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第12話 僕を受け取ってください

 ヤナギさんの話は、こうだった。  アララギ中佐は、頻繁に僕を指名するようになってからすぐに何日分もの支払いをして、僕がほかのお客さんに指名されないようにしていたそうだ。それは中佐が来られなくなったあとも続いていたらしく、だから主人からも何も言われなかったのだ。  そうまでして中佐がお金を払っていたのは……なんと、僕を身請けしようと考えていたのだそうだ。でも、身請けのためのまとまったお金を準備するまで少し時間がかかる。その間にほかのお客さんに僕が抱かれるのが嫌で、主人に言い含めるぶんも込みで払っていたということだった。 「……そんなふうに思っていてくれたなんて、まったく気づかなかった」  そりゃあ珍しく何度も指名してくれる上客だとは思っていたけれど、まさか身請けしようとしてくれていたなんて……これまでのことを思い出すと胸がくすぐったくなる。 「それにしても、ほかのお客さんに指名されたくない、なんてさ……」  そもそも僕は男娼だから、お客さんに指名されるのが当然だ。それが嫌だとか、そのために娼館に来ない日のぶんまで払うだとか……嬉しくて、口がもにょっとしてしまった。  僕の身請けに必要なお金は結構な額だったらしく、中佐は金策の一つとして昇進することを決意したんじゃないか、というのがヤナギさんの見立てだった。「まさか少将にまでなるとは思わなかったけど」と笑っていたけれど、僕も本当にそうだと思った。  少将のような特権中の特権階級ともなれば、お屋敷を何個も買えるくらいの給金がもらえると聞いたことがある。それなら大抵の男娼や娼婦は身請けできるだろう。だから昇進することを決めたんだとしても、貴族じゃない中佐が少将になるのは大変なことだ。  だから、ひと月以上も高級娼館(ここ)に来られなかったに違いない。そこまでして僕を……そう思ったら、やっぱり口がもにょりと笑ってしまった。 (……だとしたら、あの女の人は誰だったんだろう……)  僕の“恋煩い”とかいうものは、まだ続いていた。中佐の隣にいた女の人が誰だったのか、どうして一緒にいたのか……仲がよさそうに見えたけれど親しい間柄なのか、何度も考えてしまった。二人の様子を思い出すだけでやっぱり胸がツキツキして、息が苦しくなる。  それを治すには中佐と話をするのが一番だとヤナギさんに言われた。たしかにそうかもしれないけれど、うまく尋ねることができるか不安だった。  恋愛という意味で誰かを好きになったのは中佐が初めてで、何て尋ねればいいのかわかならい。それに「初恋は叶わないってのが定番だなァ」と言った主人の言葉も気になって仕方がなかった。 「主人は、たまに意地悪だよなぁ」  もし本当に初恋が叶わないとしたら……考えるだけで泣きたくなる。いや、身請けしてもらえるんだから、それ以上のことを求めるのは贅沢だ。 「……でも、もし中佐も僕のことを少しは……だから身請けしてくれるんだとしたら……」  そうだったとしたら、それこそ泣いてしまうくらい嬉しい。でも、そんな嬉しいことが立て続けに起きるはずがない。だから変に期待しないほうがいいということは、男娼になってから何度も学んだことだ。 「……うん、それはわかってる」  そばにいられるだけでいいんだ。そう思っているのに、やっぱり少しだけ胸が苦しくなる。 「……こんなことじゃダメだ。それに、まずは前回のことを謝らないといけないんだし。中佐が許してくれるまで、ちゃんと謝らないと」  これからアララギ中佐がやって来る。僕が逃げ隠れしたあの日以来の指名だから、少し緊張した。  どんな理由があったとしても、お客さんを放置して逃げ出すなんて許されるはずがない。