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第5話 変態でごめんなさい
アララギ中佐が次に高級娼館に来たのは、二回目から半月くらい経ってからだった。もう来てくれないのかもと思い始めていたから、主人から指名が入ったと聞いたときは本当に嬉しかった。
その日は朝からソワソワが止まらなくて、昼過ぎからいそいそと部屋の用意を始めた。まだ時間はたっぷりあるのに、湯を使って後ろの準備まで終わらせてしまった。準備の間中、またアララギ中佐とできるのだと思うだけでお腹の奥がキュンと痺れた。そのせいで準備程度じゃ我慢できなくなって、ほんの少しだけ指で感じるところをクイクイ押してしまったりもした。
「だって、中佐とするの、すごく気持ちよかったからさ」
気持ちいいことが大好きな僕にとって、気持ちよくなれるお客さんは文字どおり神様だ。アララギ中佐はそういった意味でも神様に間違いない。
「後背位がいいって、どうやって切り出そう……」
僕は後背位が好きだ。ほかの体位も好きだけれど、獣みたいになれる後背位は特別だと思っている。普段は見せないお客さんの荒々しい姿が見られるし、すごく求められているような気がしてたまらなくなるからだ。だから、ぜひともアララギ中佐には後背位でお願いしたいけれど、それをどう切り出そうか悩んでいた。
気持ちよくなることに貪欲な男娼が好きなお客さんも多いけれど、中佐はどうだろう。
「……ガツガツいく男娼が嫌だって場合もあるか」
それなら、やっぱり様子を見ながらにしよう。行為自体は中佐も好きなようだし、機会があれば後背位に持ち込めるかもしれない。
僕はうっとり妄想しながら、余裕綽々でアララギ中佐がやって来るのを待ち構えていた。そんな余裕は今度もまた、あっさり裏切られることになった。
「や、だぁ……!」
「ここは、そうは見えないが?」
「やだ、やだ、ってばぁ……っ」
僕もアララギ中佐も全裸でベッドの上にいた。前回と違うのはベッドで仰向けに転がっているのが僕のほうで、僕の足の間に陣取っているのが中佐だってことだ。
僕はとんでもない刺激から逃れたくて必死に体を動かそうとしていた。それなのに大きな手に阻まれて、左右に体を逸らすことすらできない。
「ほんとに、や、なんですぅ……、ぁんっ!」
「嘘はよくない」
「やだやだ、やだァ!」
足をバタバタさせようとしたら、すぐさま中佐の手にガッチリ太ももをつかまれて動けなくなった。そんな状況に僕は本気で泣きそうになっていた。
(だって……だって、中佐の舌が、僕の勃起したアレを、舐めたりするから……!)
「や、だぁ……も、やめて、……んぅ、やめ、あぁン!」
竿を舐められていたはずが、急に温かくてぬめった感触に覆われてビックリした。慌てて下を向いたら、中佐が僕の性器を口に咥えているのが見えた。慌てて両足をバタバタさせながら腰を動かそうとしたけれど、やっぱり逃げることはできない。そうこうしているうちにジュッと啜られて頭が真っ白になった。
「え、……ヤダ、や、やぁ……ァアンッ!」
「ん、……んく、ん、」
「あぁン! ひ、やめ、やめてぇ……っ」
僕は無我夢中で足をバタつかせたり腰をねじったりした。それなのに、さすが軍人さんと言うべきか中佐の手は全然離れることがなく、ますます僕のものに吸いついてきた。ちゅうちゅう、なんて音まで聞こえてきた僕は、あまりの衝撃と予想以上の快楽に腰が砕けてしまった。
「……ぁあああァン!」
思い切り吸われて、我慢しようと思う間もなくイッてしまった。
(……ウソだ……こんな早く、イッちゃうなんて……)
あまりにも早い絶頂に呆然とした。男娼として、これほど情けないことはない。
呆然とした僕の視界にアララギ中佐の顔が映った。気のせいでなければ、口とのど仏が動いたように見える。……もしかしなくても、中佐が吐き出した精液をゴクンと飲み込んだということだ。
(……なんなんだよ、もう……)
気がついたら、僕の目尻はじんわり濡れていた。
「……どうして泣く?」
泣きたいとは思っていないのに、勝手に涙が出てくる。
「……ひぐ、……っ、だって、……やだって、言ったのに、ひぐっ」
「でも、気持ちよかったんだろう?」
そりゃあ射精しちゃったわけだから、気持ちよかったのは間違いない。でも、問題はそこじゃないんだ。
いい年した男娼が行為の最中に泣きじゃくるなんて、あまりにみっともない。こんなふうに泣いてしまうのは初めてのことで、僕自身も少しビックリしていた。
「…………すまなかった」
