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第4話

  「俺はキリア。みんなにはキルって呼ばれてる」  キリアの家は、アルスが住んでいた小屋よりもうんと広いところだった。内装も綺麗だ。フカフカのソファも置かれているし、絨毯だって敷いてある。  キリアが中に入ったからアルスも続いたけれど、なんだか落ち着かない。 「適当に座っててよ。すぐに作っちゃうからさ」 「あの……僕は何を」 「何もしなくていいよ? そうだ、名前教えてほしいな。俺ね、気に入った子は名前で呼びたいんだ」 「……名前は、アルスです」 「アルスね、可愛い名前だなぁ」  軽快に続く会話に、アルスは少しだけ戸惑っていた。  これまで神様とする会話は、こんなにもテンポが良いものではなかった。神様は基本的に喋らないし、アルスも頻繁に声をかけるわけではない。二人の会話は食事のときが多く、そのほかはポツポツと思いついたことを口に出すだけである。  キリアは手際よく準備をして、やがて調理が始まった。アルスにはやっぱり目新しくて、思わずキッチンへと歩み寄る。 「あれ? 座ってていいのに」 「……何をしているんですか?」 「何って、料理だけど」 「料理?」  キリアがボタンを押すと、上から火が吹き出した。アルスは思わず身をのけぞる。キリアは不思議そうにアルスを見ていた。 「……もしかして、火を知らないの?」 「火は知っています。触れてはいけないものだと、神様が教えてくれました」 「……神様?」  お湯を沸かしているうちに食材を切りながら、キリアは訝しげにアルスに問いかける。 「僕、神様の生贄だったんです。そのお役目が終わり、街に出てきました」 「え!? そうなの!?」  湖の神様は有名だ。この近辺の村や街を一緒くたに守ってくれている。だから街の人たちも「生贄」には理解があるし、偏見を持っているということもない。誰が生贄なのかは本人が言わない限りは分からないけれど、もしもその存在を認知した場合にはきっと誰もが保護をするだろう。 「へぇー……神様は美しい人が好きだって聞いてたけど……」 「はい。僕はその……全然美しくなくて……だから神様には愛されていませんでした」 「あ、いや、そうじゃなく。アルスは美しいというより、格好いいってほうが似合うかなって。端的に言うとイケメンって感じ? ていうか今、愛されてなかったって言った? 生贄だったんだよね?」  気になる単語がポンポンと出てくるから、キリアも気になって仕方がない。けれど手は止めることなく、アルスの様子を伺いながらも着実に一つ一つを済ませていく。 「はい。生贄は通常、神様から『寵愛』を受けます。それで付随する恩恵を得るのですが……僕は美しくなかったので、神様は触れようとも思わなかったみたいで……。寵愛は受けてません」 「待って、待ってよ。でもアルスは今いくつなの? ほら、生贄だった子たちってだいたい二十くらいで生贄の期間が終わるって聞いたんだけど……」 「二十五です」  神様が若く美しい男が好きということは、街の人間にとっても暗黙の事実である。しかしアルスは美しいどころか男前で、その上若いというわけでもない。見た目ばかりは若々しくはあるけれど、神様はきっと実年齢の方を重視しているのだろう。そんなアルスを二十五になるまで側に置いておくなんて——寵愛を受けられなかった、とは言っていたが、もしかしたらむしろその認識は逆なのではないかと、キリアは少しばかり考えていた。 「新しい生贄のかたは美しい人でした。僕よりもうんと若くてハキハキしています。きっと今頃……」  アルスが湖を離れて、もうずいぶん経つ。姿を現さないアルスのことなんか忘れて、二人は互いに溺れているのだろうか。  途端、胸が苦しくなった。考えるだけでも息が詰まる。  渋い顔をするアルスを見つめて、キリアも切なさを覚えた。 「……そんな顔しないで! アルスはいい子だし、格好いいから大丈夫だよ! 俺がめちゃくちゃ美味いご飯作るからさ、今日はいっぱい食べてよく寝て、明日に備えよう!」  キリアは下手くそな笑顔で調理を続けた。アルスにはそれがとても温かに思える。これまで人間と関わることはなかったけれど、ラズが少し怖いと思えていたからか、キリアの優しさは余計に心に沁み渡るようだった。    *  結論から言えば、キリアの料理はそれはもう美味しかった。初めて「料理」を口にしたアルスは、一口目から目をキラキラさせて、何度もキリアに説明を求めていた。  これは何か。どうしてこんなに美味しいのか。どんなことをしたらこんなに美味しくなるのか。アルスの言葉は新米料理人のキリアにはどれも嬉しくて、気分の良い時間となった。 「え、風呂の入りかたが分からないの?」  それは、食事を終えて、当然のように「先にお風呂に入ってきなよ」と言った矢先のことだった。アルスから疑問符でも浮かんでいそうな表情を返されて、キリアもさすがに違和感を覚えた。そうして「すみません、お風呂の入りかたが分かりません」と言われて、現在である。  そういえば、神様の「生贄」とされた者たちは湖のほとりで暮らすことになると聞かされた。しかし生贄となるまでは普通に暮らしているはずだし、風呂の入りかたくらいは知っていそうなものではあるが……。  アルスはキリアの作った料理を“初めて口にした”というリアクションでたいらげた。