普段は優しい中佐だけれど怒っている可能性だってある。そう思うと違った意味で胸がドキドキしてきた。 「もしかして、身請けを考え直すって思ってたら、どうしよう……」  ふと浮かんだ内容に、サァァッと血の気が引いた。身請け先がアララギ中佐だと知って心臓が止まるくらい嬉しかったけれど、気が変わったかもしれないと思ったら心臓が止まりそうなくらい不安になった。  もしかして僕は、とんでもないことをしてしまったんじゃないだろうか。あれから十日も経っているし、その間に中佐からは何の連絡もなかった。それくらい怒っているのだとしたら……。 「……どうしよう、どうしよう……」  僕は真っ青になったまま、ただひたすら中佐が来るのを待った。もし気が変わって「今日は来ない」と下働きが言いに来たらどうしよう……そんなことまで思っていたからか、部屋の外で足音がするたびにビクビクしてしまった。  そんなふうに不安と緊張でガチガチになったまま夕方になり、ついに中佐が部屋にやって来た。扉を叩く音にビクッと震え、慌てて部屋に招き入れたものの顔を見ることができない。  僕は「とにかく謝らなければ」と思い、勢いよく腰を曲げて頭を下げた。 「あのっ! 前回は、本当に、本当にすみませんでした……!」  謝っても許してもらえるかわからなかったけれど、僕には謝ることしかできない。謝って謝って、ちょっとでも中佐の気持ちが晴れてからでないと、顔を見ることもできそうになかった。 (……どうしよう、……中佐、何も言ってくれない……)  どのくらい頭を下げていただろうか。何も言ってくれない中佐の様子に涙が出そうになる。それにずっと頭を下げているから、クラクラしてきた。もう一度頭を上げて、顔を見ながら謝罪したほうがいいのだろうかと思い始めたとき、ようやく中佐の声が聞こえてきた。 「……嫌われたのかと、思っていた」 「……ぇ?」  そうっと頭を上げたら、そこには太めの眉をヘニョリと下げた中佐の顔があった。その顔は強面というよりも、主人に置いていかれたワンコのように見える。 (……どうしよう、こんな状況なのに……可愛い……)  大きな体はいつもより小さく見えて、きっと耳と尻尾があったらどっちも力なく垂れていたに違いない。 (……可愛い。やばい、すごく可愛い……)  うっかり口がヘニョ、と緩みそうになって慌てて引き締めた。 「ずっと放っていたわけだし、そんな客のことをいつまでも気にかけてくれるわけがないと思った」 「ええと、どういうことですか?」 「……放置しておいたくせに急に身請けしたいとか言い出した俺に、愛想を尽かして逃げたのかと思ったんだ」 「ええぇぇ!? そ、そんなこと、思ってません!」 「……でも、ツバキは男娼だろう? 俺だけを待っていてくれているはずがない。それに……俺が来ない間に、客を取ったと聞いたし」 「客を取った」と聞いて、すぐにモモハ様のことを思い出した。 「ああぁぁぁ、それはその……! あの、僕は男娼だから、お客様に指名されないのは困るわけで、仕事をしないでダラダラしているのは性に合わないというか!」 「……客を取らなくても十分なくらい、金は払っておいたんだが」 「うわあぁぁぁぁ……! いや、僕、それ知りませんでしたし!」 「……主人には、身請けが正式に決まるまで、本人には言わないでほしいと言っておいた」 「それじゃあ、僕は何もわからないですよぅ……」 「…………期待させておいて、実際に身請けできなかったら失望させてしまうだろう? それは男娼にとってつらいことだと主人に言われた。だから黙っていてほしいと頼んだんだ。……少し時間がかかってしまったが、ようやく身請けできる算段がついて、それでこの前、それを伝えようと思って来たんだが……」  そうか、中佐は僕のことを考えて黙っているように主人に伝えたんだ。