眩い茜色が世界を染め上げる。それが視界を占める夕空だと気付いたのはカラスが舞っていたから。 またしても鳥葬の丘に仰向けていた。 唐突に頭上が翳り、翼を広げたカラスが舞い降りる。連中は次々滑空してくる。前と同じだ。俺は一切抵抗できずされるがまま、カラスの餌食となるしかない。 「！ッぁ」 やめてくれと狂おしく念じる心と裏腹に、鋭く固いくちばしが襲いかかる。 飢えたカラスどもが手や首、顔の肉を啄んであちこち引きちぎってく。 光り物に目を付けたカラスが学ランのボタンを咥えて飛び去る。ブチンブチン、繊維が裂ける音と共に金ボタンがさらわれてく。 詰襟のボタンが脱落し、首筋と喉仏が晒される。くちばしが刺さりそうでギュッと目を瞑る。遂に全てのボタンを奪い去られ、だらしなく前がはだけちまった。 「やめ、ろ、あっちいけ」 まだ辛うじて動く舌で抗議するも、カラスたちが言うことを聞くわけねえ。本格的な凌辱のはじまり、あるいは食事の時間。 「ァあっ、ぐあ」 肩に腕に胸に腹に腿に、体中至る所を抉られる。壮絶な激痛に瞼の裏が真っ赤に爆ぜる。これが本当の断腸の思い。畜生痛てえ、何で俺ばかりこんな目に遭わなきゃいけねえんだ理不尽だ。二の腕の内側の柔肉を持ってかれた。今度はふくらはぎ。全身に容赦なく穿たれる痛みは地獄の責め苦に等しい。 痛覚の存在を呪いたくなる程の地獄を味わってるのに、俺の運命なんてどうでもいいみたいに世界は綺麗だ。 無慈悲なまでに美しい夕焼けが丘全体を照らし、カラスを赤鋼の逆光で縁取る。 「ァっ、ァあっ」 ブチンブチン、繊維が裂ける音。もうボタンは残ってねえのになんで？違った、これは俺の視神経がちぎれる音だ。眼窩から零れる白濁した水晶体。眼球をうまそうに啜るカラス。世界の半分が消滅し闇に閉ざされる。 逃げなきゃ両目とも失明だ、それだけは絶対避けたい。どうにかしてコイツらを追っ払い助かる手立ては…… 不自由な視線を巡らし、離れた所に倒れている影に気付く。俺以外にも人がいた。息があんのかどうかよくわかんねえ。 ギリギリまで首を突っ張り、丘に倒れているヤツの正体を看破した瞬間言葉を失った。 「ァあっあ゛ッ、痛たっ、やめッて」 腰まで伸びた黒髪の少女が必死にもがいてる。着ているのは篠塚校の女子制服の黒セーラー。 「痛いッいだいっ、お父さんお母さんッ、まさたかあっ！だれもでいいだれからたすけて死んじゃうやだあっ」 皮肉にも暴れれば暴れるほど服が乱れ、腿の付け根まで裾が捲れていく。 「おねがいこないで、あっちいって」 仰け反り泣き叫ぶ少女にカラスが群がる。華奢な四肢にくちばしを突き立て肉を剥がし、露わになった胸すら穿ち、先端の突起をもぐ。 「魚住……」 「からす、ま？」 ヒューヒュー、お互いの喉から間延びした息が漏れる。呼びかけに応じ緩く振り向いた魚住の顔は、メイクが溶け崩れて酷い有様。ギャルの化粧を剥がされ覗いたあどけない素顔は、中学時代と殆ど変わっちゃねえ。 「なんでここに？」 「しらない……ここどこ、なんであんたがいんの。てかグロっ、キモイからこっち見ないで。目玉はみでてんじゃん」 魚住が弱々しくしゃくりあげる。俯きがちに嗚咽する様子に違和感を覚える。 「魚住……ひょっとして、自分が死んだの気付いてない？」 「は？」 魚住の顔に生じた困惑の波紋が極大の怒りと嫌悪に変化する。 「こんな時に悪ふざけやめてよ、なんで私が死ぬのよ！」 「学校の屋上から飛んだじゃん、板尾に『壱の贄』ってメールして」 「いちのにえ？なにそれ」 「こっちが聞きてえよ、それを教えてほしくてコックリさんしたんだよ！」 わけがわからねえ、どうして死んだはずの魚住が鳥葬の丘にいるんだ？これは俺が見てる夢で 『昔から眠りは死に近いって言われとる。夢を通じてあの世とこの世の境に迷い込んだり』 茶倉の蘊蓄と突飛な推理が結び付く。何の因果か、俺と魚住はもともと同じ悪夢に悩まされていた。だったら夢同士が繋がっちまうこともないとは言えない。 生者と死者の境界線は夢の中ではなお曖昧。あるいは魚住の魂が鳥葬の丘に囚われたのか…… 「魚住、さっき板尾が話しかけたの聞こえた？」 「正孝……」 魚住が一握りの理性を取り戻す。 