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第6話

   「神様、僕は生贄として不出来でしょうか」  そんなことを聞いたのは、アルスが十六を迎えた頃だった。  てっきり十五を迎えた頃に”寵愛の儀式”をされるものと思っていたアルスにとって、十六になっても何もされないという現実には不安しか感じられない。直せることがあるならば直したいとも思ったし、何よりアルスは、生贄という役割をあまり理解していないけれど、神様の役に立ちたいと思っていた。  アルスの問いかけを受けても、神様はじっとアルスを見つめていた。神様の癖だ。神様はいつもアルスをじっくりと見ている。 「……どうした、突然」 「僕は、生贄としての役割を果たせていません。それが嫌で……」 「余計なことを思うな。——不出来かと聞かれれば否だ。ただし、私にその気がない」  途端、アルスの目の前は真っ暗になったような気がした。  そんなことを言われるのならば、不出来だと言われたほうがマシだった。「その気がない」なんて、アルスはやはり神様の好みではないと言われているようなものである。  アルスのことは愛せない。アルスのように美しくない男には興味がない。そう言われたような気がした。 「そうですか……わ、分かりました……」  自分はどうしたって、神様からの寵愛は受けられない。  そんな現実に、アルスは泣いてしまいそうだった。 (思えば、あの頃から僕は……)  目を開けてすぐに、夢であることに気付く。  見慣れない部屋だった。しかし一瞬の後、キリアの存在を思い出した。  そうだ、アルスはラズに教わった場所に訪れるより前に、キリアに呼び止められて世話になっていたのだ。  近くにキリアの姿はない。アルスが居るのはベッドだから、キリアの自室なのだろう。ともすれば、部屋の主であるキリアがリビングで寝ているということである。  外はまだ嵐が続いていた。風は強く、雷鳴が轟く。早朝だろうか。ぼんやりと明るいけれど、悪天候なために薄暗く分かりづらい。 「……これからどうしよう……」  神様の「寵愛」がないアルスには、恩恵は一切訪れない。キリアに拾われたのはただの幸運だ。ここを出れば、アルスは一人で生きていくことになる。ラズに言われた場所がどこなのかは分からないけれど、恩恵もないのだからあまり期待はできないだろう。  神様と離れてまだたったの一日というのに、アルスの胸はすでに不安でいっぱいだった。 (……でも、仕方ない。僕の役目は終わったんだ)  ガタガタと窓が揺れる。隙間風が大きな音を立てて、その凄まじさを伝えていた。  アルスはもう一度寝ようと必死に目を閉じたけれど、どうやっても眠れなかった。嵐の音が騒がしかったからではない。心にもやもやが巣食って、どうしても眠る気になれなかったからだ。  繰り返し寝返りを打っていると、いつの間にか時間は経っていたらしい。外がもう少し明るくなった頃、突然部屋の扉が開いた。 「あれ、起きてたんだ。おはよう。早起きだね」  やってきたのはもちろんキリアである。  彼は朝から爽やかで、アルスを見てにこりと微笑むと、すぐにキッチンへと向かったようだ。  人の気配にほっとする。アルスの胸の内にあった漠然とした不安が、少しばかり薄れた気がした。 「アルスはこれからユズリハさんのところに行くの?」  アルスがキッチンへとやってくると、朝食の準備をしていたキリアが、視線だけをアルスに寄越す。 「ユズリハさん?」 「メモ持ってたでしょ。ユズリハさんとこの店が書かれてたから……ていうか、これまでの生贄の人ってみんなユズリハさんとこに流れてるとか? それってちょっと闇じゃない?」 「……すみません。僕はメモを渡されて『ここに行けばいい』と言われただけで、どういった場所なのかは分かりません。闇、かどうかは……」 「え! そうなの!?」  驚きのあまり、キリアは持っていた食器をやや強めにテーブルに置いた。 「誰に行けって言われたの!?」 「つ、次の生贄のかたです。僕が邪魔だからって……」 「えー……にしても性悪すぎ……ねえアルス、何も知らないなら、そんなところには行かないほうがいい。本来きみとは無縁な場所だよ」  熱くなったフライパンに卵が落ちると、途端に焼ける音がして、香ばしい匂いがキッチンに広がる。アルスの目は一瞬だけそちらに向いたけれど、すぐにキリアに戻ってきた。 「ここはどういった場所なんですか?」 「娼館。男も女も関係ない、結構マニアックな客が来るところ」  聞き覚えのない単語だ。アルスが目を丸くしていると、キリアは眉を下げて困ったように笑う。 「あんまり深くは聞かないで。俺常連客とか言っちゃってるし、アルスに嫌われたくないからさ」  よく分からなかったが、キリアが触れて欲しくなさそうだったから、アルスもその話題を掘り下げようとは思わなかった。  キリアはとにかく、行かなくていいと繰り返し言ってくれた。さらにアルスに行くあてがないことも分かっていたのか、「ここにこのまま住めばいいよ」という、アルスにとっては願ってもない提案まで付け足す。 「でも……どうして僕にそこまで……」  キリアとは出会ってまだ一日だ。旧友ならまだしも、そんなことを言ってもらえる立場ではない。  アルスが申し訳なさそうにキリアを見つめると、キリアは苦笑を浮かべて、うーんと一度首を傾げた。 「下心、かな」 「……下心?」 「俺ね、アルスのこと結構気に入ってるんだよ。見た目はもともとタイプだし、素直で純粋なところもたまんない。……気持ち悪いって思う?」 「……さあ。僕にはあまり分かりません」 「だよねぇ」  そもそも、アルスには恋愛経験なんてものもないのだろう。キリアもなんとなく分かっていたから、押し付けるつもりもない。 「これから分かってもらえたら良いなって思うけど……ドキドキしたり、触ってほしいとか、触りたいとか思ったり、一緒に居るだけで幸せだと思ったりね。でもアルスにはちょっと難しいのかも」  ドキドキしたり、触ってほしいと思ったり——それを聞いて、アルスがはたと動きを止める。  アルスはそんな気持ちを、神様に抱いていた。自身が寵愛を得られなかったことを残念と思ったし、神様と一緒にいると胸が高鳴ることもある。あったかくて優しい気持ちでいっぱいになって、多幸感に包まれるのだ。 「……それ、どんな気持ちですか?」  アルスはつい前のめりになって問いかけた。朝食が並べられていく。そんなことも関係なく、アルスは真剣にキリアだけを見つめている。 「恋だよ。あるいは、愛とも言うのかもしれないけど」  ——アルスは、神様に恋をしていた。  そんな事実がポツンと降ってきて、アルスの胸は途端に切なく締め付けられる。  この胸の痛みにも覚えがある。神様と一緒に居るとき、神様がアルスの心配ばかりをするとき、神様がアルスに神気をくれるとき、この胸の痛みに襲われた。 (僕……ずっと神様に、恋を……)  自覚をすると、唐突に頬が熱くなる。胸はさらに高鳴って、まるで病気にでもなったかのようだった。 「……あれ? もしかして俺、横恋慕になるのかな」 「よ、横恋慕……?」 「なんでもないよ。残念だけど……始まる前だったから、深い傷でもないしね」  キリアはやっぱりよく分からないことを言って、「気にしないでよ」と言葉を続けた。 「アルスを気に入ってるのは本当なんだ。下心をすぐになくせって言うのは難しいかもしれないけど……アルスと居るのは楽しいからさ、遠慮なくこの家に居てよ」  無理をしている様子もなく、キリアは人の良い笑顔を浮かべていた。

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