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バレンタイン・キス⑤

「健一さん、こっち」  タクシーから降り、涼さんに手を引かれて前に一度訪れた彼の店の前に立つ。  前庭は左手に車が二台ほど停められるスペースがあり、右手はよく見るとオリーブの樹が目隠しのように立ち並び、色とりどりの草花が春の訪れを色づかせている。  俺は導かれるままに店に続く敷石を歩いていたが、涼さんはその手前で右へと折れる。ちらりと下を見ると、同じ敷石が続いており、彼は躊躇いなくすたすたと進んでいく。  きっと、そっちに自宅スペースの入口があるのだろう。  細い路地を歩き、目の前に焼き板の腰高の壁が現れる。よくよく見てみると一部が扉のようになっていて、涼さんは扉部分を開いて俺を「こっちです」と促してくれた。庇と壁で気付かなかったけども、引き戸が佇んでいる。  店は北欧風の無垢材を使ったナチュラルな雰囲気があったが、こちらは純和風な雰囲気が漂う。  カラカラと引き戸が滑る音が聞こえ、広い土間が顔を覗かせる。来る途中の敷石と同じものが床に敷かれてるからか、狭さを感じない。涼さんが靴を雑に脱いで急かしてくるのと、片手が封じられてるのもあり俺も靴を脱ぎ捨てる。  握られた手がずっと熱い。家に来てから更に温度が上がっているような気がする。  きっと互いに欲情している状態が続いているからだろう。同じような体温に胸が擽ったくなる。  途中切り替えのある階段を上り、四つある扉の内ひとつが開かれ、エスコートされて入ったその場所に驚きで目を見開く。  広い。最初の感想はそれだけだ。  和の雰囲気を残しつつ、涼さん位の若い人が使いやすそうな家具が配置されたベッドルーム。こげ茶と生成りで構成されたシックな部屋は、微かにお香の良い香りが漂っている。  場所も高級住宅街と言える地域にあり、広大な敷地にリフォームされてさほど時間の経っていなさそうな立派な自宅兼店舗。  とてもじゃないが、二十代半ばの男性が保有するには違和感しかない。 「ここ、涼さんの家?」  思わず俺が疑問の声を上げても仕方ないだろう。不躾にもほどがあるけども。 「ええ、今はそうです。元は祖父母の自宅があったんですけど、遺産相続でこの土地と家を譲り受けたので、全面リフォームして一部を店にしたんですよ」 「そうなんだ……」  つまりは、この家の雰囲気とかは涼さんの好みという事か。  しかし、これだけ大きく素晴らしい家を持っているのに、どうして俺と同居する気持ちになったのだろう。  もしかして俺をこの家に入れたくなかった?  でも、今はこうして互いに発情した状態でこの場にいる。  さっき涼さんは、自分の事を不甲斐ないと言っていたけども、それと何か関係があるのだろうか。  次から次へと疑問は湧いて出てくるものの、不意に俺の体が倒れて柔らかくふんわりとしたものに包まれる。  微かに部屋を漂うお香の匂いが鼻腔を擽る。埋もれるように包まれたそれの感触に、自分がベッドに横たわっているのだと気づかされた。 「すみません、健一さん。オレ、もう、我慢できなくて……」  ふ、と頭上によぎる影の気配に、俺はそちらへと目を移す。覆いかぶさる涼さんの目は欲情の焔が揺らめき、獰猛な光を孕んでいる。  俺も早くひとつになりたい。が。 「ちょ、ちょっと待って!」  両手を涼さんの胸に置いてグッと押し返す。両手を涼さん……決してダジャレではない! 「どうしたんですか、急に」  明らかに不機嫌が滲む声で余計に焦る。  涼さんはノンケだ。知識としては男同士のやり方は知ってるかもしれないけど、女性とするみたいに直ぐにインできないのだ。 「あっ、あのっ、じゅ、じゅんびをっ」  言葉をつっかえ訴えてみれば、涼さんは俺に覆いかぶさったまま、目を上に見上げて逡巡している。それから「あー」と気の抜けるような声がこぼれ落ちた。 「そういえば、しないとですね。気が焦ってすっかり失念していました」  にっこり微笑む涼さんに、俺は意味が分からないままコクコクと頷く。  普通に『アレ』とか言ってるけど、俺の言ってる意味と同じなのだろうか。 「そ、それで、ちょっとトイレ借りたいんだけ」 「ああ、心配しないでください。オレがやってあげます。大丈夫、ちゃんとやり方は調べて知ってますし、ローションとかもありますし、ですから」  相変わらず涼さんの胸を押して願い出た言葉を遮られ、涼さんはにこやかに自分がやると言う。不穏なセリフが聞こえた気がするけども、気のせいだろうか。 「ちょっと……それは……」  幾らなんでもノンケな涼さんに自分の尻のナカの洗浄を任せるのはちょっと…… 「……ダメ、ですか?」 「ダメっていうか、デリケートな場所だし、排泄する場所だから汚いし……」 「健一さんに汚い場所なんてありませんよ?」  きっぱりと断言する涼さん。いや、普通に清潔じゃない場所ですから。一般的にそこは出すに特化した場所なんで。 「それに、自分でやると洗い残しとかあると思いますよ? それなら、オレがやったほうが健一さんも安心できませんか?」  ね? とゆっくり涼さんの尊顔が近づき、俺の頬に唇音を立ててキスしてくる。  顔中至る所に降ってくるキスと、コートの上から撫でる性的な匂いのする大きな掌の感覚に、次第に頭の中が陶然としてくる。 「オレに任せて? ね、健一さん」  やたらと甘ったるくねっとりとした懇願の声が頭の中まで侵してくる。ふわふわと心地良い酩酊感に混濁した頭で、俺は「うん」と頷いていた。

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