「来週見に行く映画の話してた。誕生日にあげたピアスのことも。待って、アイツえみりに話すって言った？ぜってーやめさす」 やっぱり、自分が死んだ瞬間の記憶がないのだ。無理もない、あの時の魚住は操られてたのだ。 はたして真実を教えるのがコイツの為になるか判断できず、話題を変える。 「ここどこかわかる？」 「私の夢……」 「場所に心当たりは？」 「しらない……」 「多分学校がある丘の上だ」 「篠塚高、の？でも」 「だれかの記憶、大昔の出来事っぽい。俺もカラスに食われる夢見たんだよ。で、板尾経由でお前も同じ悪夢に悩んでたって情報ゲットした」 「付き合ってること話したの！？サイテー、信じらんない」 魚住が大いに憤慨。俺はじれて食い下がる。 「俺の夢は大体同じ、ススキの原っぱに寝転がってカラスに食われるんだ。時刻は夕暮れ時。お前も？」 全身が痛んで声を出すのもしんどい、それは魚住も同じはず。真っ赤な空には夥しいカラスが飛び交ってる。 「～～～～～～～～～～～～～～～～～～～ッ！」 何か言おうとした魚住の舌が食いちぎられる。声にならない絶叫が鼓膜を震わす。 夥しいカラスが魚住を埋め尽くし貪る、肉を啄み目をほじり汁を啜る。 「やめろ――――――――！」 腹の底から絶叫し、魚住の方へ手を伸ばす。駄目だ届かねえ間に合わねえ、全力で這いずっても近付けねえ。 降り注ぐ羽ばたき。忍び寄る夕闇。カラスに捧げられる壱の贄。 無力感にうちひしがれる俺の視線の先で、てらてら光るピンクの腸が引きずり出されていく。 「|ひはひへ《みないで》」 涙液が滲む片目。息だけのか細い懇願。猥褻な粘膜の光沢が一際映える。 「ぁうっぐ」 言われた通り、せめて顔は見ねえように唇を噛んで俯く。バサバサと羽音が立ち、今度は俺の方に黒い影が向かってくる。 「|ひひはふはひ《しにたくない》」 お前はもう死んでるんだよなんて言えねえ。それが救いになるとも思えねえ。ただひたすら聞かねえふり見ねえふりして、一分一秒でも早くこの時間が終わってくれるように神頼みするっきゃねえ。 カノジョを見捨てていかざるえなかった板尾もこんな気持ちだったのか？ 現在進行形で見殺しにしてる俺の方が罪が重いじゃねえか。 魚住がカラスに犯される。固く太いくちばしが柔肉を貫通し、血なまぐさい湯気と共に中身を暴き立てる。 「あッ、ぁあ゛ッ」 カラスと少女の交わりを描いた煽情的で猟奇的な責め絵。残虐美の極致の肢体。 「ん゛ッ、んん゛ッ」 同時に俺も犯される。固く太いくちばしが体中に穿たれ、奥の奥まで暴き立てようとする。 助けてくれ誰か。親父、お袋、姉貴…… 茶倉。 右手首が熱を帯び、借り物の数珠がぼんやり輝きだす。今しも俺に飛びかかろうとしたカラスが断末魔を上げて霧散、数珠が神々しい光輝を増していく。 最後に魚住と目が合った。俺の片目とアイツの片目が視線で結ばれ、すぐ断ち切れる。 …………ッは！！！！」 目が覚めた。視界は相変わらず闇に覆われている。次第に暗さに目が慣れていき、元の教室の床に寝てんのを自覚する。 帰ってきた。 信じられねえ想いで振り仰げば、ノートに指を擬したままの茶倉が呆れ顔で見下ろしていた。 「おはよーさん」 ジュッ、右手首が焼ける。 「熱ッ！」 咄嗟に手を庇い跳ね起きる。右手に巻いた数珠の輝きはどんどん薄れて収束していき、真っ赤な火傷の痕だけが残った。 「夢……」 手首を裏返し、また表返す。 「繋ごうたんか」 「聞けよ、魚住に会ってきた！同じ場所・夕焼け真っ赤・カラスわらわら鳥葬の丘！やっぱアイツ操られてたんだ、自分が死んだ事全然気付いてねェの、前にお前言ってたろ死者の夢に迷い込むとか記憶の追体験とか！待てよ板尾はどこに」 俺たち以外いない教室を見回し、漸く三人目の不在を思い知らされる。窓の外の生首も消えてた。机や椅子がそこかしこでぶっ倒れ、竜巻でも通り抜けたっぽい惨状。床には前衛オブジェさながら花が撒かれている。 「ぶっ倒れてた間なにがあった？」 よく見りゃ茶倉は学ランを乱し、ボタンを何個か紛失していた。十円玉から指を離してねえのがあっぱれな奇跡に思える。 茶倉はあっさり言ってのけた。 「聞いて驚け、学園ごと異界入りしたわ」