それはとても嬉しいことだけれど、それならそうと何かしらで教えてほしかったとも思ってしまった。 (……いや、ちゃんと言ってもらわないと僕が気づくとは思えない)  モモハ様に指名されたとき、主人もヤナギさんも変な顔をしていた。僕がもっと察しのいい人間だったら、きっと何かしら気づいたに違いない。でも、ぼんやりな僕は気づくことができなかった。  そう、僕はちゃんと言ってもらわないと何にも気づけないんだ。そのくせ気になったことはとことん気になり続ける。それで今回みたいなことになるくらいなら、最初にきちんと尋ねてしまえばいい。 「……あの……僕、聞きたいことがあるんですけど」 「なんだろうか?」 「僕、ちょっと前に見たんですけど。……あの、大きな噴水のところで……」  そこまで言って、あのときの様子を思い出して胸がキュウッと苦しくなった。それでも、ちゃんと聞かなければいつまで経っても気になってしまう。 「噴水のところで、女の人と一緒にいたのを、見かけて……」  息がちょっと苦しくなってきた。 「ピンク色のドレスを着た、中佐より随分と小柄な方だったんですけれど、あの……恋人、なんですか?」 「恋人」と口にしたところで胸がズキッとした。ギュッと喉が詰まって苦しくなる。勇気を出して聞いたものの返事を聞くのが怖くなって、僕はそっと中佐から視線を外した。 「噴水……ピンク色のドレス……? ……あぁ、彼女のことか」 「彼女」という単語に肩が震えた。やっぱり答えを知るのが怖い。知らないのは気になって怖くなるけれど、知ることはもっと怖い。 「あのっ、変なこと聞いてごめんなさ……」 「彼女は大将閣下の、上官のお嬢さんだ」  僕が「ごめんなさい」と言い切る前に中佐が答えた。 「大将閣下……」  大将というのは上級士官の頂点に立つ人のことだ。軍人さんであるアララギ中佐の上司で、ヤナギさんの話だと少将に抜擢した人ということになる。そんな偉い人のお嬢様ということは、やっぱり恋人、いや、許嫁なのかもしれない。 (出世するときに偉い人のお嬢さんを奥様にすることは、貴族ではよくあることだって聞くし)  それが立身出世の早道だと、昔お客さんだった貴族の人に聞いたことがある。  中佐は本当ならなるのが難しい少将になるために、大将のお嬢様を奥様にすることになったのかもしれない。そうしないと、もしかしたら少将になれなかったのかもしれない。 (……僕は男娼だし、別に、だからどうってことは、ないんだけど)  娼婦や男娼が身請けされるということは、愛人になるということだ。だから中佐に奥様がいてもおかしいことではないし、それを僕がどうこう思う必要もない。……それなのに、やっぱり胸が苦しくて息ができなくなる。 「偉い方の、お嬢様だったんですね。……あの、とてもお似合い、でしたよ」  変な声にならないように気をつけて話したのに、俯いたからか少しだけ声が震えてしまった。 「……もしかして、勘違いしていないだろうか」 「……」  中佐の声にも顔を上げることはできなかった。だって、いまの僕は絶対に変な顔をしているはずで、そんな顔を見られるのは嫌だった。 「お嬢さんはただの友人だ。というか、ほとんど妹みたいなものだ。彼女には買い物につき合ってもらったんだが……。もしかして、ツバキは焼きもちを焼いているのか?」 (ヤキモチ……焼きもち……?)  中佐の言葉を頭の中でくり返す。“焼きもち”を“焼く”というのは、つまり……僕が妬いているということだ。  意味がわかった瞬間、顔がボボボッと真っ赤になった。いくら好きな相手だからといっても、男娼である僕がお客さんに焼きもちを焼くなんてどうなんだ。 (いや、身請けされるんだから、焼きもちくらいは焼いてもいいのかな……)  いろんなことが初めてすぎて、その辺のことがよくわからない。 