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アパートに着くと、先に玄関を上がった広内はめずらしく自分から服を脱ぎ始めた。
酔っているわりに、衣服は丁寧に隅にまとめて重ねている。
竹島はかきたてられるような心持ちになって、上半身をあらわにした広内に近づくと、ぼんやりとしたその頭をつかんで深く口づけた。広内は、呆然と立ち尽くしている。
なんだって、こいつを前にするとこうも衝動的になるんだろう。
広内の口内を味わいながら、ふと思う。
振り回されているような気さえする。
重なるようにして布団の上に寝転がる。組み敷いた広内が、見上げてくる。
何か問いたそうな顔をしている。
「どうした」
眠そうな目をしていた。どこか、あきらめているようでもある。あきれているようでもある。その表情のままの、力の抜けた声で、広内は訊いた。
「竹島さんって、誰が本命なんですか」
「本命?」
思いもよらない言葉が出てきて、竹島は困惑した。
頭の中が一瞬真っ白になる。
最初に浮かんできたのは競馬の予想だ。本命とか、大穴とか。
もちろん、それが今の状況にまったく関係のないことくらいわかっている。それくらい、日常生活からはかけ離れた単語だ。
広内の言うそれはきっと、恋愛をする相手を指しているのだろう。
「本命とか、そういう考え方したことねえからなあ」
竹島は広内にまたがったまま起き上がって腕を組み、思わず真面目に考え込んだ。
ふと見ると、広内が疑 り深い眼差しを向けている。
「なんだよ。だいたい本命ってのは、何人もそういうのがいて、その中の一番ってことだろ。その質問自体がおかしくねえか?」
「だって、いるじゃないですか」
「誰が。どこに」
「今日、昼間に一緒にいた人とか」
「昼間って」
竹島は記憶を探る。今日、大学で言葉を交わした女は確か、三人か四人だ。そのうち、広内が見かけたのは。
「百合原のことか。あいつはただのゼミの後輩だろ」
「彼女じゃないんですか」
「冗談やめてくれ。あんなの連れ歩いてたらいっときも精神が休まらない」
「じゃ、ミス南大の人は」
「ミス南大? 敷島?」
「いつも一緒にいますよね」
「いつもじゃねえだろ。そりゃときどき話はするけど。就職のことで相談してくるから聞いてやったりはするけど」
「つき合ってないんですか」
「おまえさ」
今度は、竹島が冷ややかな目つきで見下ろしてやる。
「もしかして、おれが何人もの女とつき合ってるって思ってんの?」
「そうじゃ、ないんですか?」
「そういう噂があることは知ってるけどさ、そんな面倒なことするかよ。一人相手にするのも面倒なのに、何人も相手にしてたら時間も金もどれだけあっても足りねえよ。だいたいどうして大学の中で女と歩いてたりしゃべったりしてるだけで、つき合ってることになるんだよ。おまえ、大学以外でおれが女といるとこ見たことあるのかよ」
「……ないです」
「まさかずっと、そう思ってたのか?」
広内は、うろたえたように目を伏せた。竹島は覆いかぶさるようにして、広内を真上から見下ろす。
「おれが何人ものやつとつき合ってて、おまえもその中の一人だって、今までずっとそう思ってたのかよ」
広内は答えない。それがあきらかな答えだと言ってるように。
「おれはそんないいかげんなやつだと思われてたのか」
「……すみません」
「別に謝らなくてもいいけどさ」
少なくとも大学内でそういう噂がある以上、そんなふうに見えたとしてもしかたのないことだ。広内を責めるのは酷かもしれない。
「でも、どっちかっつうとおまえのほうがひどくないか? こないだのやつはなんだよ。おまえ、あいつとも会ってたんだろ」
「それは、その」
「その?」
「……竹島さんのことを、あきらめなくちゃと思って」
「なんで」
「だって、おれ、たくさんのうちの一人って思ってて、ずっと、辛くて」
竹島は大きく息をつく。
男どうしだということを、特別に考え過ぎていた。
男女の恋愛となんら変わらない。ちゃんと言葉にしないと何も伝わらない。
竹島は、広内の質問に答えることにした。
「おれの本命は、おまえだろ」
竹島にとってはそれほど、たいした言葉だとは思わなかった。
これまでの過程に対して、あたりまえのことを言ったつもりだった。
けれど広内は、大きく目を見開いた。
驚いているような、呆然としているような、わいてきた感情に名前がつけられないような、いわく言い難い顔をしていた。
何か言いたげだけれど、何を言っていいかわからない、そんな感じだ。
「広内?」
おもむろに、広内は両手をのばして竹島の首にかきついてきた。
広内のほうからそんなことをするのはめずらしかった。いや、初めてだった。
そんなふうに、広内から竹島に触れるのは。
それで、竹島も少し動揺した。
広内の、浮いた背中を片手で支えてやる。
耳元で、震えるような声がした。
「……好きです」
そうか、と思う。
そんなようなことを、そういえば言い交わしたことはなかった。
ちゃんと考えたことが、そういえばなかった。
竹島も、広内の耳元にささやいた。
「おれもだ」
広内の背中にまわした手に力をこめる。
それから、ゆっくりと布団にその身体を下ろした。
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