駅の近くまで来た時、昭和レトロな赤い暖簾を下げたラーメン屋が目に付いた。下町の中華そば屋とでもいったほうがしっくりくる庶民的雰囲気。 「ありがとうございましたーまたお越しくださいー」 ガタピシャ開いた戸から湯気に乗じて拡散される匂いに腹が鳴った。隣を歩く茶倉が茶化す。 「意地汚な」 「2・3日マトモに食ってねえんだよ」 「夢のせいで飯が喉通らんなんて繊細やな」 「ここ、魚住ときたことあるんだ」 「デート？」 「体育祭の打ち上げ。他の連中も一緒」 遠い目をしてしみじみ回想する。 「うちのクラスはみんな仲良くてさ。高校は別々になっちまうのもいるから、思い出作りを兼ねて挑んだ。結果見事優勝ウェーイ」 「お祭り好きがそろっとったんやな。担任に同情すんで」 ダブルピースで浮かれりゃ茶倉がげんなり。少しでも場を和ませようとして失敗した、温度差が物理的に痛い。なんで俺の純情な友情は毎度空回るんだ？ あれから数か月ぽっちっきゃたってねえなんて嘘みたいだ。 もし十年後か二十年後に同窓会をやっても、魚住リカだけ永久欠番の現実を突き付けられてしんみりする。 俺はたった三か月しか故人と過ごしてねえ茶倉に、魚住リカのエトセトラを色々教えてやった。 中学時代は陸上部のエースだった事。 足が速かった事。 男女対抗リレーで活躍した事。 高校デビューを果たした後はイメチェンして遊びまくってた事。 「打ち上げん時たまたま隣の席になって、どっちが早くたいらげるか勝負したんだ。他のヤツはチャーシュー大盛だの味噌バターコーンだのフンパツしてたけど、俺とアイツは金欠でただのラーメンしか頼めなくって……あっ誤解すんなよ、この店はフツメンもめちゃうまだから！しかも替え玉無料だぜ気前よすぎ」 「早食い競争のオチはよ言え」 「魚住の勝ち越し。リベンジマッチできないのが悔しいぜ」 帰宅ラッシュの雑踏のど真ん中で感傷に浸ってりゃ、店明かりの逆光に沈み、退廃的な陰影に隈取られた茶倉が暖簾を分ける。 「ほんなら追悼ラーメンといこか」 「金もってんの？」 「お前は？」 茶倉がしらけて聞き返す。学ランの尻ポケットを裏返す。五百円玉があった。 「ただのラーメンならギリイケる」 「よし来い」 尊大に顎をしゃくって引き戸を開ける茶倉に、値上がりしてないことを祈って続く。 妙な成り行きになった。 というか、茶倉のほうから言い出すなんて超意外。コイツも魚住の死に思うところがあるのだろうか？ 常に冷静沈着でポーカーフェイスで本心を掴みにくいが、だからといって哀しんでないなんて決め付けたくない。 立て付けの悪い引き戸を開けて敷居を跨ぐと、厨房から濛々と漂い出た湯気が顔を蒸す。 「いらっしゃい、二名様ですね。お好きな席にお座りください」 麺を湯がくおっちゃんに会釈し、カウンターに備え付けのスツールに腰掛ける。 「俺はラーメン。茶倉は？」 「同じので」 「かしこまりました、ラーメン二丁少々お待ちください」 おっちゃんが太い声を張り上げて応じ、ザルに乾麺を投げ落とす。 「全然変わってねえ」 シャッシャッ、軽快な湯切りの音。足をぶらぶらさせ店内を見回す俺の隣で、茶倉は落ち着かなげに調味料の瓶をいじっていた。 「カウンターべとべとしてへん？」 「しっ！」 おっちゃんは調理に夢中で聞こえてねえ。セーフ。 茶倉が物珍しげに店内を眺め、壁に貼られた短冊形のメニューを読んでいく。 「ここ来んの初？」 「せやけど」 「普段どこで食べてんの。学校近くの店？あそこちょっと高くね？」 「ていうか、四年ぶり」 「ええっ！？」 素で大声を上げちまった。 茶倉の親が死んだのは小5の時。ということは、こっちに越してきてからずっと食ってねえの？ 