「はは、そうか、ツバキが焼きもち……。ということは、少なくとも嫌われているわけじゃないということか」 「嫌うなんて、そんなこと、あるわけないじゃないですかっ!」  中佐の言葉にビックリした僕は、慌てて頭を振って否定した。 「嫌いどころか大好きなんです! 好きすぎて、毎日中佐のことを思い出しながら一人でしちゃうくらいなんですから! でもいいところには全然届かなくて、よけいに切なくなって、でも体が疼くから前も後ろも自分でいじって……あ……」  しまった、また余計なことまで言ってしまった。しかも、言わなくてもいい夜のことまで話してしまうなんて、どれだけ僕は馬鹿なんだろう。恥ずかしいやら情けないやらで、中佐の顔が見られない。その場にしゃがみ込んだ僕は、顔を隠すように膝に顔を埋めた。 「……相変わらずだな」  気のせいでなければ、中佐の声が笑っているように聞こえる。僕はますます情けなくなって、膝に額をぎゅうぎゅうと押しつけた。 「そんなツバキだからだろうな。……俺は、ツバキのことが好きになった」 「…………へ?」  いま、もしかしなくても「好きになった」と聞こえた気がする。僕のことを中佐が好きになった、と言ったんだろうか。  僕は真っ赤な顔のまま、ゆっくりと顔を上げた。 「あの……もしかして、いま、好き、って……言いました?」 「あぁ、言った。俺はツバキが好きだ」 「……中佐が、僕を、好きって、」 「好きになった。だから身請けしようと決意した」 「え、と……、あの、ほんとに……?」 「じゃなきゃ、面倒くさい少将になってまで身請けしようとは思わない」  どうしよう、どうしよう、心臓がバクバクして苦しい。中佐が僕のことを好きだなんて、だから身請けしたいだなんて、嬉しすぎて苦しくなる。  てっきり性欲のはけ口のためだとか、そんな感じで身請けされるのだと思っていた。体の相性がいいっていうことは中佐も口にしていたし、全部挿れることができる相手は僕しかいないようだから、てっきりそういうことなんだと思っていた。  そりゃあ、中佐も僕のことを……なんて少しは考えたけれど、その考えは何度も打ち消した。 (それなのに、好きだから身請けしたいなんて……)  本当なのかわからなくて中佐をじっと見上げる。中佐は視線を逸らすことなく、真剣な目で僕を見つめ返してくれた。 「ぼく、僕も、アララギ中佐のことが、好きです……!」  立ち上がった僕はぶつかるように中佐に抱きついた。大きくて逞しい中佐はガッチリと受け止めてくれて、そのままギュウギュウと抱きしめ返してくれた。  中佐のことで思い悩んだり身請けの話に驚いたり、まさかの中佐からの告白があったりと、僕の気持ちは急流下りさながらだ。あまりにもビックリすることばかりで、僕は中佐に抱きついたままヒンヒン泣いてしまってきた。  そんな情けない僕を、中佐は静かに抱きしめてくれた。頭や背中を撫でてくれたりして、そんな優しい中佐の仕草に何度もドキドキした。 (可愛いのに……かっこいいだなんて、卑怯だよぅ……)  中佐は可愛くてかっこいい軍人さんだ。そんな人に身請けしてもらえるなんて奇跡すぎて、ますます泣けてくる。  でも、泣いてばかりじゃ本当にダメだ。腕から離れた僕は、袖で顔をゴシゴシ拭ってから中佐の顔を見上げた。 「ええと、あの、身請けしてくれて、ありがとうございます。僕、本当に嬉しいです」 「いろいろと手続きがあるから、実際に俺のところに来てもらうのは、もう少し後になるがな」 「あの、そんなに急がなくても、もう大丈夫ですから。僕、ちゃんと待ってますから」 「……俺が我慢できそうにないんだ。だから早く引き取りたくてたまらない」  ボソッとつぶやくような中佐の言葉に、せっかく収まっていた赤面がまた復活してしまう。 (ど……どうしよう。