「……っ、僕の、っほうこそ、……ごめんなさい、っ」
えぐえぐとみっともなく泣いているのが恥ずかしくて、枕に顔を埋めたまま中佐に謝る。
そもそも中佐はまったく悪くない。どちらかというと僕の問題で、どう考えても僕が悪い。それなのにお客さんに謝らせるなんて、男娼としてあるまじき行為だ。
僕はなんとか起き上がって、どうしてか正座しているアララギ中佐の前に座った。もちろん、僕も正座した。
チラッと窺い見た中佐は、怒っているような感じではない。どちらかというと戸惑っているみたいで、これはちゃんと話をするべきだと思って口を開いた。
「…………僕、自分が舐められたりするの、苦手なんです……」
「……」
突然の告白に中佐は驚いたような顔をした。それはそうだろう。男娼がアレを舐められるのが苦手だなんて話は、僕だって聞いたことがない。それでも苦手なものは苦手だから仕方がなかった。
「……あの、僕がお客さんにあれこれするのは大好きなんですけど、いろいろされるのは……苦手というか、困るというか……」
「…………」
「あの! 気持ち悪いとかじゃ、ないんです! その、いまもすごく気持ちがよくて、思わず出ちゃったくらいよかったんですけど! ……でも、なんていうか、気持ちはいいんですけど、申し訳なくなるというか、僕なんかにいろいろしてもらうのが、気が咎めてしまう、というか……」
説明しながら、何を言っているのか自分でもわからなくなってきた。それでもそう思ってしまうのは昔からで、いまも変わらない奇妙な感覚だった。
ヤナギさんに手ほどきされたときには、口淫をされても大丈夫だった。むしろ気持ちがよくてビックリしたくらいだし、一発で行為が好きにもなった。
けれど、いざ仕事となったらダメだった。まるでお客さんに奉仕されているような気持ちがして、どうしても気が咎めた。何だか悪いような気がして苦しくなった。お客さんに気持ちよくしてもらうのは良心が咎めるというか、胸が痛んでどうしようもなかったのだ。
そういうことが何度も続いてから、僕は一方的にお客さんに舐められたり弄られたりすることに耐えられなくなった。だから、僕のほうからお客さんに積極的にあれこれするようになった。男娼仲間からは「変な奴だな」と言われるけれど、こればかりは自分でもどうしようもできないんだ。
「ええと、でも僕、気持ちがいいことは大好きなんです! アララギ中佐とするのも、すごく気持ちがよくて、今度いつ指名してくれるだろうって毎日思い出しちゃうくらいだったんです! だから僕のことは気にせずに、どうか思う存分突っ込んでください! 僕の体で気持ちよくなってほしいです! 遠慮せず、むしろガンガン突っ込んでほしいというか、いっそのこと後背位でめちゃくちゃにしてほしいくらいというか……! ……あ、」
一気に話してから、ハッと気がついた。僕はいま、言わなくてもいいことまで言ってしまったんじゃないだろうか。
「気持ちいいことが好き」というのは男娼だからいいとして、「僕の体で気持ちよくなってほしい」は厚かましすぎる気がする。しかも勢いあまって「後背位でめちゃくちゃにしてほしい」なんて、三回目のお客さんに対して積極的すぎだ。
もちろん全部本当の気持ちではあるけれど、中佐が積極的で淫乱な男娼に嫌悪感がないのかわからない段階で言うことじゃなかった。「やってしまった……」と反省しながらも、チラチラと中佐を窺い見る。
(……ええと、これは驚いている、ってことなのかな……)
アララギ中佐の顔はポカンとしていた。強面でもそういう顔は可愛く見えるんだなぁ、なんて呑気なことを思ってしまった。ベッドの上で正座している大きな体も、魂が抜けたような表情も、全部が可愛く見えて仕方がない。
これはもう、大きなワンコだ。そのくらい可愛い。大きな熊のぬいぐるみでもいける気がする。犬もぬいぐるみも僕が大好きなもので、そういえば人買いに売られる前の家には大きくて真っ黒な犬がいたなぁなんてことまで思い出してしまった。番犬だったあの犬は僕の一番の友だちで、いつも一緒に寝ていた。
(あのモフモフは気持ちよかったなぁ……って、違う違う)
つい、現実逃避のように過去に思いを馳せてしまった。こうしてよけいなことに気を取られるのは僕の悪いクセで、何度も主人から注意されているのにすっかり忘れていた。
そんな僕を現実世界に呼び戻してくれたのは、アララギ中佐の笑い声だった。
「はっはっは、はは、アッハッハ……ッ、クックック、フ、フハハハ、は……」
