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第10話
その丘を司るのは神に見初められし特別な女たちだ。
一族の女は烏と契り天へ還る。それが宿命だと幼い頃より語り聞かされて育った。
母や祖母、曾祖母もそうだった。鳥葬の丘を司る巫女一族。
娘が庵を結んだ丘は近隣の人々に忌み地と呼ばれていた。屍が野ざらしにされた平安時代の名残りを引きずっているのだ。
丘を訪うのは真っ黒なカラスだけ。常に丘の上で廻り続ける影は、畑を耕し生きる里の者たちに不吉な使いと見なされた。
鳥葬の丘に住む異能の女たち。
時折里の人間が畑でとれた野菜や米を持参し、様々な相談に来る。
赤子は無事成長するか、日照りが続く村に雨が降るか、都に行ったきりの夫は帰郷するか。
里の人間は巫女たちに予言と祈祷を乞い、その見返りに収穫物をおいていく。
巫女たちは里の者の捧げものを頼りに生きていた。
そうするより他なかった。
できれば畑を開きたいが、丘を暴くのは許されざることだ。
この丘は多くの屍がさらされた合戦場の跡地であり、平安の世から風葬が行われていた。寝た子を起こす振る舞いには皆良い顔をしない。
母が烏と契って天へ帰った数年後、娘はたおやかに成長した。
烏の濡れ羽色の髪を靡かせ、漆黒の瞳を潤ませた娘の美貌に、里の男たちは畑を耕す手を止めて息を呑む。
娘の身には魔性めいた怪しい美しさが宿っていた。先祖代々、一族の女たちはやんごとない美貌を引き継いでいた。
ある時、ひとりの若者が丘に迷い込む。
季節は実りの秋で、黄金の波濤の如く一面にススキがそよぐ。豊穣を得に描いたような光景に魂を抜かれ丘をのぼっていくと、がしゃんと足元で何かが砕けた。
釣られて見下ろす。しゃれこうべだった。
仰天して足を引っ込める若者。よく見ればそこらじゅうに真っ白な人骨が転がっている。
ススキの穂に埋もれた骨の時代は色々で、まだ腐肉がこびり付いているものもあった。ボロボロに擦り切れた着物を纏っていることから、百姓らしいと推理する。
ぎゃあぎゃあと啼き騒ぎ、ぬばたまの闇が翼を広げ飛来する。
何十、何百ものカラスの群れが舞い降りて骸に辛うじて残った腐肉を啄む。あたりに舞い散る漆黒の羽。
「なぜ骸が」
「村八分にされた罪人です」
静謐な声音が響き渡る。
ハッとして視線を投げ、感動に息を呑む。
黒い小袖に赤い直垂を合わせた妙齢の娘が、ススキの穂波を分けて立っていた。
「この辺りは土地が少なく墓を作れません。故に村八分にされた咎人は丘に捨て置かれます。昔は罪の有無を問わず丘に運ばれたそうですが、最近はさすがに。ご領主やお役人様の目が厳しくなったのでしょうね」
娘の美貌から目を離せない。
歌うように心地よい声音と神秘的なたたずまいに心が浄化されていく。
ふと視線を下ろすと、足元に黒く小さな実が生っていた。異国の本で見た葡萄に似ている。若者の視線を追い、娘が淡く微笑む。
「ヒオウギです。ご存じありませんか?」
「実物を見るのは初めてだ」
「潰して漉して黒の染料にするのです。別名はぬばたま」
「あなたの着物もヒオウギで染めたのですか」
「はい」
「綺麗だ。とても」
するりと称賛の言葉が滑り出た。おもむろにその場にしゃがみ、たわわにしなだれた房をてのひらで受ける。戯れに潰すと真っ黒な汁が滲み出て、指を汚した。
若者は一晩の宿を求めた。
よその人間、それも男が丘に足を踏み入れるのは禁忌とされていたが、若者の熱意にほだされた娘は泊まるのを許す。彼女もまた人恋しかったのだ。
夕餉は粥だった。
青菜の切れ端と芋のかけらを煮込んだ貧しい粥とはいえ、娘が用意できる精一杯のごちそうだ。
「どうぞ」
「かたじけない」
椀を渡す瞬間、指先が触れあった。娘が面映ゆげに目を伏せる。若者が生唾を飲み、欲情をごまかすように粥をかっこむ。
「何故あなたのような若い娘さんがこんな所に」
「私は墓守なのです。ここは母に祖母に曾祖母、一族の終の地です」
娘が語る話に、若者は熱心に耳を傾けた。
