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 学祭に上映する映画の撮影は、佳境に入っていた。  とはいえ、夏前から準備を始めていて期間は充分だったはずなのに、撮影日と天候が合わなくてずいぶん押している。  映画の内容は、竹島さんが脚本を書くようになって初めてだというタイムスリップもので、初めて参加するおれにはわからないが撮影陣はいちいち苦労しているようだった。  そのわりに、監督・脚本・主演の竹島さんはまるで焦っていない。  進行も指示も自由奔放で、周りは振り回されているようで、でもどこか楽しそうだ。  おれたち一年はほとんど役にたたないけれど、些末な雑用だとしても、何かを作りあげているその中に参加しているというだけで胸が躍った。  竹島さんの相手役は春のショートフィルムに続いて、三年の大原さんがした。  遠くからでも目を引くような美人で、撮影中に二人が並んでいるところを見て、絵になるとはこういうことかと思った。大原さんが映研に入って以来共演することが多く、あまりにお似合いなので、二人が恋人どうしだという噂も流れていたらしい。  でも、大原さんにはちゃんと彼氏がいた。同じ映研の守屋(もりや)さんという朴訥(ぼくとつ)な先輩で、こちらはあいにく全然お似合いじゃない。でもそういうところが大原さんの人柄を表しているような気がした。  やばいやばいという声が飛び交いながら、順調とはいかないまでも何とか進んでいる撮影の中で、先輩たちの顔色は日々悪くなる。  風にあおられてセットが倒れたり、用意していた衣装の寸法がとんでもなく違っていたりと次々トラブルに見舞われ、はたして今は完成形のどのあたりまでなのか、おれなんかには見当もつかなくてただ忙しく走り回っている。   たいして役にたっていないのにへろへろになって、その日も言いつけられた細々としたものを買いそろえて部室に戻ると、二年の先輩が二人残ってコピー用紙をホチキスでとめていた。 「お、広内、いいとこに来た」 「救世主」  先輩たちは拝むようにして、おれに向かって手を合わせる。 「残りやっといてくんねえ? おれら、明日提出のレポートがあんだよ」 「頼む」 「これ、明日までですか?」 「そうなんだよ。ずっとやってんだけど、終わんなくてさ」  残った用紙は大量に積まれてあって、小一時間はかかりそうに思えた。  おれも、疲れているから早く帰りたい。でも、先輩の頼みは断れない。  他の一年はうまく逃げてしまって、残っていたのはおれだけだった。  わかりました。  そう、返事をしようとしたときだった。 「おい、いいかげんにしてやれよ」  まだ開けたままだったドアの隙間から顔を出したのは、竹島さんだった。  思わず、息がとまる。 「なんでもかんでもやらせてたら、ぶっ倒れちまうぞ。お前らももういいから、帰れよ」 「あ、はい。すいません」  先輩たちはあわてて作業を中断し、帰り支度を始めた。 「広内、来いよ」  竹島さんに呼ばれて、おれは先に部室を出る。  廊下を、竹島さんはどんどん歩いてゆく。おれはあわてて後を追う。 「あの、ありがとうございました」  背中に向けて言うと、竹島さんは急に立ち止まって振り返った。 「腹、減ってないか?」 「……減って、ます」 「飯、食いに行こうぜ」  そう言ってまた、どんどん歩いてゆく。おれは必死についてゆく。  大学のすぐ近くの定食屋で、おれと竹島さんは向かいあった。  竹島さんは慣れた調子でかつ丼を頼み、おれは少し迷って親子丼を頼んだ。  待つ間、おれはなんだかとても落ち着かなかった。竹島さんとサシで、面と向かって話すのはあの夜以来なのだ。  竹島さんはイスに浅く腰かけて背もたれに大きくもたれ、長い手を伸ばしてときおり水を飲んだりしている。首をわずかに傾げて窓の外を見たりしている。  おれの心はざわついている。  顔も、スタイルも、仕草も。全部が完璧で、遠くから見ているだけでもどきどきとするのに、こんなに近くで見ることができるなんて。  