それもおかしいとは思っていたが、もしかしたらアルスは少々特殊な「生贄」だったのかもしれない。 「仕方がないか……一緒に入ろう」 「え! でも……」 「大丈夫大丈夫、とって食ったりしないからさ。って、そんなこと言われてもアルスには分かんないんだろうね」  キリアが思ったとおり、アルスはやっぱりキョトンと不思議そうな顔をしていた。  キリアの家には部屋がふたつあって、ほかには風呂とトイレがあるだけのシンプルなつくりだった。ふた部屋のうちひと部屋がリビングとして使われているから、実質寝室ひと部屋だけのようなものである。  アルスは「俺は部屋で脱いでくるから」と言って脱衣所から出たキリアを置いて、先に浴室へと踏み入れた。  いつもは神様がアルスを抱きしめて、湖で水浴びをさせてくれていた。幼い頃から今までずっとそうだったから、「お風呂」というものも知らない。ずっと神様と二人きりで生きてきたアルスにとって、いわゆる「普通」の生活さえ、すべてが目新しいものである。 「……わ、熱い」  バスタブに張られたお湯に触れて、アルスはとっさに手を引っ込めた。湖の水は当然ながら冷たかった。それを浴びることに慣れていたアルスにとって、ぬるま湯とはいえお風呂のお湯は熱すぎるほどである。 「早かったね」  あとから入ってきたキリアが、ぽかんとしているアルスを見て苦笑を浮かべた。 「ここまで無知だといっそ可愛いな。ほらアルス、大丈夫だから、少しずつ慣れて」  桶に湯をためて、アルスの手に優しくかける。アルスは怯えていたけれど、すぐに慣れたのかじっと手元を見つめていた。 「神様のところで、どんな生活をしていたの?」  手から手首へ、手首から腕へとお湯をかける範囲を広げながら、キリアは気になったことをそのまま問いかけた。 「神様とはずっと、のんびり暮らしていました。どんな、と言われても……神様から神気をいただきながら、特別なことは何一つなく」 「神気?」 「食事です。神様は人間の食べ物が分からないからと」 (神様が? 人間の食事を知らない?)  はて、そんなことがありえるのだろうか。  神様はずっと人間を見守っている。キリアの住む街のことだって知っているのだろうし、人間の生活を把握していながら食事のことだけを知らないなんて、なかなか考え難いことである。 「……体洗うね」  アルスはやはり特殊な生贄だ。キリアが話に聞いていた生贄とは少し違う。  スポンジで体を擦ってやると、アルスはびくりと体を揺らした。驚いたようだ。しかしすぐに慣れたのか、正面から丁寧に体を洗うキリアを物珍しそうに見ている。 「痛い?」 「いいえ。痛くありません」 「それはよかった。綺麗な肌をしてるから、傷でもつけたらもったいないよね」  体を終えて、頭を洗う。アルスはやっぱり怯えたけれど、少しすれば平気そうだった。  キリアの家は一人暮らし用だ。浴槽ももちろん一人用である。二人で入るにはずいぶん狭い。それでもアルスが興味津々に見ていたから、仕方なく二人で入ることにした。  問題は体勢だった。向かい合う……のもおかしなために、結局、キリアの足の間にアルスが背を向けて座るという形でおさまった。 「初めてのお風呂はどう?」  ぴったりとくっつく肌が、キリアの中の欲を揺さぶる。キリアの恋愛に「性別」なんてものは重要視されていない。大事なのは気に入る相手かどうか、ただそれだけである。  そのため、今の状況はなかなかの試練だった。なにせアルスは素直で正直で、赤裸々に言ってしまえば見た目もドストライクで大変好みである。キリアにとって、アルスを拒否する理由なんかない。  しかし簡単には踏み込めない。だってアルスは無知で無垢で、キリアが欲望のままにおいそれと汚して良い存在ではないからだ。 「すごく気持ちが良いです」 「そっか、それならいいんだ。怖いって言われたらどうしようかと」  アルスがくるりと振り返る。距離が近い。鈍いアルスはあまり気にもしていないのか、そんな距離からキリアに無防備にも笑いかけた。 (可愛い……)  アルスは自身を「美しくない」と言うけれど、キリアにはあまりよく分からなかった。  美しいと言うよりも、格好いい。表情はキリッとしているし、顔立ちもはっきりとしていて、ほどよく筋肉もついている。異性から熱い視線を向けられそうだな、というのが率直な感想である。 「はぁ……ちょっと狭いから、もたれていい?」 「? はい」  よく分かっていない様子のアルスには、あえて何も言わなかった。  キリアが背後から腕を回す。抱きしめるような体勢に、やっぱりアルスは拒絶を示さない。 (あーあ……これ、俺のものにならないかな……)  神様の生贄だった男。それだけでもなかなかハードルは高い。それでも街で見かけたとき、思わず体が動いてしまったほどにはタイプで、こんなにも理想的な男が居るのかと感動したほどなのだから、簡単に手放せるはずもない。 「……キリアさん?」  やや振り返ったアルスの顔はやはり近い。このままキスをしたなら、アルスはどういう反応をするのだろうか。  ——ダメだ、そんなことが出来るわけがない。キリアはすぐに我に返って、煩悩を振り払うように立ち上がった。 「先に出るよ。アルスも、のぼせないうちに出ておいで」 「分かりました」  なんてことない顔をして浴室を出る。キリアの下腹では、中心がほんのりと力を持っていた。  

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