「嫌いなの？アレルギー？苦手がありゃ遠慮なく言え、代わりに食ってやる。トロ火でじっくり炙った極旨チャーシューとか」 「ピンポイントやん」 「お待ち」 だべってるうちに注文がきた。油膜の光沢が美しいスープに浮かぶメンマとネギと味付け卵、そしてバーナーで炙った自家製チャーシュー。縮れ麺を絡めて食うと最の高。 割り箸を割って丼を引き寄せる。 茶倉はといえばレンゲを持ち、澄んだスープを一口飲む。その目が驚愕と喜びで見開かれた。 「イケんだろ？俺のおすすめ」 「お前が作ったんちゃうやろ」 二人並んでずるずるラーメンを啜る。学生服を着てるのは俺と茶倉しかいないからまあまあ目立った……が、気にしないことにする。今はラーメンに集中したい。 臓物はみ出すグロい夢と魚住の最期を引きずり油っこいものに抵抗を感じていたが、やっぱ食欲にゃ勝てねえ。 久しぶりに食い物を送り込まれた胃袋が喜び、ああ、生きてるんだなあと実感する。五臓六腑に染み渡る美味さ。 茶倉はレンゲを傾け、そこにちまちま具をよそってた。 「移植は順調かミニラーメンの匠」 「ほっとけ。お前こそ、丼抱え込んで行儀悪いで」 「これぞ醍醐味」 数か月前まで魚住がいた席に茶倉が座ってんのはなんだかおかしくてちょっと切ねえ。ラーメンを半分ほど食べ進んだ頃、勇気を出して言った。 「魚住の自殺、やっぱカラスが絡んでんの」 茶倉は答えない。 「学園にかかった呪いのせいで死んじまったのか」 「親父、生ビール一丁！」 店内がうるさいのは幸いだ、高校生が自殺だの呪いだの物騒な話をしても怪しまれねえ。 「魚住は自殺なんてするキャラじゃねえ」 「疎遠になってたのに言いきれるんか？」 「自殺なら何かしら予兆があるはずだろ？LINEとか日記とか……けどそんなの全然ねえし、肝心の遺書も見当たらない。親・友達・担任・バイト先や塾が同じヤツ、全員心当たりねえときた」 魚住は明るく社交的で男女問わず人気があった。スクールカースト上位のギャル、それが魚住リカの立ち位置だ。 俺の方でも共通の知り合いにあたってみたが、人間関係に悩んでた形跡は一切ない。 「聞いたろ。アイツが最後に言った言葉」 『満願成就の時は近し。鳥葬の丘に来たれり』 『我はぬばたまの贄なり』 「声は魚住だけど魚住じゃねえ、別の何かが入ってた。アイツは殺されたんだ」 手の甲で顎を拭い断言。 茶倉がレンゲのミニラーメンをはふはふ頬張る。 「邪なもんに取り憑かれてたっちゅーんは同感。おおかた体を勝手に使われたんやろ、墜落中に目覚めんかったんがせめてもの救い」 「篠塚高を呪ってる悪霊の仕業？鳥葬の丘は篠塚高が建ってる丘だよな」 「せやな」 「ぬばたまの贄ってのは」 「ぬばたまは黒や闇にかかる古語の枕詞。贄は生贄」 「ってことは、鳥葬された人間の呼び名？」 「『我』いうてたんならそのぬばたまの贄とやらの霊が魚住に憑いてたんか」 「満願うんたらはもうすぐ願いが叶うって解釈で間違いねえよな」 「魚住はぬばたまの贄の再来に選ばれたんかも」 「願いを叶える為の生贄……ってこと？」 半信半疑で口に出し、改めてそのおぞましさを痛感する。 「……遺体、見せてもらえなかった」 「ぐちゃぐちゃやったし」 棺桶の窓を開け、最後の挨拶をする事すら叶わなかった。忸怩たるものを感じて俯く。 「ぬばたまの贄の願いって何？」 「鳥葬の丘をお花畑にして、なんてかわいらしーもんちゃうやろな。俺的にはなんで魚住が狙われたんかも謎、アイツ霊感あったん？」 「よくユーレイ見るって言ってた。修学旅行んとき大部屋で百物語仕切って先生に怒られてたよ。俺もあんま詳しかねェけど小学生の頃死んだばあちゃんが霊感強い人だとかで、その力を受け継いだんじゃねーの。