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おまけ:あの日の神様

   神様はいつものように湖の真ん中にある岩に座っていた。すると最近現れた生贄が隣にやってきて、いつものように何かを語りかけてくる。神様には煩わしい時間である。神様は騒がしいのが好きではない。「勝手にしろ」とは言ったものの、ここまでぐいぐい来るとは思ってもいなくて、正直どうしようかと悩んでいた。  いっそ今すぐにでも”生贄”にしてしまおうか。  そんなことを思うたび、まだ清められていないからと神様は考え直していた。 「ねえ神様。ぼく、今が一番幸せです」 「……そうか」 「村ではいつも虐められていたんです。ぼくが神様の生贄になることが気に入らないって子たちが多くって……神様は人気があるので、ぼくが妬ましかったんですね」  アルスとは違い、この生贄はあまりにも臭い(・・)。神域にもっとも必要な生命力は申し分ないというのに、通常よりも清める時間を取らなければならないのは神様にとっては最悪の誤算である。  ラズの存在がアルスを萎縮させている。アルスが変に遠慮をするために口付けを交わすこともできない。  奪うことは簡単だ。けれど、心まで手に入れなければ意味がないのだ。 (そろそろ気配も薄らいできたか)  アルスが小屋にいることはかろうじて分かる。しかし今のままでは、少し離れただけでも気配を追えなくなるだろう。  神様にとって口付けは”手段”だった。  自身の神気を注ぎ気配を追うための、そしてアルスの心を神様に向けるための手段である。”手段”と呼べないところには”下心”もあるのだが、それは神様だけが知ることだ。 「神様……。ぼくはあなたに愛されたい」  隣に座っているラズが、神様の手にそっと触れた。  不愉快だった。しかし、あと数日もすればラズは役目を全うする。目の前から消えて、この神域の糧となるだろう。それまでの我慢だと、神様は振り解くこともしなかった。  それがいけなかったのだろうか。  ある日、いつものように湖から戻ると、アルスが忽然と姿を消した。小屋には誰も居ない。ベッドはひんやりしていたし、裏口にも居なかった。  口付けを最後にしたのはいつだったか。気配をたどろうにも、森に入ったということしか分からない。アルスがもっと人間臭ければ森に居る間は特定も簡単なものだが、残念ながら神気で生きているアルスの気配を追うことは至難だった。  どうすればいい。  どうすればアルスを見つけられる。 「あ……前の生贄の人、居なくなったんですね」  ガランとした小屋を見たラズが、熱のこもった瞳で神様を見上げた。  しかし神様は動かない。小屋の中をぼんやりと見つめ、次の一手を考える。  アルスはどこに行った。アテなどないはずだ。  人間の暮らしも、食事も知らない。そんなアルスが一人でいったいどこに。 (突然、何があって、)  そういえば、アルスは以前から外に興味を持っていた。  まさか逃げ出したのだろうか。最近口付けを拒まれていたのも、何らかのことから口付けで気配を追えると知って、それの対策として拒絶されていただけか。  いいやまさか。そんなはずはない。アルスはここから離れられるはずがないのだ。 「……神様……あの、僕……」  ラズが背後から神様を抱きしめる。そこで神様もハッと我に返った。 「神様に触れてほしいんです。……恋人みたいに愛されたくて……」  ラズはまだ臭う(・・)。神域の糧とするには不十分だ。  判断した神様は、やや乱暴にラズの腕から抜け出して小屋を後にした。 『神様。神様』  なんとかアルスの気配を追いかけようと探していた神様の元に、一頭の熊がやってきた。いつもの岩の上で座っていたときのことである。神様の隣に居たラズは、突然の熊の登場に驚いたのか悲鳴を上げて神様の後ろに隠れた。 「……どうした」  熊はアルスの友人だ。アルスの元にやってきてはいつも何かを話していた。アルスも楽しそうにしていたから、神様もこの熊の存在は許容している。 『アルスが街に行きたいって言ってたんだ』  湖のほとりにやってきた熊が、遠くから神様に語りかける。 『この森はアルスのことを知らない危ない動物も居るから、安全な道で案内したよ。神様が知らなかったらいけないと思って、伝えにきたんだ』  熊の前に、神様がふわりと着地した。 「アルスはなぜ街に?」 『分からない。とにかく行かないといけないって』  それならやはり、アルスは逃げ出したのだろうか。 『落ち込んでたと思う。あと、紙を持ってたよ』 「……紙?」 『うん。……アルス、いつ戻ってくる? 神様が何かを頼んだの? すぐにまた会えるかな?』 「……さあ。どうだろう」  アルスが逃げ出したのであれば、神様には追いかけることが出来ない。  口付けさえも拒絶されたのだ。その上神様の元を離れる決断までされて、どんな顔をして追えば良いのか。  神様の言葉に、熊は不安そうに俯いた。そうして大きな体を揺らして森の中へと戻っていく。 (そうか。アルスはやはり街に……)  気配は確かに街にある。けれどどこに居るのかは定まらない。  神様が頭を抱えていると、湖を泳いで渡ったラズが、背後からそっと歩み寄る。 「神様、またあの生贄のことですか?」  少しだけトゲのある声音だった。アルスが消えてからずっと神様が何かを考えているから、ラズもなんとなく察したのだろう。不満げな様子を隠しもしない。  神様が振り向くと、ラズはムッとしたままで目を逸らす。 「……あの人の何がいいんですか。若くもないし、美しくもありません。神様に愛される要素なんか一つもないのに」  ああそういえば、人間は”生贄”の役割を理解していないのだったか。  神様が思い出した頃、ラズが再び口を開く。 「……あの人は神様のことをぼくに譲ってくれました。結局その程度だったってことですよね」 「譲った?」 「だから出て行ったんですよ。『行くあてがない』なんて出て行かない言い訳をしていたから、いい場所を紹介してあげたんです」  イライラとした様子で、ラズは静かに言葉を続ける。 「とっておきの娼館です。街で一番大きなところ。……今頃、気持ちいいことでもしているんじゃないですか?」  ——ラズは、まだ(・・)。  そう思っていたのに、ラズの一言でそんな躊躇いが一気に消え失せた。  アルスは何も知らない。ラズに言われた場所が何なのかすらも分からずに向かったのだろう。  アルスに何の情報も入れないようにと閉じ込めていたのは神様だ。しかしそれが裏目に出るとは思ってもみなかった。  いや、裏目に出たわけではない。利用されたのだ。  この狡猾な人間に、神様が大切に育てていたアルスが騙された。  アルスの気配が正確に追えないからこそ焦りもあったのかもしれない。神様も冷静ではなかった。  ラズの首が何かにきつく絞め付けられる。神様が動いたわけではない。けれど確かに感じる感覚に、ラズは必死にもがいている。そのうち足が浮いた。首を絞められた状態であるために、さらに呼吸を奪われていく。 「……そうか。貴様が」  神様が一歩踏み出すと、浮かんだラズも同じほど離れる。  そうして歩み続けるうちに、気がつけばラズは湖の上に追いやられていた。 「だ……ず、げ……」 「貴様が、私からあれを奪ったのか」  神様の冷えた瞳に、ラズはさらに大きくもがく。 「”生贄”よ。貴様の役割を全うさせてやろう。——この神域の糧となり、人間の安寧に尽くせ」

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