甘々な中佐も……可愛くてかっこいい……)  行為の最中もいろいろ甘い言葉を言われたけれど、素面のときにこんなことを言われたのは初めてだ。それが嬉しくて、赤くなった頬を両手で隠しながら中佐を見る。すると中佐の顔も少しだけ赤くなっていた。 「か……かわ、……っ」  危なかった。うっかり「可愛い」と口走りそうになった。さすがにまだそういうことを言うのは早い気がする。慌てて口を塞いだ僕を見ながら、照れ隠しのように中佐が咳払いをしている。 「それにしても、ツバキが俺を好きだなんて、まったく気がつかなかった」 「僕も、今日まで気づいてませんでした」 「……どういうことだ?」 「あー……、笑わないでくださいね? 僕、誰かを好きになったのって中佐が初めてだったんです。というよりも、男娼だからお客さんを好きになるなんて、あり得なかったっていうか……」  よくよく考えたら、自分の気持ちなのに自分で気づかなかったなんておかしな話だ。主人やヤナギさんは、きっと僕の気持ちに気づかせようとして、あんなふうにいろんな話をしてくれたんだろう。 「そんなところもツバキらしいな」 「……中佐、」 「そんなツバキも好きだ」  微笑みながらも真剣な顔でそんなことを言う中佐は、とてもかっこよかった。かっこよくて可愛くて、中佐を見ているだけで照れくさくなる。  僕は中佐にお茶を勧めながら、「そういえば」と思い出したことを口にした。 「一回目のとき、ちょっとムッとしてませんでしたか? だから、てっきり僕みたいな男娼は好きじゃないんだと思ってました」 「あぁ、そうだったな」なんて、ちょっと遠い目をしている中佐も可愛い。 「あのときは、男同士というのにげっそりしていたんだ」  中佐の言葉に僕はギョッとした。 「あぁ、勘違いしないでほしい。あまりにも頻繁に目に入るせいで、そう感じていただけだ。そんなことを思い出して、ついあんな態度を取ってしまった」 「へ……?」 「軍というのは男社会だ。そんな中にずっといれば、性欲のはけ口が男に向く奴らも出てくる。しかも完全な縦社会だから、上官に命じられればどんな男も股を開かざるを得ない。ま、ほとんどは好きで突っ込んだり突っ込まれたりしているんだろうがな」 「へ、へぇ……」 「そのうち高級娼館に行って男娼を抱くようになる奴もいる。似たような体格の男より、華奢で可愛い男のほうが気分も乗るんだろう」  なるほど、だから軍人さんはやたらと小柄な男娼を指名するのか。 「あれ? じゃあ、中佐はどうして僕みたいに大きな男娼を指名したんですか?」 「…………前に、言ったとおりなんだが」  前に? 何か言ってたっけ? 「……俺のは、その、凶悪だろう?」  ……そういえば、そうだった。 「じゃあ、最初は嫌々っていうか、仕方なくって感じだったから、あんな雰囲気だったんですね」  そりゃそうか。いくら中佐の逸物が立派すぎて僕みたいな体格の男娼じゃないと受け入れられないと考えたのだとしても、それと実際に行為に至れるかは別だ。僕を見て反応が薄かったのも頷ける。 (そもそも、いまの僕を見てすぐに勃起するお客さんなんて、そうそういないだろうし)  見た目と快感は直結しやすいと言っていたのは主人だ。ということは、可愛くもきれいでもない僕に興奮する人は少ないだろう。それに、僕は背丈だけでいえば軍人さんに近い。そんな僕を見て、中佐が思い出したくないことを思い出してしまったのも納得できる。 「でも、それならよけいに僕を……その、好きになってくれたのが、信じられないっていうか……」  嬉しいけれど、なんだか信じられない。まるで夢のようだと思っていたら、中佐が慌てたように「いや! 最初から気にはなっていたんだ!」と口にした。 「中佐?」 「いや、初めて見たときは、男娼にしては大柄だなと思った。