お前とおそろいだな」 「元々こっちに住んでたんか」 「俺と同じ地元っ子」 「魚住の周りを調べなあかんな。ただ単に霊感強ォて乗っ取られたんか、それ以外に選ばれた理由があるんか」 茶倉が割り箸の先端を咥えて考え込む。俺はよく味のしみたメンマを噛んで質問する。 「2組のチャラ男知ってる？魚住とデキてたっぽい雰囲気の」 「特徴を言え」 「耳に赤いピアスしてる茶髪の」 「板尾か」 「多分それ。ソイツが葬式ん時変なことぬかしたんだ、『だからくぐんなって言ったのに』って。意味わからん」 割り箸をくるくる回して訴えれば、仄白い湯気に漉された眼光が鋭さを増す。 「本人に聞いた方が早い。板尾んちは」 「知ってんの？」 「知るわけない」 「だよな、ぼっちだもんな」 「孤高て言え」 「グループLINEはぶられてんじゃん」 「既読スルーとかもらったスタンプ使わんとかでねちねち言われたない」 「茶倉のアドレス知ってんのひょっとして俺だけ？」 「ババアがおる」 「家族はノーカン」 負けず嫌いな一面に笑いをこらえる俺をシカトし、強引にまとめる。 「明日学校で捕まえるか」 後ろを向いてスマホを操作。数秒後、茶倉の尻ポケットが震え出す。 「招待したから同意頼む」 「余計なまねを」 「LINE会議できた方が便利じゃんか。名前はТSSにしといた」 「何の略？」 「茶倉とスペシャルな助っ人」 LINE画面を開いてドヤる俺に、茶倉が呆れを通り越した憐れみの眼差しを向けてくる。 「茶倉なら頭文字は『C』やんドアホ」 「RSSでもいいぞ、理一とすっとこどっこいなセフレの略。いやLか？」 序でに「よろしく」と丸っこくデフォルメされたカラスがお辞儀しているスタンプを送信。 「カラスにモツ食われてるのにカラスのスタンプ使うて、お前の神経煮すぎてくたくたのメンマよか芯ないで」 そろそろツッコミ疲れしてきた茶倉の丼に、最後まで大事にとっといたチャーシューを投下。 「やるよ。四年ぶりだろ」 俺にお裾分けされたチャーシューを有難迷惑っぽく見下ろす茶倉。複雑な表情は照れ隠しと解釈する。続けて席を立ち、厨房で忙しく立ち働くおっちゃんを呼ぶ。 「替え玉追加！」 「かしこまりました」 「まだ食うん？」 「魚住のぶん」 「自分の胃にお供えしてどないすんねん」 正直ちょっとキツくなってきた、この店は量の多さが売りなのだ。けど頼んだ以上はしっかりたいらげる、それがアイツへの供養になるはず。 追加の替え玉を頬張る俺をよそに、既に食べ終えた茶倉はスツールを回しスマホをいじっていた。開かれてるのはLINEの通知画面。 「ТSSとかださくて萎えるわ～……」 憎まれ口を叩くわりには画面を閉じないのがアレだ、ツンデレだ。 「食べ終わったんならのっけとけ」 「え？」 訝しげな視線を割り箸でカウンターの上に誘導、端折って説明する。 「店の人が洗いやすいように丼おくの。マナーだよ」 「それ絶対？どこの店でもやっとるん？担いどるんちゃうやろな？」 「絶対かはわかんねェけど、店員さんの手間が省けんじゃん」 茶倉がスマホをカウンターに伏せ、厨房との境に丼をのっける。横顔はほのかに赤らんでいた。 どこまでズレてんだ。 吹き出しかけて口を噤んだのは、茶倉が両親と死別してるのに思い当たったから。 亡き両親にラーメン屋に連れてこられた事があるとして、その思い出が薄れかけているなら。 「……チャーシューメンにしときゃよかった」 そうすりゃ追加でおまけしてやれたのに。 俺のささやかな心遣いなど露知らず、先に会計をすませた茶倉が鼻白む。 「いやしんぼ」 「ごちそうさんでした」 空っぽの丼を前にげっぷし、魚住の分まで合掌した。