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 自主映画上映会、という立て看板が目にとまったのは、ほんの偶然だった。  入学式のあと、ぶらぶらと構内をうろついていた。空はよく晴れて暖かく、敷地の脇に並ぶ葉桜が目に眩しかった。  あちこちで上級生がサークルの勧誘をしていて、手製の立て看板やのぼり旗が立ち並び、どこかから色とりどりの風船が舞い上がったりして、にぎやかだった。ビラ配りをしている人や、手あたり次第に勧誘している人や、着ぐるみまでいた。新入生と思しき学生が、どこかおっかなびっくり歩みを進めている。そういうおれも、方々から声をかけられ、ともすれば校舎の中に引きずりこまれそうになった。捕まると入部させられる、と察して、なるべく早足で駆け抜けようとした。サークルに入るつもりはなかったからだ。  ふと、呼び込みをしているのが耳に入って足を止めた。 「もうすぐ上映開始でーす。上映始まりまーす。見ていきませんかー。いかがですかー、おひとついかがですかー」  後半は完全にふざけているやる気のなさそうな呼び込みに、なにやら好感が持てた。立て看板のタイトルの横には、フィルムフェスティバル入賞作品と添えられてある。 「あ、そこのきみ、きみきみ、ヒマ? ちょっと見ていかない? 今なら無料だよー。ぼったくりとかないよー」  ピンポイントで手招きされて、つい、足を向けた。  矢印で順路が示されている。建物の階段を上がり、廊下を抜け、順路どおりに部室へ入った。中は暗幕で暗かった。  上映が始まったとたん、おれは画面から目が離せなくなった。  内容や映像や音楽やアングルやセリフ回しに感動したというわけじゃない。もっと単純で、下世話な感動だ。  主演の男性が、とにかくかっこよかった。端正な顔立ちに、均整のとれたスタイルに、仕草に手つきに足取りに、何もかもに目を奪われて、ぼうっとしてしまった。  すぐ近くからも、女性の黄色い歓声が上がっている。どうやら新入生ではないようで、いわゆるきっと、ファンというやつだ。  竹島さん、という名が幾度も聞こえてくる。このスクリーンに映っているこのかっこいい人が、竹島さん、なのだろうか。もしかして、この大学内にいるということだろうか。  もし、いるのなら、会ってみたい。衝動的に、思った。  本物をこの目で、見てみたい。  熱に浮かされたようにぼうっと眺めていたら、あっという間に映画は終わった。どんな話だったかはまったく覚えていない。  部室から出るときに、部員の人からビラを渡された。  映研部員募集、素人歓迎、経験者大歓迎、映画の好きな人、映画撮影に興味のある人、お気軽にどうぞ。  別に映画が好きなだけでもいいらしい。じゃあおれでも、入ってもいいのかな。素人歓迎、って書いてあるし。  入ったらもしかして、あの人に会えるのかな。  考えながら階段を下りていると、踊り場に人だかりができているのが見えた。  集まっているのは女性ばかりだった。その中心に一人だけ男性がいる。女性たちの頭部の上に、顔が覗いていた。  気づいた瞬間、足が止まっていた。  さっき、映画に出ていた人だ。  もちろん、おれが顔を覚えている人は一人しかいない。  主演の、あのかっこいい人だった。  おれと同じようにそう思っている女性たちが、群がっているのだった。 「映画、すごく良かったです!」 「すごくかっこよかったですぅ」 「あの、一緒に写真撮ってもらえませんか?」  取り囲んだ女性たちが次々と声をかけている。  できることならおれも、その中に混ざりたかった。混ざって声をかけたかった。近くでその顔を見たかった。声を聞きたかった。一緒に写真を撮ってもらいたかった。  でももちろん、無理な話だ。  あの中に男が混ざっていたら、引かれるに決まっている。  ずっと立ち止まっているのも変に思われるので、ゆっくりとその場を通り過ぎようとした。  人だかりを過ぎ、喧騒に背を向けたとき、あわてて駆けつけてきたらしい誰かに後ろからぶつかられた。  最近よく、人にぶつかられるな。  そんなのんきな感想がよぎったのも束の間、気づいたら体が浮いていた。  え?  下ってゆく階段、その下の廊下の床。  見えるものは同じだけれど、この浮遊感は、何だ。  どこにも力が入らなかった。  足の裏が、心もとない。  床に接していないからだ。  息が止まる。  ――落ちる。  そう認識した瞬間、二の腕を掴まれて引っぱられた。  強い力で体が引き戻される。  そして、誰かの胸に抱きとめられた。 「何してんだ、危ないだろ!」  すぐそばで声がして、反射的におれは謝る。 「す、すいません」 「……違う、おまえじゃない」  え。  見上げると、あの、スクリーンの中で見た端正な顔が間近にあった。  ――嘘だろ。  おれはまだ体に残る落下しかけた感覚と、映画と現実の入り混じった驚きに、硬直したみたいに体が動かないでいた。 「ごめんなさぁい」  女性のか細い謝罪が聞こえる。おれに、ぶつかった人だろうか。 「ほら、もう解散。映画の感想なら部室の前に箱があるからそっちに入れてくれ。ほら、散った散った」  追い払われるようにして、集まっていた女性たちが渋々階段を下りてゆく。  おれはようやく我に返り、密着していた体を離して頭を下げた。 「あ、あ、あの、ありがとうございました」 「いや、悪かったな。ケガさせるところだった」 「え? でもぶつかってきたのは……」 「おれが早く移動しときゃ良かったんだ。こんな狭いとこにいたから」  そう言って、おれの手にあったビラに目を落とした。 「映画、見に来てたのか?」 「あ、はい。あの、すごく、良かったです」  ろくに内容を見てもいなかったのに、つい調子のいいことを言ってしまった。感想を求められたらどうしようと焦る。でもその人は、そうか、と言っただけだった。 「おれは部長の竹島。映画に興味あるんなら、映研に入れば」  さらりと誘われて、おれは即答した。 「入ります」  竹島さんは一瞬目を見開いて、く、っと笑った。 「いい答えだ。じゃ、よろしくな」  里山ー、こいつ映研入るってよ。そう言いながら竹島さんはその場を去ってしまったけれど、おれの心臓は早鐘を打ち過ぎて壊れるんじゃないかと思った。  その足で、おれは映研に入部した。

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