ぼうっとしながら注文したものが来るのを待っているふりをして、視界の端に竹島さんをとらえる。近すぎて、緊張している。  抱き合っているときは、もっと近いはずのに。  でも、こんなふうにして二人きりで定食屋なんかで向かい合っているほうがよほど、近さを実感できる。  でもいったい、どうしてこんな人がこうしておれの目の前にいるのだろう。  どうして、おれなんかと。 「そういや、どうだよ。撮影」 「え?」  竹島さんは身を乗り出して、テーブルに両肘をついた。おれは思わず身を引く。 「前のと全然違うだろ。今回は結構セットとかも大掛かりだし」 「あ、そうですね。前の時はなんか、あっという間に終わっちゃって何が何だかよくわかんないままで」 「そういやおまえ、前の時は演者のほうだったよな。裏方は忙しいだろ。こき使われてるみたいだけど大丈夫か」 「そんな、全然。先輩たちのほうがよっぽど大変そうで。竹島さんも、監督やりながら主役もやって、すごいです」 「主役なあ。本当言うと演出のほうに専念したいんだよな。誰か変わってくんねえかなと思うんだけど、誰も変わってくんなくて」 「それはだって、そうですよ」 「何が」 「だって主役はやっぱり、竹島さん以外」 「別におまえだっていいじゃねえか。けっこういい(つら)してるし」 「そんな、竹島さんのほうが断然」  言いかけて、言葉に詰まる。  別に、変な言葉じゃない。誰だって気軽に使っている。だからどうにか口に出す。 「かっこ、いい、ですよ」  やっぱり、不自然になった。全然気軽じゃない。  言いながら、あの低い囁き声が耳に蘇る。  ――だっておまえ、おれのこと好きだろ?  そうだ。竹島さんのことをおれは、かっこいいと思っている。だから。  思わず目を伏せる。竹島さんは何も言わない。形のよい薄い唇がかすかに笑っている。  おれは意を決する。 「……あの、訊いていいですか」 「なんだよ」 「いつから、……知ってたんですか」 「何を」 「……おれが、その、……竹島さんの、こと」 「ああ」  竹島さんはまた深く背もたれに身体を預け、軽く腕を組む。 「最初から」  おれは息をのむ。 「本当ですか?」 「けっこう、わかるよ。そういうのはさ」 「そ、そう、いうもんですか」  竹島さんは意地悪く笑ってまた、テーブルに肘をつき、顔を寄せてきた。 「嘘だよ。カマかけたんだよ、あのとき。違ってたらさ、もっと抵抗するだろ。おまえ、結局嫌がらなかったし」  今度こそ、おれは完全に言葉を失った。顔が熱くなる。赤くなっているような気がする。  おりよくかつ丼が運ばれてきた。竹島さんは何食わぬ顔で食べ始める。  支払いは、竹島さんがした。 「払います」  おれは言ったが、竹島さんは相手にしてくれなかった。 「先輩だからな、おごられとけよ」 「……ごちそうになります」  店を出ても、竹島さんはどんどん歩いてゆく。おれは後をついてゆく。  じゃあおれはここで、と帰ってもよかった。  今日は飲み会の帰りというわけでもないんだし、そうしていたって自然だった。  でも、竹島さんがどんどん歩いてゆくのをおれが追ってゆくほうが、いたって自然だった。  アパートの二階の扉を、竹島さんが開けて待ってくれたので、おれが先に中に入った。  入ってすぐの台所の電気をつけて奥へ向かい、上着を脱いでいると背中に体温を感じて、シャツの裾から竹島さんの手が滑りこんできた。  耳の下を吸われて、息が乱れる。  竹島さんはちゃんと、おれの熱が上がるような触りかたをする。  こらえきれずに振り返ると、深く口づけられた。そのまま何も考えられなくなって、敷きっぱなしの布団に倒れこむ。  竹島さんに抱かれているときはいつも、意識が遠くにある。  ずっとずっと遠くにあって、身体は何も考えずにただ快感を追い求めている。  すべてが終わって眠りにつくときに、かすかに頬をなでる手の感触がするのはきっと、夢うつつの幻想なんだろうと思う。

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