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 講義が終わって教室を出るときに、声をかけられた。  水谷だった。  水谷は、ゲイだ。おれと同じように隠している。  隠しているのに知り合ったのは単純な理由で、ゲイの集まるショットバーですれ違ったからだ。そういう知り合いは他にも数人いて、ただの顔見知りでそ知らぬふりをする場合がたいがいだけれど、水谷とは連絡先を交換していた。  水谷はたわいのない会話をしながら、なるべく人のいない方向へおれを誘導した。 「広内さ、もしかして、竹島さんとつき合ってる?」  頃合いを見計らって、水谷は言った。食堂へ向かう途中の、大きなガラス窓の並ぶ渡り廊下のベンチに腰を下ろしたところだった。思いがけない指摘におれは動揺する。 「なんで。何、急に」 「こないださ、夜、帰るときに見かけたんだよ。広内と、竹島さん。一緒に歩いてて、悪いけどおれ、後つけてっちゃったんだ。そしたら二人がアパートの部屋に入ってくだろ。あれ、竹島さんの家だよね? 同じサークルだし、遅くなったから泊めてもらうってだけかなあとも思ったけど」 「……同じ、サークルってだけだけど」 「なんかさ、わかるじゃん。雰囲気って。あれはどう見たって、ただの先輩と後輩じゃなかったよ。まあ、普通の人はそんなふうに見ないかもしれないけど。本当のところ、どうなの」  おれは、どう答えてよいか迷った。  適当にごまかすことは可能だったけれど、水谷にはもうおれの性的指向は知られているし、友だちなのに黙っているのも薄情だとは思っていた。  認めてしまったほうが、面倒がないかもしれない。  でも、おれはいいとしても竹島さんはどうなのだろう。竹島さんが女だけじゃなく男もいけるってことを、おれが勝手にばらしていいものだろうか。 「言いにくいなら言わなくてもいいんだけど、ただおれはちょっと、心配なだけで」  水谷は小さく息をついた。 「竹島さんって、女癖が悪いみたいじゃん。だからさ、もしかして広内、遊ばれてるんじゃないかって気になって」  おれはますます言葉に詰まる。  それはだって、当のおれがずっと感じてたことだ。ほんの数回見かけただけの水谷でもやはり、そう思うのだ。  本当のところ、もう結構限界だった。  竹島さんと肌を重ねるたび、想いはどんどん強くなる。どんどん、欲が出てくる。  竹島さんを、独占したくなる。おれだけのものにしたくなる。  竹島さんへの想いが増してゆくほど、竹島さんが女性と肩を並べて歩いているところを見かけるのが辛かった。あの部屋で、あの腕で、あの指で、他の誰かを抱いているのかと思うと気が狂いそうになることもある。 「広内?」 「水谷、おれ」  膝の上で頭を抱えると、それだけで通じたようだった。背中に水谷の手が触れる気配がした。ぽんぽんと、小さな子どもをあやすみたいに叩かれる。 「おれ、あの人のことが好きなんだ。ずっと好きだった。だって、初めてだったんだよ。好きな人と、そういう……、身体だけだとしてもさ」 「うん」 「だって、普通に考えてもありえないだろ。あんな、すごい人がさ。奇蹟だろ。だから、それでもいいと思ってた。大勢の中の一人でもかまわないって。でもやっぱり、辛いな。辛いよ、おれ」  水谷の手が背中の上で止まる。手のひらの温かさが伝わってくる。 「……広内のこと、そんなに知ってるわけじゃないけど、なんていうか、その、広内にはそういうの、向いてないと思うな。ワンナイトタイプならともかく、広内はどっちかっていうと、誰か特定の一人とちゃんとつき合いたいタイプだろ? 大勢の中の一人なんて、やめたほうがいいよ」  そんなことはわかっている。当の自分がよほど。でも、できないのだ。できないから辛いのだ。  そんなおれの心境を察したのか、水谷が口調を変えた。 「あのさ、広内が竹島さんといるのを見かけたから言うのよしてたんだけど」 「……何を?」  顔を上げると、水谷がいたわるような笑みを向けてくる。 「ちょっと前から広内に、紹介したい人がいるんだよね。この大学の三年生なんだけど、どうかな。ちょっと、会ってみない?」 「どういうこと」 「向こうがね、広内のこと気になってて、紹介してくれって言われてたんだ。前に池田さんの飲み会に一緒に行っただろ? そのときにいたらしいんだけど、広内とは話したりしなかったから、たぶん覚えられてないだろうって言ってた。覚えてる?」 「……いや、全然」 「広内には相手がいるみたいだから、今はちょっと無理だと思うって断ってたんだけど、広内さえ良かったら」  おれは起き上がり、水谷と向き合った。  悪い話ではないかもしれない、と思った。  おれはまだ、誰ともつき合った経験がない。水谷と知り合って、同じ性的指向を持つ人たちの存在を近くに感じて、チャンスはあったけれどなかなか一歩が踏み出せなかった。  いい機会かもしれなかった。  竹島さんのことをどんなに想っても、これ以上の関係は望めない。誰か他に寄り添える人がいればあるいは、あきらめられるかもしれない。 「……会って、みようかな」  水谷はうなずいた。 「いい人だよ。保証する。また連絡するね」  水谷の背中を見送って、おれは覚悟を決めた。  ずるずるとこんな関係を続けるのは、竹島さんにとってもいいことじゃない。悪い噂が広まる前に、離れたほうがいいのだ。  想いを振りきるように、勢いよく立ち上がる。

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