里の者の施しで生きていること、時が来たら自分もまた烏に身を捧げねばいけないこと。遠い昔から連綿と続く血の誓約。
「時が来たら、と言ったね。それは」
「子を産んだのちです。私たちは娘しか生みません。生まれるのは必ず女と決まっております。不思議な事に、その顔は母と生き写しなのです」
「子の父親は」
粥を啜った若者が尋ねる。囲炉裏端に座った娘が長い睫毛を伏せる。
「天の使いです」
「神の種を孕んだとでも?」
「この丘にもともと住んでいた渡り神と言われております」
遠い目を虚空に馳せて娘が語りだす。
曰く、渡り神とは土地に根付かない神であること。その神はカラスに化け、全国の風葬地を巡っていること。屍を啄んで天へと還す使命を帯びていること。
若者は娘に同情した。
娘は若く愚かで、本当に神の子を孕めると信じ込んでいる。実際は里の男が夜這いにきているに違いない。
鳥葬の丘を守る巫女が私生児を産み落とすのは体裁が悪いから、神の子などとこじ付けたのだ。
「我々一族は神が帰りきたるまで丘を守らねばいけません。この地をみだりに荒らす者が出ないように」
「外の骸は?里の人間が置いてくのか」
「あれはぬばたまの贄です。渡り神の眷属を満たし、いずれヒオウギの肥やしとなります。そうして命は巡るのです」
「真っ黒な巫女装束も意味があるのかい」
「渡り神に仕える巫女の目印と聞き及んでいます」
「花嫁衣裳みたいだね。美しい黒無垢だ」
骸から芽吹いたヒオウギで染めた衣。ぬばたまの闇を宿す巫女。人ならざる神との婚礼にはふさわしい。
もし渡り神とやらが実在するのなら、全身黒ずくめの娘を眷属と見なすはずだ。
……とはいえ、神などにくれてやるには少し惜しい。
「里の人間も随分身勝手だ。君に不始末を押し付けているだけじゃないか」
若者がさしだす椀に芋粥のお代わりをよそり、物憂げに呟く。
「……哀れとは思います。村八分に処されたといえど人の身、亡くなったのちも顧みられず晒され続けるのは痛ましい。私の役目は虐げられた魂を慰めること」
「慰める、とは」
好奇心が先立ち具体的なやり方を聞くも、娘はおくれ毛をかき上げてはぐらかす。気詰まりな沈黙に話題を変える。
「窮屈じゃないのか?気味悪い丘にひとりぼっちで」
「それが務めなので」
若者は外の世界がいかに自由で素晴らしい所か、綺麗なものであふれているか説いた。
最初は反応の薄かった娘も次第に興味を示し、頬を可憐に染めて若者の話に聞き惚れるようになる。
娘は孤独だった。
物心付いた頃から一人ぼっち。最低限の世話は通いの老婆がしてくれたが、気味悪そうに娘を見るばかりでうちとけてくれない。
常日頃から里の者に忌避されていた娘にとって、偏見を持たない若者のそばは心地よかった。
「都には美しいものがたくさんある。きらきら光るトンボ玉、金のかんざし、縮緬緞子の着物も。君の黒髪によく映えるはず」
逞しい手に頭をなでられ娘はときめいた。だれかに優しくさわられるのは初めてだ。
一日また一日と若者の滞在は長引く。娘は甲斐甲斐しく若者の世話をし、若者はその返礼に都の様子を話す。彼が相当位の高い家の出だというのは、礼儀正しい振る舞いや言葉遣い、身なりから自ずと察せられた。付き人を連れてないのが不思議なほどだ。訳ありなのかもしれない。
娘と若者が男女の仲になるまでさして時間はかからなかった。
「お前さま、愛しております」
「私もだ」
ふたりは同衾した。何度も何度も肌を重ねた。
まだ幼い蕾を散らされ、女として花開いた娘は肉の快楽に溺れ、夜毎狂おしく若者を求めだす。
男と暮らしている事がばれたらまずいので、里の者が訪れた際は若者を隠した。
幸せな日々が永遠に続くように、娘は祈った。
やがて娘は子を身ごもる。若者は恋人の懐妊を喜んだ。日に日に膨れていく腹を抱え、娘は母になる喜びを噛み締めた。若者が娘の秘密を知り逃げ出すまで、蜜月は続いた。
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