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まだ梅雨が明けたばかりだというのに、秋の学祭に向けての映画作りが始動した。
といっても、竹島が脚本に着手したというだけだ。
なにより脚本が出来上がらなければ何も始まらない。おおまかな構想は固まっているが、それを書き起こすとなるとなかなか時間がかかる。
「今回はどういうのになるんだ?」
学食の隣で、里山が声をかけてきた。竹島は食べ終わった食器の横でレポート用紙にプロットを殴り書きしている。
「まあ、ざっといえばSFだな。タイムスリップだ。ミステリーもちょっとある」
「へえ、めずらしい。でもちょっとは色恋も入れろよ。そういうの、人気だから」
「色恋なあ。たまにはなくてもいいんじゃないか?」
「そういうのあったほうがいいんだって。ロケハンのスケジュール、いつごろ出そう?」
「合宿で撮れるところ撮っときたいからな、それまでには出す」
「よろしく」
そう言ってラーメンをすすり始めた里山は、口をもごもご言わせながら窓際のほうを箸で指し示した。
「あれ、広内が話してるやつ、池田じゃないの?」
確かに、窓際の席に広内がいた。向かいの席に誰かがいるが、竹島は池田というやつを知らない。
「池田ってやつがどうかしたのか?」
「知らないか? 二丁目に出入りしてるって噂だよ。広内は知ってんのかな。あいつ、そっち系に狙われそうな感じだからな。教えてやったほうがいいかな」
「へえ。広内って狙われそうな感じなのか」
「思わないか?」
「おまえは思うのかよ」
「おれはそういう趣味はないけどさあ、前にそういう話になってさ、じゃあ誰ならいけるって言い合ったときに、広内は結構人気があったんだよ。大人しいしさ、見た目も悪くないだろ。いかにも女好きってオーラもないし」
「なんの話してんだよ」
「だよな。まあ実際、そっち系でもないおれたちとは、ああいう種族は趣味が違うかもしれないしな。よけいなお世話か」
そんな話をした後だったから、階段の踊り場で偶然行き合ったとき、軽い会釈と挨拶を告げて行き過ぎようとした広内を、竹島は思わず呼びとめた。まさか呼びとめられようとは思わなかったのか、広内は過剰に反応した。
こいつはもしかして、おれのことを怖がっているんだろうか。
不意に竹島は思う。
まるで何か隠し事をしている小学生が教師に呼び止められたときみたいに、肩をふるわせる。でも虚勢をはるように、すぐにその気配を隠す。
「はい」
「さっきさ、学食で池田ってやつと話してたじゃないか。あいつ、知り合いなのか?」
「え、あ、ゼミが、一緒で」
「ふうん。あいつって、噂があるらしいんだけど、知ってるか?」
「噂って、あの、性的指向の、ことですか」
「おまえ、難しい言い方知ってんなあ。性的指向って使うやつ、初めて見たよ」
「そう、ですかね」
「まあ、それだ。おまえ、狙われやすいそうだぞ。知ってるならいいけど、気をつけとけよ」
「はい、あの、でもたぶん、大丈夫ですよ。おれには興味ないと思います」
「そうなのか? そういうのって、わかるもんなのか?」
「いや、聞いたことがあるだけです。好み、みたいなやつ」
「へえ、じゃ、どういうやつが好みなんだよ」
「それは、あの……」
広内が言いよどむ。
「そういうの、言っていいのかどうか」
竹島はきょとんとする。
男どうしで女の話をするときには、ごく当たり前の会話だ。
でも広内の言うところの性的指向が違う人の好みを訊くのは、違う意味合いを持つのかもしれない。少なくとも、本人は違う意味合いを感じ取るのかもしれない。
いわゆる、単なる好奇心を超えた、嘲笑のような。
「おれは別に、単純に興味があっただけで、バカにするつもりなんかはないぜ」
あわてて言い添えると、広内の方があわてた。
「あ、わかってます、竹島さんがそんなふうに思うとは思ってないんで。ただ、なんかやっぱり、デリケートなことなのかなって」
「そうだな。なんだったら今度、本人に直接訊くよ」
そう言うと、広内は安堵したのか頬を緩めた。会釈するみたいにうなずいて見せる。
「でもさ、おまえもあんまりそういう区別をしないんだな。ゲイの噂があるの知ってて、普通につき合ってるなんてさ」
広内は苦笑する。変なふうに口元を曲げて、首を傾げる。その表情やしぐさがどういった意味を持つのか竹島には推測できない。
「そういうの、気にしないようにしてるんです、おれ」
じゃ、と広内は小さく頭を下げると踵を返し、小走りに階段を駆け下りていった。
たいした会話でもなかったはずなのに、なんだか後味が悪かった。
脚本などを書いている竹島にとって、人がどういう状態のときにどういう思考をするのか把握するのは得意なはずだった。
なのに、広内に関してはわからないことのほうが多い。
今も、広内の表情や態度からは、彼がどういう心境でいるのかまったく読めない。
竹島の耳に届いていることと、目から得られる情報が一致していない。
そんな印象だった。
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