しかし、……湯を使う前に咥えられて驚いたというか興奮したというか、咥えられてる俺よりも気持ちよさそうにしているツバキの顔に、グッときたというか……」 「あー……、僕、口でするの、大好きなんですよね。それに何ていうか、男の人のアソコの匂いも結構好きっていうか、興奮するって言うか……あ、」  しまった、また言わなくてもいいことまで言ってしまった。慌てて「あはは」と笑ったら、中佐も少し笑ってくれた。  これ以上おかしなことを言わないようにと思った僕は、すっかり冷たくなっていたお茶を飲んで落ち着こうと思った。 「とにかく、あのときのツバキの行動と表情にやられたんだ。見慣れた軍人くらい大きいし、どこからどう見ても大人の男なのに、アレをおいしそうにしゃぶる顔は子どもみたいというか……ぐちゃぐちゃになった泣き顔がたまらなくそそるというか、もっと泣かせたくなるというか、あれはエロかった」  ぶほっ。  思わずお茶を吹き出してしまった。冷たいお茶でよかったと思いながら、なんてことを言い出すのかと中佐を見る。 「あれが俗に言う“堕ちた”ということなんだろう。普段は普通の男にしか見えないのに、行為が始まるとこっちが驚くほど淫らになる。いや、淫らというだけじゃない。子どものようでいて大人でもあって……何と表現したらいいのかわからないが、あれをひと目見たら堕ちない男はいないだろう」 (これって、誰の話をしているんだろう……)  少なくとも僕の話じゃない。そんな魔性の男娼みたいな存在だったら売れっ子になっていただろうし、とっくの昔に見受け先が決まっていたはずだ。 「だから、俺が来られない間に客に指名されたくなかったんだ。もし俺以外の客に目をつけられでもしたらと思うと、夜も眠れなくなるくらいだった」 (だから、誰の話をしているんですか……!)  居たたまれなくなった僕は、思わず両手で顔を覆っていた。  誰からも言われたことがないすごい表現に、全身が真っ赤に茹だってしまう。同じくらい、下半身も熱くなるのがわかった。好きな人に好意を寄せられることがこれほど気持ちいいなんて、初めて知った。 (どうしよう……もう、我慢できないかも……)  体中がズクズク疼いてきて、前がちょっとだけ勃った。後ろもキュンキュンして、座ったままモゾモゾと腰を動かしてしまった。胸まで疼くような気がして、服を摘んで乳首と擦れないようにする。 「……ツバキ、エロい顏になってる」 「だって……中佐が、いやらしいことを言うから」  駄目だ、もう我慢できない。ずっとずっと中佐に会いたくて、会えない間も中佐のことばかり考えていた。中佐の指や逸物のことを思い出しながら自慰に耽ったりするくらい、僕のあちこちが中佐を求めていた。  僕は向かい側に座る中佐の傍らに立つと、強面の顔を両手で包み込むようにしてから、チュッと音を立てて口づけた。本当はもっとビチャビチャになるくらいのキスをしたかったけれど、なんだか頭がぼうっとして唇をくっつけることしかできない。 「……初めてのキスだな」  言われて初めて気がついた。 「娼館では滅多なことでは口づけたりしないものだと思っていたから、いままで遠慮してきたんだが……もう我慢する必要はないということか」 「はい、キスもいっぱいしたいです。……けど、いまは、もっとくっつきたいです」 「奇遇だな。俺も抱き合いたいと思ってた。……グチャグチャにして、トロトロにしたい」 「……やばいです。興奮、してきました」 「俺もだ」  ちょっと赤くなった中佐の顔はやっぱり可愛くて、僕の気持ちはとっくにトロトロに蕩けていた。 「ね、中佐……、僕を、受け取ってください」  そう言ったら、中佐が蕩けるように笑ってくれた。

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