急に笑い出した中佐にビックリした。まぁ、急に変なことを言いまくったのだから笑われても仕方ないとは思う。それでも、正座したまま震えるほど笑うなんて笑いすぎじゃないだろうか。
(……そんな、お腹抱えてまで笑わなくっても……)
そう思ったら、勝手に唇が尖っていた。それに気づいたらしい中佐が、笑い涙を拭いながら謝ってくれた。
「いや、笑ってしまってすまない。まさか、こんな男娼がいるとは、ハハハ、思わなくて、クックックッ」
「いやいや、だから笑いすぎでしょ」と心の中で突っ込む。
「……はは、いや、本当にすまなかった。笑うつもりはなかったんだが、俺の知る高級娼館の者とはあまりに違っていて、驚きすぎて笑いになってしまったんだ」
「……まぁ、変わってるってよく言われますから、いいですけど」
貴族を相手にする高級娼館で、僕みたいな性格の男娼は珍しい。そのことには仕事を始めて割とすぐに自覚した。
僕はお客さんとの駆け引きが苦手だ。褒められればすぐに懐くし、「泣き顔が見たい」と言われれば多少の行為も受け入れる。気持ちいいことに流されやすいのに、お客さんから一方的にあれこれされるのは大の苦手だ。小柄でもきれいでもなくて、じゃあお金をかけて身なりを整えるかといえば、そんなことにお金は使いたくないと思ってしまう。
さらに言えば年増と言われるような年齢だし、かといって身請けを真剣に考えたりもしていない。自分で数え上げたことだけれど、ちょっと悲しくなるような男娼だ。
(……わかってたけど、結構しんどいな……)
自分の置かれている現状に思わずスンと鼻を啜ったら、「笑ってしまって、本当にすまなかった」と慌てたように中佐が謝ってくれた。
アララギ中佐は、きっととてもいい人だ。軍人は怖い人という印象しかなかったけれど、中佐は優しいし怖くないし、むしろ可愛いところがたくさんある。「こういう人が常連になってくれたらいいなぁ」なんてぼんやり思っていたら、とんでもないことを中佐が言い出した。
「……その、今日はもう、やめたほうがいいか?」
「へ……? やめる、って……えぇっ!? なんで、なんでやめるんですか!?」
「なんでって、それはその……、泣かせるようなことをしてしまったわけだし、」
「それはもう大丈夫です! 全然っ、大丈夫ですから! だから、最後までしましょう!? ね!?」
僕は食い気味になりながら必死に続きを強請った。こんな状況で終わりになんてしたら、今度こそ中佐は二度と僕を指名してくれなくなる。それはすごく嫌だった。
せっかく理想的な逸物を持つお客さんに巡り会えたのに、何もしないままなんて据え膳すぎる。それに指名してくれたお客さんを気持ちよくしないままというのは、僕自身が納得できなかった。
行為をすることでしか、僕が高級娼館にいる意味はない。払ってもらったぶん気持ちよくなってもらわなければ、僕の存在価値はなくなってしまう。何よりすごく相性がよさそうな上客を、みすみす手放すなんてことはできなかった。
正直に言うなら、もっとお金を貯めるためには中佐のような上客を逃したくない、なんて下心もあった。だから僕は必至にお願いした。もう貪欲になることがどうだとか、中佐に引かれるかもしれないなんて心配は頭になかった。
「そんなに必死にならなくても、帰ったりしないから」
気がついたら、中佐にぎゅっと抱きしめられていた。落ち着かせようとしているのか、大きな手で何度も頭を撫でている。
「高級娼館の娼婦や男娼にとって、客が途中で帰るのがよくないことだということは知っている。だから帰ったりはしない。安心してくれ」
「…………はい。……あの、みっともないことをしてしまって、重ね重ね申し訳ありません……」
「気にしなくていい。元はと言えば、俺のせいなんだろうからな」
「そんなことは……あの、本当にすみません」
「謝らないでほしい。だが、今夜はこのまま寝よう」
「えぇー……それは、僕的にも困るというか……」
「今夜は、ということだ。続きは、また今度だな。俺も次は君が嫌がることはしないと誓う」
「……次って、」
「そうだな……。十日後には休みが取れる。そのとき、また指名させてくれ」
これまでにもお客さんとこういった約束をしたことはあるけれど、アララギ中佐との約束は僕を妙にドキドキさせた。今回、最後までしていないからだろうけれど、そうなると次は最後までということで、抜かずの三発だって期待してしまう。
そう考えるだけでまた胸がドキドキしてきた僕は、結局この日の夜はほとんど眠ることができなかった。
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