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第7話
その日は、昼になっても雨は止まなかった。雨が止んだら買い物に出よう、とキリアと言っていたのだけど、どうにも止む気配はない。二人は窓からぼんやりと空を見上げていた。
「……うーん……仕方ないな。もう買い物に行っちゃおうか」
アルスに「雨が厄介だ」という概念はない。天気は神様次第で変わる。アルスが一人で湖を離れて森に入ろうとしたときなんて、今ほどではないけれど大雨が降り始めた。天候の変化は神様の気持ちが動いているということだから、アルスには到底「厄介だ」なんて思えない。
むしろ、今の状況は少し心配ですらある。
(新しい生贄の人とうまくいってないのかな……)
考えられる要因はそれしかない。だけど、若くて美しいラズは神様の好みであるはずなのにどうして……。
「アルス? 行くよー」
気がつけば、すでにキリアは玄関に立っていた。アルスも慌てて追いかける。優しいキリアは特に責めることもなく、アルスが支度を済ませるのを微笑みながら見守っていた。
二人はまず食料調達を目的に店に向かった。これまで一人暮らしだったのが、これからはアルスの分も増えるのだ。すぐにでも買い溜めておかなければ、今日の夕食も危ういところである。
「何見てるの?」
「いえ……人が多いなって」
アルスはずっと、物珍しそうに視線を巡らせていた。
「あ、そっか。ずっと森の中に居たんだもんね」
そういえばキリアがアルスを見つけたときも、どこかビクビクとしていたかもしれない。なるほどあれはただ慣れなかったからなのかと、キリアはようやく理解した。
「人が多いとびっくりするってなんか面白いね。はぐれないようにしてね」
忙しなかったアルスの視線がピタリと止まって、ふと、自身の手元に落ちる。
キリアにしっかりと握りしめられた手。アルスは不思議そうに見つめて、今度はキリアを見上げた。
「あー、ほら、繋いでたほうがはぐれないでしょ」
「……はい」
そういえば、神様とも手のひらを合わせるなんてしたことはない。抱きしめ合ったり、さらにはキスだってしたこともあるのに、こんなふうに甘やかな雰囲気になる触れ合いは一切なかった。
なんだか妙な感覚だ。大きくて固い感触に触れていると、心の奥が安堵する。
(神様の手のひらは、どんな感触なんだろう……)
きっとこれまでの生贄たちはそれを知っているのだろう。そんなことを思って、アルスは勝手に傷ついた。
自覚していなかった頃とは違う。アルスはもう、自分の気持ちをはっきりと理解してしまっている。
「あれ、ユズリハさん! どうしたんですか、これ……」
アルスが俯き気味に歩いていると、キリアが突然アルスの手を引いて早足に歩き始めた。ユズリハさん、と言うのは聞いたことがある。たしか、アルスが向かうはずだった店の人間の名前だ。
「ああ、キリアさん。なんだい男前連れて、デート中かい?」
アルスよりもうんと年上のようだけど、見た目だけでは分からない。とにかく若い見た目のその女性は、キリアと手を繋ぐアルスを見て、ニヤリと探るような笑みを浮かべた。
「そういうわけでは……というか、これはいったい」
キリアもアルスも、呆然とそれを見上げた。
周囲には人だかりができていた。みんな同じようにそれを見上げて、遠巻きに何やら言い合っている。
まず見えたのは大きな看板だった。そこにはアルスがもらったメモと同じ文字があったから、本来であればアルスが来るはずだった店なのだろう。しかし今は見る影もない。全焼したのか真っ黒で、さらには崩れてしまっている。
「昨日雷に打たれてね。一際でかいのが当たっちまったみたいで、本当に不運だった。キリアさんもすまないが、うちはしばらく休業だよ」
「いえ、それは大丈夫ですが……キャストの方は大丈夫だったんですか?」
「奇跡的にね。雷の衝撃で半壊して火事が起きたってのに、みんな無傷で避難できた」
キリアはピタリと動きを止めると、少しして緩やかにアルスを見下ろした。信じられないものを見る目だ。物珍しげに周囲を見ていたアルスはすぐにそれに気がついて、キリアのその表情に怯えを見せる。
「ま、うちは褒められるような商売でもないからねえ。神様も、気に食わなかったのかもしれないね」
ユズリハはそれきり何を言うこともなく、残念そうに崩れた建物を見上げていた。
神様はそんなことをしません、と言いかけたアルスの手を強く引いて、キリアはひたすら歩きだす。向かっていた店とは違う方向だった。けれどアルスが気付くはずもなく、その勢いにただ焦りが募る。
「き、キリアさん? どうしたんですか」
アルスの問いかけには答えることなく、キリアは結局、家に戻ってきたようだ。
入ってすぐ、アルスと向かい合う。そうして肩を掴むと、真剣な顔をして射抜くようにアルスを見つめた。
「森に戻ろう、アルス」
「……え、なんですか、いきなり……」
「ずっと思ってたんだ。アルスは他の生贄とは何かが違う。アルスが街に来てから嵐が続いてるし、本来アルスが行くはずだった店は潰された。——きっと神様が怒ってるんだ」
怯えも混じる声音で言われて、アルスにはその言葉を否定することさえ出来なかった。
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