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「森野です」  と、待ち合わせ場所の駅前に来た森野さんは、はにかむような笑みを浮かべて会釈をした。見るからに温和そうで、黒縁の飾りけのない眼鏡がその印象を際立たせている。 「無理を言って悪かったね。迷惑じゃなかったかな?」 「いえ、全然。そんな」 「良かった」  そう言って口元をほころばせる。それで、おれの緊張もいくぶん和らいだ。 「どこか、行きたいところはある?」 「あ、いえ。あのおれ、こういうの慣れてなくて」 「実はぼくもなんだ。こんなふうにちゃんと出かけることとか、初めてで。誘っておいて申しわけないけれど」 「そうなんですか」 「広内は映研なんだよね。だから、映画とかどうかな」 「いいですね」 「ぼくはあんまり詳しくないから、広内が見たいのにしよう」 「おれ、SFとか好きです」 「スターウォーズとか?」  ベタな作品名に、おれは思わず笑う。 「そんな感じです」  それとなく気遣ってくれる森野さんの人の好さに、おれはずいぶんリラックスできた。  映画は無難に流行りの大きな賞をとったという洋画にした。見終わった後、森野さんは食事をしながら丁寧に感想を述べた。その丁寧さにおれは好感を持った。いい人だな、と思った。水谷の言った通りだった。  森野さんにはおれの事情をかいつまんで話してある、と水谷は言っていた。どこまで話したのかはわからないが、おれの気持ちがまだ竹島さんにあるということもわかったうえで、おれを誘ってくれている。  同じ性的指向を持つ人に、こんなふうにまっすぐな好意を寄せてもらえたのは初めてだった。恋愛なんてもう、一生縁のないことだと思っていた。だから、素直に嬉しかった。  これはきっと、とても幸運なことだ。  もう二度とないかもしれない。  竹島さんのように強い求心力があって、その眩しさに思わず目を伏せてしまうタイプより、薄曇りの穏やかな陽射しのような森野さんのほうがよほど、おれには合っているのかもしれない。  映画に詳しくないかわりに、森野さんは音楽に詳しかった。特にジャズが好きだということで、二回目に会ったときはジャズライブに行った。  おれはジャズなんてさっぱりなのでその良さはわからなかったけれど、森野さんは面倒なうんちくを話し始めるわけでもなく、おれに感想を求めたりもしなかった。心地のいい空間で心地よさそうに演奏をするバンドを眺めながら酒を飲み、ときおり一言二言言葉を交わす。おれはただ、その心地よさに身をゆだねる。  映研の飲み会で飲む酒とはまるで別物だった。騒がしい飲み会もいいけれど、こういうのもいいな、と思った。  三回目、森野さんの行きつけだという居酒屋で軽く飲んで食事した帰り、普段はそこで別れる公園で、森野さんは突然、改まった面持ちで言った。 「よかったらぼくと、つき合ってもらえませんか」  おれは驚いて辺りを窺う。 「大丈夫、誰もいないよ」 「……酔ってるんですか?」 「まさか。でも、酒の力は少し借りてるかな」  おれは口ごもる。すぐに答えられるほど、まだ気持ちは何もはっきりとしていない。おれの動揺を、森野さんはすぐに察した。 「いいんだ、別に。きみがまだあの人のことを想っていても。気持ちなんてそう簡単なものじゃないからね。あの人のことを忘れたいというきみを、ぼくは支えたいだけなんだ。それで、いつかきみがぼくのほうを向いてくれたらいいなと思う」 「森野さん」 「ぼくはきみを、大切にするよ」  真摯な言葉に、心が揺らぐ。  そんなふうに言ってくれる人と、一緒にいるべきなんだと思う。立ちきれない想いを、この人なら受け止めて、消し去ってくれるのかもしれない。 「……よろしくお願いします」  おれがそう言うと、森野さんは安堵したように小さく息をはいた。 「良かった。本当言うと、ちょっと不安だった。断られるかと思って。かっこ悪いな」 「そんなこと」 「今日、泊まっていかないか?」  おれが驚きを表情に出すと、森野さんは無邪気に相好を崩した。 「これは完全に、酔った勢いで言ってる。ごめん、聞かなかったことにして」  じゃあまた、と片手を上げた森野さんを、引きとめたのはおれのほうだった。 「行きます」 「え?」 「今日、泊まっていっていいですか」  森野さんはきょとんとした顔を、ひどく嬉しそうにゆがめて、言ってみるもんだなと優しく笑った。それからおれの手を取って、引いた。手をつないだまま、誰もいない公園を横切って森野さんのマンションへ向かった。  ベッドの中でも、森野さんは優しかった。経験が少ないおれが言うことじゃないだろうけど、ところどころ拙かったりたどたどしいところはあるものの、丁寧に、大事に抱いてくれた。  あさましいことに、おれはちゃんと反応した。  ちゃんと気持ちよかった。  誰だっていいのか、と呆れた。でも少しほっとした。  森野さんをがっかりさせなくて、よかったと思った。

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