに顔をしかめてあとずさる。
「見たんでしょ、教えてちょうだい。笑ってた?泣いてた?それとも」
瞬きしない真っ黒な目。
能面めいた無表情。
二の腕にプツプツ広がる鳥肌。
「すいません、後が閊えてるんで失礼します」
空っぽだったとは言うに言えず、深々頭を下げて逃げ出す。心臓は早鐘を打っていた。後ろめたさと罪悪感に苛まれ、学ランの胸元を強く掴む。
「だからくぐんなって言ったのに」
え?
声がした方を振り向けば、以前茶倉の事を聞きに行った時魚住に相槌打ってたチャラ男がいた。デキてるんじゃねえかって勘繰った男子生徒。
「どーゆー意味だよ。魚住の自殺の理由知ってんのか」
顔面蒼白で立ち尽くすチャラ男に詰め寄る。声をかけた瞬間チャラ男は我に返り、そそくさ離れていった。
「待てよ!」
慌てて呼び止めるも遅く、伸ばした手の先で弔問客に紛れちまった。
「ンだよ……」
葬式中に事を荒立てたくない。怒鳴るのもNGだ。
チャラ男の追跡は断念し、アイツが発した言葉の意味を考える。くぐる。門。鳥居。鳥葬学園と関係あるのか?信じたかねえが、魚住の自殺は学園にかかった呪いのせい?
魚住んちの前には焼香を終えた弔問客がたむろっていた。喪服の大人と学生服の高校生の群れ。まるでカラスだな、と皮肉っぽい感想が浮かんでぞっとした。
右手に巻いた数珠は黒く濁りかけてる。
「よ」
顔を上げる。茶倉がいた。お互い口は利かず並んで歩き出す。
「お前もおったんか」
「同中だし」
「第一発見者やしな」
「魚住のお母さんと何話してたんだ?」
「別に。魚住が飛び下りる時に何か気付かんかったか、最期にどんな顔してたか聞かれただけ」
「俺も同じこと聞かれた」
「上手くごまかしたか」
「ホントの事なんかいえねーよ。あんな……」
魚住の中に別人が入ってたなんて、遺族に教えてなんになる?そもそも信じてくれるはずがない。
茶倉がさりげなく話題を変える。
「返り血はおちたんか」
「そっちこそ」
「黒は血が目立たんのが救い」
「助けてくれてありがとな」
ずっと言いそびれていた礼を伝えれば、生意気に鼻を鳴らす。
「心当たりないで」
「突き飛ばしてくれたじゃん」
「目の前塞がれて邪魔やったし」
「マジで素直じゃねーな、どういたしましてって言えよ」
苦笑気味に足を踏み出した拍子に、茶倉の左手で揺れる数珠に目が行く。
「よそ行き用?この前のと色違うけど」
もっとよく見ようと茶倉の左手を掴んだ瞬間、学ランの袖口がはらりとめくれ、手首の裏にくっきり残る爪痕が外気にさらされた。すぐに魚住の母親の爪痕だと悟る。
娘の自殺の真相が知りたくて、凄い力で茶倉に縋り付いたのだ。
「……痛くねえの」
葬儀中、茶倉は至って涼しげな顔をしていた。今だってそうだ。
おずおず尋ねる俺に対し、不敵で不届きな笑顔が打ち返される。
「人妻に爪立てられたんやで?燃えた」
自然体すぎて強がりだとわからない素振りで袖を戻し、歩きだす。
決して他人に弱みを見せず、しぶとくずぶとくマイペースを貫くその姿を見て確信した。
『やっぱ茶倉が殺したのかな』
んなわけねーだろばーか。
胸の中で吐き捨て、なれなれしく肩を抱く。
「いい奴だね練ちゃん」
「うざ。死ね」
「ツンデレんなって。いたいのいたいのとんでけー」
「熟女萌えやねん俺は、喪服ならリーチ役満倍率ドン。せやから話聞いただけ、断じて他意はない、下心しかない」
たじたじになって逃げてきた俺と違い、茶倉は最後まで立派に対応した。手首に爪が食い込む痛みにも耐え、逆に遺族を励ましたのだ。
見栄っ張りな茶倉が可愛くて、腕を回してよりかかる。
「他のクラスのヤツもちらほらおったな」
「明るくて友達多かったから」
「元同級生て聞いたけど」
「同中出身。2年3年と同じクラスだった」
「初恋の相手か」
「違うって、ただの友達!クラスのグループLINEじゃよく絡んだしほか何人かとカラオケ行ったりもしたけどさー。前から派手めだったけど高校上がったらすっかりギャルになっちまって、今じゃ廊下ですれ違った時に立ち話する位。そーゆー茶倉はどうなの」
「一回消しゴム拾てもろた」
「席近かったんだ?」
「まあな」
茶倉の返事を聞き、「付き合わない方がいいよ」と生前の魚住に警告された事は黙っとこうと決めた。
足元の石ころを軽く蹴り、頭の後ろで手を組んでぼやく。
「焼香、アレでよかったのかな。間違えてねェか不安」
「誰も注目してへんて」
「お前は慣れてたな。葬式でた経験あんの?じいちゃんとか」
「親の」
聞き間違いかと思った。
「両方とも事故で死んだ。で、こっちにきた」
「ごめん」
「お前が殺したんちゃうやろ。気にすな」
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