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 近くのホテルで、おれは郁さんと抱き合った。  あたりまえだけれど、すべてが初めての経験だった。  舌を絡め合う深いキスに始まり、誰かの手で肌を触られるのも、敏感なところを舐められるのも、性器を口に含まれるのも、後孔をいじられるのも、何もかも初めてで、さすがというかなんというか、そのすべてに最初から、気持よすぎて我を忘れそうだった。  不確かな情報から得た浅い知識の中で、初体験なんて、気持ち悪かったりこそばゆかったり、ただただ痛かったり、そんなものでしかないと思っていたのが、ひっくり返された。  おれは全身を満たす濃厚な快感の中で無事、処女(マスターや郁さんの言うところの)を喪失した。  まだ心地よいだるさの残るベッドの中で、どうだった? と訊かれ、頭がぼんやりとしているせいで素直に答えてしまう。 「……めちゃめちゃ良かったです」 「嬉しい感想だねえ。そう言ってもらうのが、おれは何より嬉しいんだ」  変わった人だなと思う。でも、マスターが幸運だと言っていた意味がわかる。  郁さんはきっと、ただの処女好きだというわけではなく、初めての経験をより良いものにしてあげたい、と思っているんじゃないだろうか。そして、そういう人に相手をしてもらえて、おれは本当に幸運だった。 「そういうのが嬉しいから、郁さんは、処女としかしないんですか?」 「うーん、そういうわけでもないけどね。決まった相手がいるのも、面倒なものだから。なんて、今日からスタートのきみに言うのも酷かな」  おれは小さくため息をつく。 「スタートなんて、ないです。恋愛なんてきっと、できないから」 「どうして」 「好きになった人がゲイならいいのにって、何回も思いました。でもそんなこと、そうそうあるわけない。それに、好きになった人が好きになってくれるなんて、それこそ奇蹟みたいな確率だし。誰かを好きになったって、辛いだけです」  郁さんは起き上がり、おれの頭をそっと撫でてくれた。 「そうだね。そういうことのほうが、多いだろうね。でもおれは、好きになることが悪いとは思わない。辛い思いをするかもしれないけど、そういう相手がいるだけで、なんていうか、充実することってなかったかい? 心が浮き立ったり、ふとしたことで嬉しくなったり、気持ちが満たされるような、そういうことはなかった?」  おれは目を閉じる。  ずっと好きだった同級生を思い出す。  一緒にいられるだけで、幸福だった。  声を聞くだけで、なにげない仕草を近くで見るだけで、名を呼びかけてもらうだけで、胸の内が温かくなりはしなかったか。 「誰かを想うって、すばらしいことだよ。片思いだって、考えようによっては悪くない。好きになるのをあきらめるなんて、もったいないからよしなよ」 「……はい」  目を閉じたまま、おれは少し泣いた。  郁さんはおれの涙が止まるまで、頭を撫で続けてくれた。

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